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生命力を高める

偉人と言われる人ほどの人間は、何よりも、偉大な生命力を持った人でなくてはならぬはずです。しかもそれが、真に偉人と呼ばれるためには、その偉大な生命力が、ことごとく純化せられねばならぬのです。
ですから生命力の大きさ、力強さというものを持たない人間は、真に偉大な人格を築き上げることはできないわけです。【322】

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偉大な人格ということになるとやはり自分が死んだあとでもどうにかなっている人でなければなりませんね。

死んだあとももめ事の種を残すようでは生きたかいもないようにも感じます。

少なくても私はそうなりたくないと感じますね。

鏡の話を思い出しました。

鏡のがを抜くと神になるというような話だったと思います。

何故、神社に鏡があるのか。

自分の我を捨てると神になる。自分の中に神様はいるということでした。

あれは占いの先生がいっていたような。

とにかく仕事を一生懸命することが我を抜く方法ですね。

自分で出来ることなどしれたものですからね。

偉人は自を凡夫と知る

真に偉大な人格というものは、決して自分自身を、偉大であるなどとは思わないでしょう。何となれば、現在自分のなめている苦しみを、単に自分一人だけのものとは思わず、世の多くの人々が自分同様にこのような苦しみをなめていることを深く知っているからです。すなわち偉大な人というものは、つねに自分もまた人生の苦悩の大海の裡に浮沈している、凡夫人の一人にすぎないという自覚に立っているのです。【367】

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自分の苦しみを他人も追っているかもしれない。

そこまで考えていないというのが実に凡人でおめでたいという他ありませんね。

自分が大変だったことは他人にはおわせたくないというこはありますが、自分で完結しているところがいけないのでしょうね。

常にだれかも苦労しているかもしれない、なんとか良くなる方法がないのかという思考を働かせないとこのままになってしますのでしょうか。

深く生きるということは実に難しいものですね。

頭の構造を変えたいです。

おめでたさを削りとる

われわれは苦労することによって、自分のおめでたさを削りとってもらうんです。現実の世界は決してお目出たくはないのです。【271】

実際自分の行動を鑑みてみるとおめでたさが非常に目立つわけです。

それは目標値が明確ではないということに尽きるんだと思うのです。

しかも、それが信念となり確固たるものならなければなかなか自分の改革というわけにはいかないです。

なんにしても自分のための目標値はなかなか難しいものです。

やはり人のためにするようなことを目標にしなければ人間は自分に甘いのですから達成が難しいというわけです。

とりあえずは一生懸命に今の仕事をやるしかないですね。


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