ある人がTwitter上で
「人との距離感が分からないので、結構頻繁にリプしたりしていて、鬱陶しいと思われているかもしれません。

どう思われようと自分の言いたいことを言うべきだ、という自分の信念に従って行動しているつもりなのですが…

逆に「私は頻繁にリプ送られたりいいねされると嬉しい!」という方はいますか?」


という内容があり

そこから考えを発展させた事について記載したい。

自分の場合は日本人的な概念を大事にするから

例えばネットの繋がりとはいえ
何らかのやり取りや関わり=
相手への情=

自分と話して貰った感謝=
人への恩を感じるので

特に恩を感じた相手には必然的に
通知をONにするし

以後は相手のツイートなどをチェックして
共感出来るとイイネやRTをしようとは考える。


とはいえ
たまに相談に乗る事などがあるものの

その相手から恩知らずな感じが伝わると

なんだコイツ?
みたいになって

その後見なくなる…
みたいなの事はあるし

日本人的な精神性として
相手主体=

相手がどう思うかを前提にする
細かい気配り=

心象が良くなる=

という流れが円滑なコミュニケーションに
繋がるのは言うまでもない。


とはいえTwitterの利用者の何割かが
視野が狭くて興味も限られてる…
とか
他者=ただの存在

くらいの機械的な割り切りや認識の人もいて 

(損得で考えるあまりに自分に得がないと
思った瞬間に容易に切り捨てれる人もいる)


更に言うならば
本人は周りに承認されたいのに 
(承認欲求の強さ)

自分は他人にそこまで関心がない…
みたいなタイプもいるし
(人への愛着の低さ)

