月別アーカイブ / 2019年02月



近年の煽り運転や
短絡的な事件事故の加害者と
スマホやインターネットの利用率などを
厚生労働省は
脳科学や精神医学的にも
実態調査をしつつ
きちんと調べるべきで
 
例えば
脳神経などの分野に於いては
「脳過労」という症状が認められているように

従来は存在しなかった
スマホ利用による 
脳のマルチタスクが酷使される中で
脳の神経細胞の生成や
神経伝達物質の供給が追いつかない状況になり

脳の過労と栄養失調とも言える
状況の中で
脳の機能不全に繋がり

脳の萎縮を引き起こすならば

当然萎縮して正常ではなくなった
脳内では
正しい情報処理が成されなくなったり

理性や感情を司る前頭葉が萎縮し
機能が損なわれるならば
当然感情の抑制が効かず

理性的に行動できない状況になったとしても不思議ではないし


更にスマホのSNSやゲームなど
人為的に作られた非自然的な環境の中では
ドーパミンを必要以上に分泌させる事にも繋がり
脳内麻薬ともいえるドーパミンの
分泌により

いつしか薬物依存や
ギャンブル依存などの時の
脳の反応に似た

「ドーパミンが出ていて興奮している状況でようやく満たされる
(安定する)」
みたいになってしまうと

刺激を受けていない状況に対して

薬物などの依存状況の人が
未使用時に禁断症状とかで
イライラしたり不安に駆られるように
スマホでSNSやゲームをやらない時に
ドーパミンが分泌されない事で

満足出来ない状況に陥り
当然イライラしたり
抑鬱状態を引き起こすとか
良くない精神状態になる事は想定され

今後は脳の酷使による機能的な
弊害も含めて

今よりももっと短絡的な人間が増えていって
事件事故の増加に繋がる事は起こり得るし


日本の厚生労働省や経済産業省が
それらの弊害について慎重に調査してから
選別しつつ導入していれば
こんな事にはならなかっただろう。


そして
経済活動や利便性などを優先的に追い求める中で

それによって引き起こされる
様々な問題など深い部分にまでは目を向けれず

国民の生命と財産を守るなどと
謳いながらも
軍備増強だけが国民を守るかのような勘違いをしていて

結果的に国の内部から
人間の引き起こす問題についての対応すらしてこず
結果的に国民を守れていないような
この国は
最早健全な社会運営が成されておらず
まともな国家とは言い難い。

有識者と呼ばれる人がこの内容を見たならば

本腰を入れて対策を講じて貰わないと
とんでもない事になるだろう。

そして
その後引き起こされる様々な問題については目を向けれず

経済効果とか
表面的な利便性という
そういった部分だけで
テクノロジーを生み出し続ける
科学者や研究者、
クリエイターなどは

人類の未来について
もう少し想像出来ないならば

彼等が生み出すものは
人々を決して幸福にはせず

逆に人類を地獄に突き落とす事に
さえ繋がるだろう。

刺激の強い現代社会の問題が
脳に与える影響についてのリンク集↓




最近SNSなどで
こちらの発達障害などについての
意図や論理について

根本的な部分で何も分かっていない人に批判された事があるのだが

一部の脳科学や精神医学的見地というのは

例えるなら
他の外科や内科的な分野なら
見るからにその部分が腫れていたり損傷が見られるから
「このような手術や治療をする」とか

検査による数値化されたデータの中で
「その数値の組み合わせだと
この内臓疾患に当てはまるから

その病気に対しての疑いを持って
問題の出ている原因を見つけつつ
治療方針を模索する...」

という
分かりやすいプロセスがあるが

精神医学などにおける
心への影響は脳の機能的な要素があるので

例えば脳の神経細胞や神経伝達物質による反応を
その都度目に見える数値やデータとして確認出来る領域ではないからこそ
専門的見地による洞察と推論に頼らざるを得なくなるし

精神医学において
カテゴリー分けされた精神的な
反応に対して
「この人はこの障害である」
導き出す際には
相手を観察し洞察しながら
その人の傾向を見極めつつ
一定の部分から結論付けて改善を模索する...

