月別アーカイブ / 2018年12月


自分自身が現実問題として
発達障害の支援や
当事者との関わりの中で感じた事は

例えば自分のようなHSP傾向と
定型発達や発達障害者とは
脳の使用領域そのものが異なる
部分が大きい事で

同じ姿形の
人間という生き物ではあっても
脳の機能が違えば
物事の捉え方や情報処理能力などの
インプットやアウトプットにおける
能力的な部分も異なる事から

異なる惑星の人間かのような相違や
思想観念の差異も生まれやすく 

更にそれをわかりやすく例えると
全く同じ外装のゲーム機でも
中の基盤がファミコンと
プレステやメガドライブくらいの違いがあれば
互換性が持てなくて、考えや価値観というソフトを
共有しきれないようなものとも表現出来る。

なので 
それ程の差が生じてしまうと
こちらが考えていて
相手が理解出来ない内容に対しての説明を
言語化する中で
それを100%伝えきるのは不可能だと思えたし

理解しあえる相手というのは
現実的にみれば
「誰とでも」とはいかなくて
やはり限界があるように思う。

これについては
SNSなどで発達障害の傾向が見られる相手との関わりから

その人の共感性とか
脳の情報処理的な部分からも
人の気持ちや意図を読み取る能力的な部分への限度があるのも痛感したので

わかる人にだけ理解して貰えたら良い...

くらいのスタンスに変わった部分は大きいし

相手に対して
いくら時間を割きながら
懇切丁寧に説明したとしても

理解が及ばない人に対しては
それが徒労にしかならず
精神的なエネルギーを消耗させた挙句

こちらが受ける心的ダメージの方が大きい事で

限りがある時間と自分の命
(エネルギー)を費やすのは
割に合わないと判断した為である

なので
勝手な受け取り方をされて
曲解された挙句
批判されたとしても

相手によれば
それについて
いちいち説明していては
キリがない事がわかったし

一部のSNSなどで
考えを共有しにくい相手は
一定のラインで通じなければ

ブロックする事による
自己防衛の中で
精神衛生を保つ事を方法として
選択しようと思えた。

(相手の人間性によれば話し合いの余地があるものの、固定観念が強く
間違いを認めないタイプなどはかなり厳しいし
その人のパーソナリティによるものの
気に入らない相手の事はどんな事があっても認めたがらないタイプなどは絶望的である)

なので
深い話しや
主義主張などの話題は
ある程度相手を選ばないと
理解しあえない時の
失意の方が大きいので

この人とは相容れない... 
みたいに
そこは割り切って考えないと
仕方ない部分なのだろう。

ちなみに
発達障害者についての
知識などが無かった頃は
「どんな相手とでもいつかは理解し合える」 
という幻想を抱いていたのだが
逆に彼らを通じて

「人間(人類)の本質やその可能性と限界」

というものも見せつけられたように思える。


以前から民主主義や資本主義、
その他の方針に代わりうる
新しい(本来は元々あった)
地球主義的な方向転換についての
提言をしてきたが

改めてそれについて説明したいと
思う。
(場合によれば
過去の内容と重複する)


今の民主主義が認める自由や権利についても
そもそもの「自由」とはなんぞや?
という部分で考えるべきで

例えば自然界で自由に生きる動物には
本当に何も制約がないのか?

といえば、
狼なら狼としての掟とか
その種族としての範疇で活動していて 
わかりやすく例えれば
自由な狼だからと羊の群れの中で暮らす事はないのである

なので自由とはいえ
その領域を越えない範囲が存在していたり

習性や本能的な部分から
「この季節はこれをする」
という明確な指針があったりもするし 
人間特有の
何をやっても許されるような

「際限ない自由」や

それを求める権利は
行動の抑制が効かなくなる分
やはり問題があるし

人類史においては
人間が余計なチカラまで持った事で
地球上の生物としての範疇を越える事をし続けた結果が

地球環境を破壊するだけに
留まらず
多くの争いに繋がったり
自分達の脳と精神にも影響を及ぼす中で
様々な問題に繋がっているように見えるし
(※過去の暴走進化についての説明を参照)