相手の深い部分まで知ろうとする
自分からすればかなりの温度差がある。


それに冒頭の相手のように
自分の気持ちを伝えるのは大事…
とはいえ

相手がいる事を前提にせずに
遠慮なく自分の考えや思いを出す=
相手との摩擦になるからこそ

余計な争いを避けるべく

日本的な文化として
本音と建前を使い分けながら

相手もそれを理解するような
心の繋がりとか情緒を大事に出来たのだろうけど
寧ろそれが出来ない日本人が増えているし

思った事を言い合う文化圏ほど

相手への共感が薄れる自分主体=
違う考えの相手を許しにくい

=感情のもつれから
酷い争いに発展するのだろうし、

自己の抑制にも繋がる
日本人的な恥の文化とか
慎ましさはもう少し見直された方が良いと思う。


ちなみにASD強めの発達障害の元カノなどは
学生時代に

思った事を言う=空気が読めない=

相手の感情を損なう=

不快に思われて嫌悪される=
虐められる

という問題に繋がっていたし

当然、相手への配慮を欠く=
強い反発

というロジックから

独善的な国ほど相手国の反発を招いて
戦争にさえ繋がるなら

「自分主体の強さ」  
というのは実はかなり問題がある視点と言える
 

よくよく考えれば分かる事だが
自分主体=自分の感情を優先しやすく、
自分の欲求を抑えたり我慢する事を後回しにする

だからこそ自分主体の人が増えると
例えば交通マナーの問題でも

相手の事を考えて譲り合うよりは
我先に…という思考が働いて

煽り運転とか様々なトラブルにさえ繋がるだろう。


それに街中で肩と肩がぶつかる…
みたいな場面でも

相手主体の主体性なら
相手への気遣いから
まずは相手を心配したり謝れるとしても、

これが自分主体だと
ぶつかられた被害者意識が勝ってしまい

相手を悪と思う中で
「許せない!」みたいになりやすく

だからこそ 
自分主体が強い国だと
それくらいの事がきっかけでも殺し合いが起きる。

こういうのも
教育とか元々の脳の特性の影響は強いし

相手がどう感じるか?
を自分に置き換えてシュミレーションする
(想像して共感する)能力が元々低いと

どうしても色んな視点で考えにくいだけでなく
相手の気持ちを理解できない特性=
思った事を言って貰う方が理解出来る=

「自分がそうだから相手もそうに違いない」
という勘違いに繋がるし

視野狭窄=自閉的な思考ほど
「自分はそうだとしても相手は違う」

という簡単な理屈を理解せずに

自分の概念や感覚を他人に当てはめやすい中で

周りとの温度差=周りとの不適合
にも繋がるのだろうし


理解されたければ
相手を理解しようとする前提を蔑ろにしない方が良いだろう。


だから
自分の主観を子供に当て嵌めて押し付ける=毒親になる
とか

酷い場合は
自分達の価値観の正当化=
それとは異なる側の精神性を踏みにじる行為
として

偶像崇拝=自分達が尊敬する相手を侮辱する行為=心が傷つけられる
=明確な殺意

としてイスラム教徒の反発=テロにさえ繋がる。
 

上記のように
「自分主体の危険性」と
「相手主体の大切さ」
について分かりやすく説明したけど

「自分主体で考えやすい思考=
戦争の引き金にさえなる=戦争脳」

のように例えられるかも知れないから

人の共感性を育てて思いやりを育む中で
人の脳が「戦争脳」にならないような

教育や療育の環境整備が重要だと思う。


そう考えると道徳の重要性もさることながら

自分の気持ちや考えを理解する事にも繋がる事として

同じ地域や国に住まう人達に
考えや気持ちを正確に伝えながら
相手の考えも理解する為の

母国語(国語)とそれを駆使した
論理的思考力の重要性に行き着くはずで

今の時代は日本語の利用が乱雑で

言葉や文章の理解と
論理の構築もままならない人達が増えてる
問題も大きいと思う。

例えばTwitterの140文字程度の文章さえも
正確に読み取れないどころか
特定のワードだけに固執するあまり
(ASDに多い問題)

酷い場合は180°くらい正反対に受け取る人さえいるし

そこまで来ると
同じ言語を使うのに平気で曲解して来る
相手側の問題で

言語が通じない事で分かり合えない 
猿を相手にする方がマシだと思えてしまう。


それと自分なりの分析としては
人間の脳の言語中枢=
扱う言語で思考する=論理を構築する
という要素として

脳科学と心理学、言語学などを
組み合わせながら総合的に見た場合に

その地域の文化的な部分まで合わさる中で

言語そのものの構成=
主体性と思考にも影響しやすい…   
という仮説をたてるなら
(かなり以前も似たような事を載せた)
 
特定の言語=

それをベースに頭を使う= 

思考や精神性に影響する可能性=

それを扱う側への価値観や文化的な影響など

が全く無いとは言いきれないし

寧ろ主体性に関連するような

「より良い言語」について
脳科学や心理学的にもきちんと調べて

新たな言語の創造に繋げる…
みたいな事を考えても良いかも知れない。
(寧ろ共通言語を英語にする必要性は無いと考える)


ちなみに上記のように書いてから
日本語について客観的に考えると

実は相当複雑でテクニカルな言葉かも知れない…と思ったし

例えば同じ言葉でも意味が全然変わる…
みたいな事は結構あるので

ニュアンスの違いを理解できない特性だと
(ASDなど)