というのが普遍的な事なので

場合によれば
過去の事例や臨床経験による
事柄に当てはめる部分での判断に頼らざるを得ないことから

「それは論理ではあっても根拠には乏しい」
と言われてしまえば

精神医療そのものがそういった
側面が強い世界だから

「目に見えるデータ以外は
信ぴょう性の無いもので他は眉唾でしかない」
みたいに機械的に考える
抽象的概念を理解出来ないタイプは

精神医療の世界には向いていないし
精神医学について理解を深める事も難しいだろう。

当然根拠があるからこそ
向精神薬などが存在するのだが

その効果を示すような薬の成分というのも 
血液検査などから見える数値というデータというよりも

効果が出ていて反応や症状の改善という感覚的なデータや

マウスなどを用いた生物実験や
臨床実験の中でようやく見えるようになった反応に際しての
統計的に出るデータで
判断する要素が強いので

以前自分の発達障害についての
論理に対して
数値化されるような根拠を示さないのは問題と言ってきた医学生がいたのだが

自分からすると
そういうタイプこそ
「何も分かっていなくて
自分が教わった数字的なデータによる知識に偏った頭でっかちな人間」
に見えたので

自分の脳内で一定の納得が出来ないタイプとは議論するだけ無駄だと思った事があったが

どうも彼はASDタイプで

彼のように 
「自分が見聞きした知識と経験が全て正しい」
というタイプは

本人が見聞きしていない事については疑ってかかったり、

自分が認めたり仲間意識のある
相手以外には

最初から批判や否定的感覚でそれを見ようとするあまり

相手の発言の信ぴょう性についても信じにくい事も多い事から

やり取りしていて一番厄介な人だと思えたし

その人にニュートラルな視点がない限りは
いくらこちらが説明したとしても
共感や理解を求める事も難しい事から
その人が仮に他者を敬い、
リスペクトする感覚があれば

「対話」の中で折り合いが付けやすいとしても

前回の内容とも重複するが
たまに勉強が出来て高学歴になったタイプは
自己万能感や自己愛が強くなる事で

「自分こそが能力が高くて価値のある人間だから
他の人間は比較対象として見れば
自分よりも劣った相手で
同じ学歴や社会性地位でもない
相手は同等ですらなくて敬う価値もない相手」

という歪んだ感覚を持つ場合もあるので

そういう部分が強ければ強い程
露骨な暴言すら
自分は偉いからそういった対応も許される...

かのような自己中心的な観念が見られる事もあり

その医大生なども直接的ではなくとも
他の場所では相手を馬鹿扱いするとか
暇つぶしや遊び感覚でおちょくる
対象として見るからこそ

発言としても人の事を
「オモチャ」と言っていたようだし

相手の思考や人格的なパターンなどから冷静に分析しても

いくら議論をもってしても
結果的に人間関係としても継続が困難な相手であると思った事があるし

逆にそういった歪んだ自己万能感を持つ中で
不遜にもなってしまえるタイプが
現在医師を志す医大生になっている実情からも

本来医者などは道徳観念が重要で
人の命を預かる責任ある立場だからこそ

そういった
思考や人格形成に何らかの問題があって
危険な考えを持つかも知れない
タイプが
その仕事に就こうとする
現状に対して由々しき事態だと思えた。


昨今インターネットなどでは
個人の発言が
本人の意図とは違うように切り取られる中で

「その人を攻撃対象にして
袋叩きにするような目的で
意図的に拡散しつつ
相手を潰す為に炎上を狙う...」

という歪んだやり方を目にする事があるが

世の中には
科学的根拠などはなくても
「自分はこう思うとか
こう感じる...」
という個人の主観というものは
表現の自由の中で認められてはいるし

例えばその人にとって
出会った不良が10人いて
そのうち8人が反社会的な悪い人間なら
「不良に悪い奴も多い」
と思ってそれを発する事そのものは

「その人の経験値の中における  
関わった不良の総数と悪いタイプの比率による確率」と考えた場合は 

主観として数が多く感じたとしても
何も間違いではないし


かといって

「多い」と言い切るのか
それとも「ばかり」と表すのか
はたまた「しかいない」
という表現だけでも
伝わるニュアンスだって変わるし

他にも
「悪い奴(も)多い」というのと
「悪い奴(が)多い」というのは
似ているようだが

前者は
「そういう人もいる(そういう事もある)」で

後者は
「そうである(そればかりである)」
という部分では

断定なのかグレーな表現なのかについても、よくよく考えれば
ニュアンスとしては違いが分かるはずで

その前の例題にしても
「不良(に)○○」なのか
「不良(が)○○」、「不良(は)○○
という接続詞とその後の組み合わせだけでも
言葉は似ていても
伝えようとする意図そのものは
全く異なるのに

インターネットの普及における
文字でのやり取りの中では
それをちゃんと見抜いたり読解できずに

「この人は決めつけて差別しているから許せない!」

みたいにヒステリックな捉え方をする人もかなり多い印象だし

(これについても
多いと断定するのか
多い印象...という感覚的な部分を伝える為の表現の違いからも
意図が分かるはずなのだが...)

