どう足掻いても運命が変わるポイントが人生にはある。人生において大きくレールが切り替わる大切な節目はそこまで多くはないと思う。それが眼前に現れること自体、そこまでどう生きて来たか、培って来た価値観の上に表在化してくる。それを考えると、その境遇に逢う事さえ、それも含めて運命であるとさえ思える。(それは自由意志か否かというのは、また別の話)

この世界の物質が全てそうである様に、芸術にも本質に相互作用がある。ヒトにだけ許されたコミュニケーションであり、ソレが生まれた日から地球の表面を伝うかの様に伝播し覆い尽くしていく。波紋が届き、その余波が誰かを震わせ続け、誰かもまたそれを発し返さんと試みる。ある物がある物の為に存在し干渉する。

人はいつか死んでしまうから云々という言葉があるけど、この言葉の意味を定期的に掴んでは手放す。何を指しているのか分からなくなってしまう。別に生きた証を残すために生きている訳ではないし、誰かの為に生きようが自分の為だけに生きようが人は人で、上も下もない。個人の矜持として言えるのは、自分が美しいと想う物が、誰かの生きる糧になる事を祈り、精一杯考えて生きて行きたいという事。そう生きれているかは分からないけれど。自己採点はとても低い。

けれど、その様に美しい生き方を地で行ってる素晴らしい先人達のお陰で自分は今日も生きていられる。明日が来るのは、誰かがヒトの為に生きて、間違いなく誰かが僕のために用意してくれた日だ。広く浅い波か、狭く強い波か。確実に言えるのは、限りなく高く広大な、今まで体験した事のない形式の波紋に晒され、濁流に身を任せる事になる。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。