相手の感情の理解に対しても
確かに苦労する部分はあるだろう。


特に地域性まで出るような
方言の問題まで合わさると

当たり前のように使い分けてる側からすれば理解するのに造作がない事でも

違う地域の人からすれば
結構なすれ違いの原因になるかも知れないし

例えば関西圏で使う
「アホ」
みたいは言葉も
意味や使い方としては決して一つではない。


例えば本当に相手をバカにする意図で使われる事もあるが

相手が変わった事を言うとか
間違った発言に対して

「アホな事を言うな!」みたいなニュアンスとしても使われるし

使う側としては誹謗中傷の意図はない。

しかし言語的理解の度合いも絡むと
アホ=暴言=誹謗中傷
と結びつけやすいかも知れない。


特に関西だとリアクション

動きや仕草= 
まで複合して

その時々の感情表現をしようとするから

ワードや文面だけで判断するよりは

全体像として相手の発し方など
細かい部分まで見て判断する要素があるし

例えば関係性がある相手からすれば

笑いながら「お前アホやろ?」

みたいな発言をした場合は
ツッコミ程度の扱いになる。



とはいえ
自分が関西の子供にとして育った時には

そういう細かい使い分けを理解出来ていた訳ではないし 

例えば関西芸人がやる
人をいじるような笑い」も

子供の頃に誰もが真似ようとする反面

芸人側はお互いの関係性として
見えない部分で色々繋がってるから
許容してたり成立する…

みたいなのが実情だとしても

大人の模倣をしやすい子供だと
そういう裏事情を理解せずに

新喜劇なんかに多い
「見た目いじり=ブス扱い」

みたいな状況を見る中で

悪気は無くて雰囲気を盛り上げたいだけとはいえ 

「お前ブスやな」みたいに関係性の無い相手に使う事で

ただの虐めみたいにもなりやすい。


確かに今思うと
お互いの関係=暗黙の了解として
繋がりが深い相手だと
相手の意図も理解出来るから、

お互いに
「お前アホやろ?」
とか
「コイツ頭おかしい」
みたいな言葉も

2人の中では笑いの一環で
普通のコミュニケーションとして成立している事もあるが、

関係性が無い側からすれば
確かに誹謗中傷にも近い。

だから人の気持ちを理解した上で

相手の性質とか細かい部分を加味しながら
同じ言葉でもニュアンスを変えて伝える…
みたいなのは

例えば一部の発達障害特性からすると理解しづらくて

真似ようとしても失敗しやすく
相手の冗談も真に受けやすいなら
(特にASDに多い)

独特のノリに適合出来ない…
みたいな事は多いだろう。


特に関西のノリ=
その場その場の雰囲気や

喜怒哀楽が入り交じる
自分の感覚とか感情表現も大事にする 。

みたいな中で

感情の比喩表現も多用するし

例えば本気の攻撃の意図ではないものの
ちょっとした不満を共有したい…

みたいな時には
「アイツしばきたいわ…」
みたいに普通に使う事もあるが

それを聞いた側も
発言者に共感出来る事が前提でもあるし

共感出来る側からすれば
「まぁ色々あったならお前の気持ちは分かるで?」
といったやり取りに繋がるとしても、

例えば自分がアスペルガー傾向が強い相手と付き合った時は

上のような感情の比喩さえも
「人を殺そうとしている!」
みたいに捉えて警察に通報しようとする
めちゃくちゃな所があった。



特に関西でもちょっとヤンチャな雰囲気とか
ガラが悪い事に成れてる場合は

「死ね」「殺す」みたいなのも
感情の比喩で使う場合もあるし

これも表面的な「殺す」という部分だけではなく
その前後のワードとか態度など接続的に使われる内容まで読み取っ

「本気の殺意ではない」
と伝わるだけに

今思うとアスペルガーなどの一部の
発達障害には全く理解しきれないような

高等な言語表現とも言えるし、

それらを普段から当たり前のように使い
細かい表現を使い分ける事まで出来ると

自分達の当たり前が
他からは当たり前ですら無くてすれ違いにも繋がるのだろう。

なので自分の経験としても
そのノリや雰囲気が成立する相手と思い込んでも
実は相手がそういう冗談とか
感情の比喩を理解できない特性だった場合に

こちらとしては悪気はないのに
本気で嫌悪されて

挙句拒絶される…みたいな中で
向こうの勘違い=話し合いたい
と思っても、

向こうは本気で悪い相手と思い込む
被害妄想にまで発展する場合もあるので

元々そういうつもりじゃない
人の気持ちを理解できない特性から
悪い人間のように捉えられて
酷い対応をされる

逆に追い詰められた中で
怒りを感じる
本当の加害者になってしまう
みたいな流れは少なくないかも知れない。

なので自分なども
そういう相手のアスペルガー的な
特性について知らないうちは

曲解や誤解から
こちらの立場が本当に悪くされてしまうような
究極のサゲマンみたいな相手に
潰されそうになった事もあるし、

世の中の事件に繋がる原因の何割かは
そういう人の気持ちを理解できないからこその問題はあるはず。


一応別の具体例として
アスペルガーの被害妄想の問題としても

その人は自分自身の発達障害特性に 
無自覚なAさんの視点=
他の人にない感覚過敏=

特定の音(この場合は鼻をすする音)
不快で他の人も嫌がる事だと思い込むとする

しかし
Bさんからすると生理現象+
鼻をかむ方が迷惑として我慢=鼻をすするとしても


Aさんからすると
本当に不快=
相手が嫌がらせでやってるという被害妄想 
(自分はすすらずに鼻をかむから鼻をかまない側の気持ちや理屈が分からない)=

本気で相手を嫌悪する=
許せないとまで考える 

というとんでも理論の中で
実際に逆恨みする人を知ってるし

冷静に考えればこれって
めちゃくちゃ危険な思考ではないか?