自由や権利、そして
文明が齎す道具やテクノロジーにおいても
制約が無いままそれを扱うのは
危険な事であり

例えば
包丁を手に入れて
自由と権利の中で
それをどう扱うかは
その人の裁量と自己決定に委ねられていて

それも性善説的に
間違った使い方をしない前提で
扱う事を容認されているにすぎないし

人によれば
目の前の食材を切る事をせずに
振り回す行為をする事も起こり得るからこそ

制約の無い自由や権利の中で
性善説的な自己決定に委ねるやり方というのは
リスクの方が大きいし

加速度的に進む
物質的な豊かさと
テクノロジーの発展と共に
そこで問題が起きないようにするには
より細分化され明文化された完璧なルール作りをするしか無くなり

必然的に可視化して監視するようなやり方でなければ
人間の身勝手さを抑制出来なくなるだろう。

かといって 
そのやり方を維持し続けるのは
やはり無理があるように思うし
(人の頭脳や能力における
キャパシティの問題や
精神面への弊害)

だからこそ人類そのものの営みを
縮小させていき

限られた範囲とその資源の中で
生きるために必要最低限な
ライフスタイルにシフトしていき

それを維持する為の
シンプルで分かりやすいルールを
守りながら
人々が慎ましく暮らす事が
世界的な流れになれば

人間が引き起こす
様々な問題も
必然的に解決出来るように思える。


「巣立ちからこれまでの事」

前回の事があって
施設を出てから住み込みで仕事を始めるが、

当時の製造業の仕事疑問を感じながら仕事をしていて

「機械を作る為に機械を作る事」と
それに伴う電力需要に応える為に

結果的に原子力発電などに頼ったり
(東日本の原発事故より遥か以前の事である)

水需要に応える為に湖が開発されて
水質汚染に繋がった事などを考えて
自然保護に目を向けるようになった。

しかし自然保護と物質文明は相反する面が
大きいので

自分自身の生活の為にそうした人間の便利さや都合の為のモノを作仕事をしながらも、

本来は自然保護活動をしたいという矛盾から来る葛藤があって、
相当なストレスを抱えていたように思う。

当時、地元の大学の自然保護活動をされている教授と直接話す機会があり

人間のエゴの為だけに、他の生き物の
命を犠牲にして生態系を壊し 

地球環境を破壊している無駄の多い
現代人のライフスタイルへのンチテーゼを提唱しつつ
人間の自然回帰を訴えた時には 、

その教授に 
君は大学に進んで自然保護活動をした方が良い…」
と勧められた事すらあった。


葛藤しながらの仕事のストレスも強かったが
プライベートの面では
過去の家庭環境において人の温もりや愛情を誰よりも欲していた為

当時の失恋を通して、
「幸せを求めてもそれさえも得られない辛さ」
を感じる中で
強い絶望感を抱えていた事もあった。

施設を出てからの十代後半から
二十代過ぎまでの数年間一つの仕事をしていたのだが、

矛盾を感じながらの仕事のストレスと
その後の失恋のショックで自殺未遂をした事から、結果的に仕事を辞めることになった。

その後は時間が出来たので
元々あった 「自然と人間の共生」への思いから
自給自足に憧れるようになり

有機栽培の農業の勉強をする為に
地元の農家を廻り
飛び込みで実習先を見つけて農業に関わっていた事もあった。 

当時「IターンUターン」の転職の情報誌を買っていて、その情報から
林業の体験で京都の美山町に行った事もあるし、酪農ヘルパー制度の実習の為に、酪農家の所へ泊まり込みで酪農の勉強をしていた事もある。 


今思うと自分探しや居場所探しを
一番していた時期かも知れない...


当時は自己肯定感も低く、人生への失意から自己破壊願望すらあったので
自分を追い込むボクシングの世界に魅力を感じてボクシングを始めたのだが

(※透明中隔嚢胞(強い衝撃によって血管が破れやすい頭の構造)というのが見つかった関係で
当時はボクシングをやれば死ねるとさえ考えるような希死念慮がボクシングを始める後押しになった)

自己破壊願望や希死念慮から始めた
ボクシングだったが
その後、雨の日も風の日も真面目にジムに
通っているうちに、周りからの評価を得られるようになり

少しずつ自己肯定感が育っていき
ボクシングが生き甲斐や自分の居場所に繋がるのだが、

そのボクシングを通して同じく児童養護施設出身の「坂本博之」 というボクサーの
生き方を知り、共感を覚えるうちに
児童養護施設の保育士を目指す事を考えるようになった。

それは「子供好き」という単純な理由だけではなく児童虐待などの報道が連日なされる中で
自分が大人になった今、
家庭に居場所が無く、親の愛情を受けれない子供達に対して
自身が親からの虐待経験者で
どこにも居場所がなかった故に 

