義務の読書は意味がない

書物というものは、義務意識で読んだんでは駄目です。義務意識や、見せびらかし根性で読みますと、その本の三分の一はおろか、五分の一の意味も分からないでしまいます。【137】

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見せびらかし根性はまったくないのですが理解するのは簡単ではないと感じますね。

義務意識も若干あるとは思いますが絶対やらなければいけないことでもありません。

せっかく中途半端に学んだからには多少なりと身につかないかな~とは思っています。

修身教授録を読めと言われた時のざわめきときたらないわけですが、今となっては同じところを何度何度も読んでなるほどなるほどとなっているのですから無理やりでも接点があって義務的というのもあながち悪くもない気もします。

とにかく、理解できないこともいずれなるほどとなることもあるので今年は続けてみようと思います。

読書の順序

読書の順序はまず第一には、当代における第一流の人の本を読むこと、その次は古典です。当代の一人者級の人の世界を知らないで、古典を読むということは、私は考え物だと思います。【138】

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有限が時間を考えた時何を読むかということは大事なことですが、凡人の私にとっては教授が進める本を読む他ないとは思いますがいかんせん読むのに時間がかかります。

理解に苦しむものをふむふむと読むわけにはいかず、行ったり来たりしなければまったくわからないからです。

わからなくても読み進めるということはわかっているのですがわからないことがわからないといった具合ですのでそれもまた仕方ないことかもしれません。

伝記を読むという部分ではまずは教授の知ってから、二宮尊徳翁とか宮本武蔵、あともう一つあったはず中江藤樹だったような気がしますがそこから始めることが必要ですかね。

腰骨を立て、読書をし、しっかり挨拶をするなど当たりまえが大事ですから、その辺も忘れずにいきたいところです。

本を読む

本を読む場合、分からぬところはそれにこだわらずに読んでいくことです。そうしたところどころピカリピカリと光るところに出合ったら、何か印を付けておくのもよいでしょう。そして一回読み終えたら、少なくとも二、三か月は放っておいて、また読んで見ることです。そうして前に印を付けたところ以外にもまた、光るところを見つけたら、また新たに印を付けていく、そうして前に感じたことと、後に感じたことを比べてみるのは面白いものです。【137】

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たまに人間の言葉もここまで複雑怪奇に書ける人がいるのだと思うこともありますが、それでよいということでしょうね。

修身教授録もそのようなもので一日一言、少しづつでも理解したいと感じるからこそ購入するわけです。

古典的なものなど一気に読んでは見るものの理解しがたく、理解できない場合は眠くなるということがあります。

牛歩のあゆみです。

毎日のように少しづつ訓練です。

一章を毎日のように読み考えることで1mmの成長を期待したいところです。

耆に学べの清水克衛さんのところの感性で読むという部分を改めて思い出しました。

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