■水は積極的にこぼします。どうも僕です。

■歌ネットに三回分のコラムを連載させて貰いました、もう全て公開されているので是非読んでみて下さい。自分と歌詞の向き合い方について綴りました。あと、ギターマガジンにコメントが掲載されていました。嬉しいですね。敬愛する作品について書けて嬉しい。いつか表紙を飾らせて貰いたいものです。

■ポップミュージックの性質上と言えるが、作品の内容について語れることは非常に少ない。そこを語ってしまう事ほど面白くない事はない。これもコラムに書いた事だが、思考の過程というのは経ること自体が意味になる。ゴールテープを切るより、そこまでの道のりの方が大事だとも言える。「"成功"ではなく"成長"に捉われろ」というのはケイスケホンダの言葉だが、正しくその通りで。

■宮崎駿という自分にとって神の様な存在のおじいちゃんがいる。いつまでも元気でいて欲しい存在だ。彼は映画に無駄なカットを一枚たりとも切らない。色んな形態はあるが、いわゆる長編映画というのは約二時間で作品を語り尽くさねばならない。故に、悠長に雰囲気だけのカットを入れたりする事はない。この点だけなら、そんな存在は彼だけではない。ピクサーだってそうだし、優れた監督の作品は皆それに近い。ただ、全てのクリエイターがそうかと言われればそうではない。週に一度放送の気合の抜けたアニメを見た事はないだろうか? TVシリーズがそこそこ人気だった勢いで惰性で作った邦画を見た事はないだろうか? 雑な説明だが、クリエイターの気質としてこの2例は全く別の思想の元にあるという事が分かる。

■バックグラウンドを知るという事は、作者に対してある種の信頼の様なものが発生する事になる。これが受け手にとってどこが得なのかと言うと「この書き方はしない」という範囲が分かる点である。宮崎駿の例で言うと、彼は無駄なカットを一枚も入れない。と言う事は、全てのカットを考察の対象にして良いと言う裏付けが取れるという事になる。高畑勲の作品も含めジブリは作品を読み解く上で難解な点も多いと言われているが、その意味に置いては逆に、ある意味簡単だとも言える、という事である。以上、コラムについて補足になる事を一つ書きました。

■自分は人様に偉そうに講釈垂れれる様な人間ではないですが、作品は言わずもがな、文章でも音声でも何か世の中に放つ機会があるのなら、少しでも読む人のプラスになる情報を書きたいと思っている。当たりさわりないというか、おおよそ頭に最初に浮かぶ様な、間違った一般向け思想のテンプレートは書きたくないし、わざわざ自分のコンテンツに触れようと来てくれた人に対して失礼な内容にはしたくないなと、そんな事を思う。

■そんな感じで今後もあらゆるコンテンツは意図的に行なっていくので、良かったら読んだり聞いたり見てやって下さい。よろしくです。

■次回は遂に「パレットハウス」について更新します。