前に黄金の太陽の事を書いてから、またやりたくなってうずうずしている。しかし今はゲームに裂ける時間はないので我慢している。70歳とかになったら昔を懐かしみながら旧ハードでのんびりとプレイするのもアリかなと思う。

買い与えられる事が少ない家庭だった。お菓子もジュースも他の子の家より少なかった。それが不満だった訳じゃないけど少なかったこと自体は明確に体感として記憶している。いや、でも当時は不満だったかも。お菓子とジュースもっと欲しかった。でも肥満になってたら嫌だったからどっち道少ない方がいいか。そんな環境で買って貰えるゲームは貴重だった。新しいハードを買って貰うのも発売後しばらくしてからだった。たまに買い与えられる数少ないソフトは火を吹くくらいやり込んだ。そのせいか、どの作品も今の自分のクリエイションにおいて血肉になっていると、はっきり思える。そこまで名作じゃなかった物もあると思うが、そのゲームを十二分に楽しもうという姿勢だったので、どんなゲームでも自分には特別だった。

今となっては疑う者は少ないと思うが「ゲーム」というのは音楽・映画に並ぶ嗜好品、そして"娯楽"であり"表現"である。ある一つの世界をはっきりと作り上げる。視認が出来、更にコントロール可能、という最も分かりやすい形で。そこに息づくモノの空気は、むせ返るほど脳に直接訴えかけてくる。大手メーカーから発売されたものだけでなく、RPGツクールという"ゲームを作れるゲーム"で作られたゲームを買っていたこともある。お金を払って開発者の元へメモリーカードを送ると、データが入って返ってくる。そういう作品にも、いくつか多大な影響を受けた物がある。今はHPもロストしてしまって、プレイ画面のスクショさえもない状態なのが悔やまれる。

あのゲームをもう一度プレイする事は多分ない。本気出せば探せるのかもしれないけど。でも、もう一度プレイしなくても、その時の記憶は今もありありと思い出せる。