「子供達の痛みがわかる自分だからこそ
子供達に手を差し伸べたい…」 

という気持ちが強くなっていった
結果だった。 

施設にいた頃、職員と同じ建物に住んでいた時には食事を貰いに行った家で

小さい子供達に迎えられていて
「〇〇くん抱っこして」
と数人の子供達に抱っこなどをせがまれていた。 

その子供達は実に 「寂しい瞳」 をしていて
愛情を求めて甘えて来ていたし  

そういった光景を見てきた事も今に繋がる
責任感や使命感に大きく影響したように思う。

保育士になる為には高校卒業資格が必要だったものの
その大前提の高校卒業資格が 
以前の高校を中退している自分になかったので
二十歳を過ぎて一念発起し地元の定時制高校の昼間部に入学する事になる。 

十代の頃の高校とは違い服装なども自由だったし、
当時は髪を染めるような事もあったが
その学校では見た目で判断するような教師は居なかったし
 
反発心が強かった十代の頃とは違い
授業態度などは真面目で

積極的に手を挙げて発言したり
授業がわからなければ職員室に行き、

学校に残って勉強を教えてもらう程だったから
勉強熱心さや真面目さを認めてくれる教師も多かった。 

特に当時の担任は自分の夢である施設の保育士になる夢を理解してくれていたし

当時の考えとしては保育士資格があれば
国際ボランティアの青年海外協力隊などにも役に立つ事から

青年海外協力隊の説明会に参加した事もあったので
担任自身が過去に協力隊に参加されていた
関係で深い話しが出来る人なのは有難かった。

ちなみに前の学校での単位や在籍年数の問題があったので
定時制高校でも諸事情あって登校出来ない
状況になり、
その後どう頑張っても卒業する為の単位が足りなくなり

担任には当時の大学入学資格検定
(現在の高卒認定試験)を勧められる事になるが、
単位の関係で結果的に9教科の試験を受ける事になり

1回目の試験では
昔から苦手な数学以外は合格していて

二回目の試験で最後の鬼門である数学だけは 知人の理工学部の大学生の個別指導で合格する事が出来た。 

晴れて高卒程度の資格を得て
進学出来ると思っていたが、
経済的な問題などが足かせとなり 

奨学金もおりず結局進学する事も出来なくて
思わぬ所で足止めを喰う事になり
結果的には諦める形になった。 

しかしその後の人間関係では精神的に問題を抱える相手の相談役になる機会が多く

生まれつきの感受性の強さなどから
相手のメンタルの問題などにいち早く気付ける自分の性質も手伝っ

そうした適性を知った人から
ピアカウンセラーの要請講座を受ける事などを勧められたのをきっかけに

自身の経験を活かす事が自分の道だと気付くようになった。

ちなみに
精神的な問題を抱える当事者の中には
精神科医などの前では自分自身の事を
適切に説明出来なくなる人もいて

ネットを通じて相手の話しを聞くと、
その相手が主治医の前では話せないような事を色々伝えてくれるような経験の中で

自分自身が精神保健福祉士などの資格を持つ事が出来れば

例えばチャットなどを通して
相手の困り事やメンタルの問題の
背景にある事を把握出来れば

仮に遠方の相手であっても相手の最寄りの専門機関に対して適切な情報提供をしつつ

具体的な治療の後押しやサポートに
繋がる支援が出来るのではないか?
と思うようになった事で、

その分野の中で自分なりに出来る事を考えるうちに資格取得などを目指そうと思えるようになって今に至る。
 

嘗ては自分自身が周りに振り回されて来た
過去もあるから過去が色んな影響及ぼす事は痛いほど分かるし

そうした過去そのものは変えられないから
時に自分自身も、その過去や背負うモノの重さに押し潰されそうになる事もあるが
 
「過去は変えられなくても未来はいくらでも変えられるんだ…」 

「自分の人生は自分で切り拓くしかないんだ…」

「諦めなければ道は続く…」

と自分に言い聞かせ 

強い姿勢を忘れずにいたいと思う。

昔から闘う事を宿命付けられたような
人生なのだから...

まだ今は夢を現実に変える為の旅の途中でしかない。

(後書き)
この内容は以前別のSNSブログで
「ノンフィクション」
というタイトルで書いていた内容を改変したものですが

こういう経緯がある事で
ここまで物事を深く考えたり今に至る責任感や使命感にも繋がった...という部分で

見た人にとって何らかのヒントになったり
自分の思いに対して僅かでも
共感してくれる人がいれば嬉しく思います。

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