細かい部分まで見れば
人を中傷し攻撃する目的で言っている事か 
そうでないかは分かるように思うけれど

ニュアンスの違いすら知らず
意図をも読み取れないような 
国語力が乏しくて

冷静な論理よりも感情論だけで
判断してしまう人というのは

関わっていると
それらの細かい説明や弁明までしなければならなくなる事で
物凄くエネルギーを消耗するし

思考やモノの捉え方(認知)や
キャパシティのレベルが違い過ぎると
結果的にそこでの関わりや 
その環境が負担になってくるかも知れない...
(実体験としても感じる)

それに 
世の中には
相手が高学歴であっても
「明確な根拠や目に見えるデータ」
しか信じないタイプもいるので

「その人個人がそう思っているという言い回しや抽象的概念」を 
認めたがらないケースもあるので

相手の共感や一定の理解を得るよりも
「根拠のない嘘を言うべきではない」
みたいに
ひたすら否定されたり

「訂正や謝罪をしないのは悪だ」

みたいに独善的な感覚を押し付け出すタイプもいるから

不特定多数と繋がりが持てる
インターネットの世界だと
意図せずにそういったタイプとも関わりを持ってしまう事も有りうるので

運悪く固定概念が強すぎて

「○○でなければならない!」

という観念が強い人と関わると
ストレスの量がぐんと上がるし

フラストレーションも大きくなる中で
時に腹立たしさや怒りという
生理的な反応から
本来生じなくて済む攻撃性が増幅される事にも繋がるので

今の時代においては
インターネットの普及とSNSによって
誰もが簡単に人と繋がれるとしても

そこでの関わりについて考えないと
精神的な影響も大きくなって
いつしか生活に支障を来す事にもなりうるだろう。

それと
異なる意見を許せないとか
自分以外の他者の事そのものを
認めれない(認めにくい)とか
受け入れない(受け入れたくない)...

という排他的で共感性が低い人が
増えている要因としても

いくら社会の多様性があっても
ネットの世界のように
特定の趣味や趣向などに執着出来たり
繋がれる相手も限定出来る環境の中では

相手や話題を選別する中で
かえって社会性や協調性、共感性が育ちにくくなり

固定概念や個人主義が育ってしまう弊害についても憂慮するので

インターネットの利用などは
先に社会性や共感性などを
一定以上身につけてからではないと

思考のバランスも悪くなって
いざネットで人と繋がっても
偏った主義主張の者同士で
固まってしまい

他の意見を聞き入れられない状況に陥る事を懸念する

自分なんかも極力相手を選びたくないものの 

最初から疑ってかかるとか
否定が強いタイプについては
対応したくても流石に限度があるし

相手がある程度
人を尊重出来るタイプなら
関係性を構築しやすい事から
お互いの着地点を見いだせたとしても

他者を尊重し
リスペクトする感覚よりも

「自分こそが能力が高くて
ちゃんとしている存在だから
その他の相手は劣っている...」

みたいな
歪んだ自己万能感が育ったタイプもいるので

関わりを選ばないと
相手が自分よりも劣っていると感じた時に
平気でその人を見下したり
「馬鹿だのアホだの暴言を吐くのも許容範囲」

みたいな傾向の人もいるだけに
(それが顕著な分かりやすい例だと堀江貴文氏などは典型的なタイプだろう)

そもそもの相手からの
負の感情から
怒りや憤りというネガティブな感情が膨らむ中で
マイナスな影響の方が大きくなるし

自分自身もまだまだ足りない要素としては
社会において他者への慈悲や
許しの心が
もっと増える事でより良い流れには変わって行けるとは思うが

個人のエゴイズムを育てるような
今の人間を取り巻く社会環境に於いては
人の調和すら困難な道のりがあるように思う。

(※一部の人間が他の人を認めにくい背景には
学校教育による「成績」などの表面的な部分で優劣をつける流れの中で
目に見える結果を出せたタイプ程、
その成績や評価まで至っていない他の相手と比較する中で
やっぱり自分は正しいし 
評価が追いつかない他の人間よりも
認められるだけある特別な存在なんだ...
という勘違いと増長による
自己愛や自己万能感が育ってしまうケースに繋がる問題は孕んでいると感じる。)

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