月別アーカイブ / 2018年10月

最近、街を歩いていて、以下に紹介するような親の「パワハラ」が増えていると感じる。
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親から子への虐待事件,子から親への傷害事件が本当に多くなった。

なぜ、こんなことになるのかと毎回思う人も多いと思うが、やはり家庭という密室空間の問題。
周りの人々が介入する余地がない不可侵な聖域。このような枠がある限り、親も子供も壊れる。

家庭が限界を迎えているのではないか?
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子どもへの「パワハラ」に気づかない親の甘え

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(前略)

○親のひどい言葉や理不尽な振る舞い

多くの親たちが、わが子に対してこの上司のような理不尽なことをしています。
たとえば、私はこういう光景を見たことがあります。

ある駅ビルのエレベーターに乗ったとき、小学校の低学年らしき男の子とお母さんが、エレベーターに向かって走ってきました。
お母さんが男の子の背中を押して、「急いで、急いで」と言いながら、2人はエレベーターの近くまで来ました。
ところが、エレベーターが閉まり始め、お母さんがさらに男の子の背中を強く押したので、子どもがドアに肩をぶつけてしまいました。
すると、すかさずお母さんが「何やってるの?ダメじゃないの」と言いました。

私は「お母さん、あなたのせいでしょ」と言いたいくらいでした。
本来なら「ごめんね。だいじょうぶ?」と言うべきところです。
このお母さんは、自分が子どもをエレベーターに無理に乗せようとしておきながら、ドアにぶつかったといって叱っているのです。

自分が原因でそうなったのに叱っているのです。でも、もし相手が大人だったら、このお母さんもそこまでのことはしなかったはずです。

また、こういう光景を見たこともあります。
あるイベント会場で食事の配膳をしているとき、子どもが豚汁のお椀を落として床を汚してしまいました。
すると、お母さんが「何やってるの!
「気をつけなきゃダメでしょ」と叱りつけました。
でも、もしこの相手が大人だったら、そんな言い方はしなかったはずです。
「○○さん、大丈夫ですか?服、汚れなかったですか?」などと言いながら、甲斐甲斐しく片づけを手伝ったりするのではないでしょうか?

夏休みのイベントに参加した子が筆記用具を忘れて、お父さんに叱られているのを見たこともあります。
お父さんは、「家を出るときに言っただろ。
なんでそんなにだらしがないんだ!」などとぐちぐち叱っていました。
でも、そのお父さんも、職場の会議中に同僚が「あ、資料を忘れた」と言えば見せてあげるはずです。
「筆記用具を忘れた」と言えば、にこにこしながら「どうぞ、これ使ってください」と言いながら貸してあげたりするのではないでしょうか?

子どもに向かって「片づけしなきゃダメだろ!
片づけてないものは捨てるぞ」と脅しているお父さんも、会社ではそんなことは言いません。
会社の同僚が「オレ、片づけ下手だから」などと言えば、「でも、アイデア力は抜群ですよ」などとお世辞を言うかもしれません。

親子の間では、このような理不尽なことが毎日起こっています。
(中略)

○権力的な立場に甘えている

なぜこういうことになるかというと、親という権力的な立場に甘えているからです。

子どもは弱い存在であり、親は圧倒的な権力者です。喩えていえば、鵜飼いの鵜匠のように、親たちは子どもたちの細い首をわしづかみにしています。
締めるも弛めるも気分次第です。

親には「子どものため。
しつけのため」という錦の御旗があるから平気なのです。

でも、それはただの言い訳です。
本当は相手が弱いからです。
親は圧倒的な権力者であり、子どもは無力です。弱い相手を一方的に攻撃する……。これは親によるいじめです。

親による子どもへの人権侵害であり、ハラスメントといっても過言ではありません。
子どもをいちばんいじめているのはほかの誰でもない親です。

親にいじめられている子は、弟や妹、あるいはクラスの弱い子をいじめます。

親がいじめを教えているのです。

学校や職場など、社会のあちらこちらでいじめ、ハラスメント、人権侵害が起こっています。

ところが、今から数十年前までは、それが大きな問題であるとは認識されていませんでした。
「人間関係があるところではあって当然のこと」くらいの認識しかなかったのです。

最近になってようやく、それは許されないことだと認識されるようになりました。

ところが、いまだに親子の間では「あって当然のこと」くらいの認識しかないのです。

子どもにひどい言葉をぶつける親たち、理不尽な振る舞いをし続ける親たち、彼らは誰1人として自分が子どもをいじめているとは思っていません。

もう次の段階に進んでいい時期です。
「親のひどい言葉や理不尽な振る舞いもいじめなのだ。親であってもいじめはゆるされない」という認識に至るべきです。

本当に、子どもが叱られている姿を見ると悲しくなります。

実につまらないことで親たちはよく子どもを叱ります。
家で叱るだけでは足りなくて、楽しい旅行の最中にも叱ります。
新幹線の改札口で叱られている子どもを見たことがあります。
ついさっきまで、子どもはニコニコ笑顔いっぱいで幸せでした。そこへ親の冷たいひと言……。

子どもから笑顔が消え、悲しみが広がります。
満開の花が急にしおれるように、子どもはうなだれます。
せっかくの楽しいひとときも台なしです。

あなたは、大人同士では言えないようなことでも子どもには言ってしまう、そういう人ではありませんか?
もしそうだとしたら、それは何を意味するのでしょうか?
それは、あなたはその程度の人間に過ぎないということを意味しているのです。

あなたは強い者にはへつらい弱いものには威張る、その程度の人間に過ぎないのです。

そういう意味で、子どもは親の真の姿を映す鏡なのです。

(引用終わり)

「いつか何々したい」という言葉の背後には、
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「いまは何もしない」という「保留」が隠されている。

いま何もしないのに、

将来に変化が起きていくだろうか?

将来を変えたいなら「いま」を変える。

あるいは「今日」を変える。

これは鉄則である。

未来を変えたいのなら、

その根っこである現在を変える以外に道はない。

5年後や10年後の自分を変えたいなら、

今日の自分を変えていくのだ。


(転載終わり)



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