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■どう足掻いても運命が変わるポイントが人生にはある。

■人間関係でも事象でも、大きくレールが切り替わる大切な節目はそこまで多くはないと思う。

■それが眼前に現れること自体、そこまでどう生きて来たか、つまり培って来た価値観の上に存在する。立ち上ってくる。

■それを考えると、その境遇に逢う事さえ、それも含めて運命であるとさえ思える。(それは自由意志か否かというのは、ちょっと別の話)

■この世界の物質が全てそうである様に、芸術にも本質に相互作用がある。ヒトにだけ許されたコミュニケーションであり、ソレが生まれた日から地球の表面を伝うかの様に伝播し覆い尽くしていく。

■波紋が届き、その余波が誰かを震わせ続け、誰かもまたそれを発し返さんと試みる。ある物がある物の為に存在し干渉する。

■人はいつか死んでしまうから云々という言葉があるけど、この言葉の意味を定期的に掴んでは手放す。何を指しているのか分からなくなってしまう。別に生きた証を残すために生きている訳ではないし、誰かの為に生きようが自分の為だけに生きようが人は人で、上も下もない。

■個人の矜持として言えるのは、自分が美しいと思う物が誰かの生きる糧になる事を祈り精一杯考えて生きて行きたいという事。そう生きれているかは分からない、自己採点はとても低い。

■けれど、その様に美しい生き方を地で行ってる素晴らしい先人達のお陰で自分は今日も生きていられる。

■明日が来るのは、誰かがヒトの為に生きて、間違いなく誰かが僕のために用意してくれた日だ。

■広く浅い波か、狭く強い波か。確実に言えるのは、限りなく高く広大な、今まで体験した事のない様な波紋に晒され、その後濁流に身を任せる事になる。

■さようなら、全てのエヴァンゲリオン。




■また一つ歳を取る前にこの文章をしたためております。

■昔の音楽にハマっております。最近は専ら 安全地帯 と Do As Infinity。どちらも全く通って来なかった音楽だけど、現在の自分からすると逆に新しい音楽のように聞こえる。サブスクの利点の一つである "若者が昔の音楽に触れる機会が増える 逆も然り" というのは全くもってその通りだと思う。

■消費し切れない名作の宝庫である過去のラインナップに胸が高鳴ると同時に、つくづく、自分は音楽がなければ生きて来れなかっただろうな〜と思う。ギターを弾ける両腕とこの喉。誰かのいる所へと運んでくれるこの両足。それを司る脳。これ以上望む物などあろうか?自分たちの音楽も、自分にとってそうであるように、どこかの誰かの心に寄り添えたら嬉しい。今現在も、これから未来で出会う人にも。

■ありがたや アリマタヤ

■ずっとスランプで思ように曲が書けなかったんだなと、過去の自分を見る事で痛感する。年に一枚のミニアルバムというのはリリース・スパンとして決して多い方ではないと思う。書けるには書けたのだが、つまり自分が納得いくような物が中々できなかった。他人の意見を大事に思い過ぎて、逆に身動きが取れなくなっていた。

■でも最近、本当に最近になって、思い通りに曲が書けるようになった。作業が楽しいし先週なんて毎日のようにdemoを上げた。やりたい事とやるべき事がはっきり自覚できたからだと思う。今が一つの到達点と仮定しバンド人生を振り返ってみると、人の意見で成長して、人の意見の無意味さに気づき、人のために生きてみたいと思えるようになるまでの一つの成長譚の様だった (まったく成長に時間がかかる奴だなと思い嫌になる)

■三月は一年ぶりの新曲を配信リリース予定です。一年もかかってしまって時間が惜しい気持ちもあるけれど、今の自分に成長するために必要な時間だったのは間違いないので後悔はないけど。今まで付いて来てくれた人達も、これから出会う人達も、多くの人に聞いて欲しいので、応援してくれたら嬉しいです。SNSでの拡散やYouTubeのコメント欄には本当に感謝しているし救われています。よろしくお願いします。

■デビュー曲でもあるレーゾンデートルに "楽天家に憧れっぱなしで" という歌詞があるが、未だそうはなれそうもない。小型冷蔵庫に猫が入らないか (入れるサイズじゃないのに) そーっと扉を閉めてしまうし、外出時には7回くらい鍵を閉めたか確認に戻ってしまう。毎日不安な事ばかりで、夜は常に浅いレム睡眠的な覚醒状態なので疲れが取れない。震災の時、自分は色んな意味で一人ぼっちだったけど、今はメンバー&スタッフ、僕らの音楽を楽しみにしてくれるお客さんもいるから、そもそも抱える不安の種類も質も変わったから良いんだけど。

■目指す場所に続くレールに乗れたなら、その上の分岐点でいくら迷っても大丈夫。

■2021年もよろしくお願いします。





■先に言っておきます。良いお年を。このブログをいつも見てくれている皆さんに幸あれ。

■今日は1℃まで冷えた。寝ていると毛布で隠れてない顔の上半分が凍てつく。去年のこの時刻は体調を崩して最悪の大晦日だったらしい。その時の事は覚えていないが、そうTwitterに投稿してあった。

■他愛もない事を日記に付けてみようかと思った。普通なら忘れていく様な、その日の気温とか起った事など微かな記憶、写真一枚をきっかけにしか思い出せない程度の思い出。この感覚を消したら二度と思い出さないだろうな、だけどあと一度くらいは思い出したいな、という様な。
思い出を辿るのが娯楽である事にちょっと前に気付いた。人生に節目を感じたり振り返る事も無かったので分からなかったが、よく考えればアルバムという物はその為の物だ。
普通なら忘れていって行ってしまう事は、殆ど忘れて良い事で記録しておく意味は無い。だけど、ごく僅かに思い返して良かった事もあった。
でもその記憶は恐らくトリガーがないと思い出せない訳で、それに当たる日記や写真を消去してしまえば葬られることになる。
現代のアルバムは無論カメラロールであるが、iPhoneの機種変更からのバックアップついでに、
ふと過去を遡って、その写真と共にその時に起きた事を追体験してみる。

悔しくも哀しくもあるのだが、現在との比較で浮き彫りになる過去の日々の嘆かわしさで、珍妙な気分になった。正直、控えめに言ってもう●ちみたいな日々で、よくもこんな人生を送って来れたものだ。しかし写真の当時の自分がう●ちみたいな気持ちで生きていたかと言うと、そういう訳でもなく、その時はその時で幸せに暮らしていた記憶がある。そういう意味で珍妙なのだが、願わくば、それ等全てが成長による副産物だと思いたい。

今がとても楽しく生きているから、特にそんな気持ちに駆られたのかもしれない。もっと今の様に生きて来れたらという想いが悔しさなのかもしれない。でも考え方によっては、あの頃は良かったと思うより良いのかもしれない。現在が輝くなら下らない過去にも幾らか意味はあるのかもしれない。その為に思い出したいのかもしれない。

■でもやっぱり面倒くさいから日記は付けません。過去とかどうでも良い。以上、取り留めもない雑記でした。

■この記事は12/31の23:59に更新されますので、言っておきます。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

■良いお年を&あけおめ&ことよろを同時に綴る戦法。



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