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柔道の基本は受身!
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受身とは投げ飛ばされる練習

人の前で叩きつけられる練習

人の前でころぶ練習

人の前で負ける練習です。

つまり、人の前で失敗をしたり 恥をさらす練習です

自分のカッコの悪さを多くの人の前で

ぶざまにさらけ出す練習

それが受身です。

柔道の基本では

カッコよく勝つことを教えない

素直にころぶことを教える

いさぎよく負けることを教える

長い人生には

カッコよく勝つことよりも

ぶざまに負けたり

だらしなく恥をさらすことのほうが

はるかに多いからです。

だから柔道では

始めに負け方を教える。

しかも、本腰を入れて

負けることを教える。

その代り

ころんでもすぐ起き上がる

負けてもすぐ立ち直る

それが受身の極意

極意が身につけば達人だ

若者よ

失敗を気にするな

負けるときにはさらりと負けるがいい

口惜しいときには「こんちくしょう!!」と、正直に叫ぶがいい

弁解なんか一切するな

泣きたいときには

思いきり泣くがいい

やせ我慢などすることはない

その代り

スカッーと泣いて

ケロリと止めるんだ

早くから勝つことを覚えるな

負けることをうんと学べ

恥をさらすことにうまくなれ

そして下積みや下働きの

苦しみをたっぷり体験することだ

体験したものは身につく

身についたもの

それはほんものだ

若者よ

頭と体のやわらかいうちに

受身をうんと習っておけ

受身さえ身につけておけば

何回失敗しても

すぐ立ち直ることができるから・・・・・・

そして

負け方や受身の

ほんとうに身についた人間が

世の中の悲しみや苦しみに耐えて

他人の胸の痛みを

心の底から理解できる

やさしい暖かい人間になれるんです。

そういう悲しみに耐えた

暖かいこころの人間のことを

観音さま、仏さま、と呼ぶんです。



親子や夫婦、兄弟姉妹や祖父母、孫などは、愛を身につけるための深い縁があるのでしょう。
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一期一会でお別れするような御縁と違って、家族の場合は切っても切れない関係だけに、「思いやり」の心を磨くために必要な相手といえます。


家族の間で、相手の立場を思いやり赦(ゆる)すことで、無償の愛のトレーニングをさせて貰えるのです。


楽しく幸せに暮らすためには必要不可欠な「相手の心を受け止める勉強」を、家族だからこそできましょう。


ところが、密着しすぎているせいか、他人様には「ありがとうございます」と感謝の気持ちを素直に伝えられるのに、長年同居している舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)、夫や子どもたちには、なぜか「ありがとう」と口から出ない傾向があります。


その心の奥には「嫁、妻、母として、私はこんなに一所懸命尽くしているのだから、あなたたちから感謝してもらって当然」という驕(おご)り、あるいは、「気恥ずかしい」、「言わなくても伝わっているはず」、「家族に言うなんて面倒」といった気持ちがあるのかもしれません。 


そこをちょっと反省して、言葉に出してみましょう。


喧嘩をしたり、慰め合ったり、言いたいことを言い合い、時には依存し合い、甘え合いながらも、小社会の中で磨き合っていくのが家族。


そのために「ありがとう」は、潤滑油となります。


「とてもいい練習台になってくれて本当にありがとう」と思い直し暮らしていくと、感謝の言葉が自然に出て、家の中が温かい雰囲気に包まれてきます。


「ありがとう」は幸せを運ぶ魔法の言葉です!



■あなたの人格を磨き、人間性を豊かにする方法…それは尊敬する人を作ることである。
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■節目で気づくべきは、「いつでもこれからだ」という決意の時である。


間違っても怒りや、憎しみや悲しみのタネをまいてはいけない。


どなたの言葉か記してはいませんが、この二つの言葉は、人が常に前進するために欠かせない言葉ではないかと思います。


尊敬する人がいなくなった時に、人の成長は止まりますし、また、誰の人生にもいろいろな節目があるものですが、その時に怒りや憎しみや悲しみとらわれていたら、前に進んでいくことはできません。


節目はそういうマイナスの感情に溺(おぼ)れている時ではなく、さあ出発だと決意する時だというのです。


その通りだと思います。


百歳の日野原先生のお姿と言葉に、衝撃に近い感動を覚えました。


それは、NHKで放映された、先生のドキュメント番組のことです。


先生はその日インフルエンザにかかり、39度を超す身でありながら、どこかの学校の講演会に熱を押して登壇し、役目を果たし、顔を真っ赤にしながら帰宅されたのです。


百歳の先生が39度の高熱を出している、悪いが講演会は延期してほしいといっても、誰も非難する人はいないでしょう。


しかし、先生は「約束だから」と高熱を押して、出かけられた。


この事実に、私は改めて、先生の使命感の強さを思い、形容のできないほどの感動と畏敬の念を覚えられたのです。


使命感は単なる言葉ではなく、先生の人生のバックボーンそのものになっているのです。


その日野原先生が対談の中で、こういわれています。


「統計によると、私の人生はあと一年足らずしかないそうなんです。


だから自分には死の足音が確かに聞こえてくるように思う。


にもかかわらず、私は常に"上を向いて歩こう"という気持ちを持っている。


とにかく、私の命は神様から与えられたものです。


その与えられたものに対して自分自身がどこまでも充実して、感謝して生きたいと願い、全力疾走(しっそう)を続けています」


人生はいつもこれからが本番、ともいわれています。


先生は現代の覚者(かくしゃ)です。


こういう人の姿を見、気を共有し、言葉にふれていくだけでもご利益(りやく)があるというものです。


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