とはいえ
この場合のAさんからすると
自分が特殊な捉え方とか
思考の問題がある事に全く気付いていなくて

寧ろ
ダニング=クルーガー効果のように

「勉強出来てそれなりの学歴と職歴や稼ぎが
ある私は人より優れているから
自分が間違ってるわけが無い」

という究極の勘違いまでがあった

なので
上記の内容に対して 

本気で相手を逆恨みするアスペルガー特性を見抜いた時に

その人に発達障害についての指摘をした所

これまた言葉の切り取りをしやすい
特性のマイナス面として

「障害」というワードで切り取る事で
「酷いことを言われた!許せない!」

みたいな反応をされたし

流石にキツいものがあった。

なので冷静に見ればその人が色んな面で
既に不適合を起こしていたり
壊れた人間性だとしても

本人は無自覚=
見てきた世界や自分の主観が正しい

かのような、
まさしく 「自閉」な脳と思考だったので

反対意見=攻撃された

攻撃されたから反撃する…
みたいになり
名誉毀損レベルの相当酷い事を言われたし


それが
発達障害や脳の問題にも詳しい自分だったから
相手の本質的な問題として諦めがついたとしても、

もし違う相手が
同じように酷い言われ方をして
貶められたと考えたら

場合によれば
明確な復讐心と殺意に変わっても
おかしくないだろう。
 

だからこそ

そういう意味でも
本人が自分自身の「加害性」(加害力)に
無自覚な場合は

追い詰められた側も何故そうなってるかに 
気づかないまま
(相手が発達障害だと見抜けない人が殆ど)  

感情の縺れや意見の対立の中で泥沼に嵌り 
切羽詰まってしまう状況=

カサンドラ症候群としても
影響が出やすいだろう


これが完全に当てはまる内容としても

アスペルガー傾向が本当にある
堀江貴文氏が

自分がどう思われてるか?
に無自覚なまま

餃子店主の反感を買う態度や言動で
退店させられた事を

自分が悪くないのに
色々言われた!

みたいに過剰反応した結果と分析している。

餃子店主側も
相手がそういうアスペルガーな人で

細かい説明を聞かないと納得しにくいような
定型発達ではない人(障害特性が強い人)

というのを理解すれば
少しは違ったかも知れないが

人の気持ちを理解しつつ
一般論(今回はマスクのマナー)を元にした 
思考が出来ない
堀江氏の問題の方が顕著だろう


だからそういう相手の問題=
そうなりやすいメカニズムを知らないで
関わってしまったが為に

関わった相手を不幸にする
(寧ろ前述と同じで本人は被害者だと信じきっている)

問題は本当にあるから 

本人の認知の歪みが大きくなる前の対応=
検査の義務化と適切な療育=
自制心が育つ

という流れを
きちんと作って欲しいのである。


あと補足として前述の堀江氏に関する事で

その前の内容とも重なる
見えない部分で関係性があるからこそ成立する
言葉のカラクリを理解してない事で

本人としてはテレビなどで見る芸人がやるように
馬鹿だのアホだのと言ってる節があるし

他の人が言ってるから悪い事ではない…
かのような論理に陥っている可能性がある


後は冒頭で記載した 

発達障害当事者ならではの
「思ってる事を言う事が自分らしさ」
みたいな勘違い理論から

それが暴言でも言いたい事を言う方が良い…
みたいな自分主体が影響した問題があると見ていて 

それを支持する側も同じ思考の
発達障害者の可能性があり

堀江氏や
はたまたトランプのような
ただの暴君でも

忖度がない分かりやすい人(正直者)という
ポジティブな印象で見てる節もある。
 

※状況証拠から見る
堀江氏の発達障害特性の問題↓