月別アーカイブ / 2018年01月

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お前は俺にとって、命よりも大切な友達だ。

小学校2年の時、友達もいなかった俺の誕生日にチョロQをプレゼントに持って来てくれた。

その時の600円というのは、俺達にとって大変な金額だった。

とても嬉しかった。

3年生の時、一緒にサッカークラブに入った。

お前は上手で俺は下手だった。

4年生の時、イトマンに入った。

やっぱりそこでもお前は大会に出れるようになったけど、俺は幼稚園児達と一緒に泳いで練習していた。

5・6年生になって俺は野球クラブに入ったが、やはり下手で、いつも皆で野球をやる時、最後にジャンケンで、要るとか要らないとか言われてた。

だけど、お前にけなされた覚えはない。

こんなに差があるのに友達でいてくれたお前を、俺は大好きだった。

中学校に入学してからも、ほとんど一緒に登校したし、部活のない日は一緒に帰った。

昨日の通夜には、行かなかった。

家でタオルを咥えてこの文を書いてたよ。

朝、遅刻をすると内申書に良くないと言って一緒に走った。

お前はよく遅れて来たよな。

今でも後ろを振り向くと、後ろから走って来る気がする。

お前の声が聞こえてきそうな気がする。

今、お前をこうして見ていると、「冗談だ。」と言って、笑いながら起きてきそうな気がする。

起きてきて欲しい。

数えきれない程の人達が、こんなにも悲しんでいる。

俺が、テストで良い点を取った時は褒めてくれた。

俺が、悪口言われている時は庇ってくれた。

お前は自慢しなかったけど、これだけ沢山の友達を持って、これは自慢した方がいい。

よく、『喧嘩する程仲が良い』って言うけど、あれは違う。

俺とお前は、喧嘩した事がないからだ。

時々遊びに来いよ。

夢でも、幽霊でもいいから、盆と正月は必ず来いよ。

俺が死ななきゃならない時は、三途の川まで絶対来いよ。

今度話す時、お前は天国、俺はプロ野球の話をしよう。

最後にもう一度言うけど、お前は俺にとって命より大切な友達だ。

いつまでも友達でいよう。


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インフルエンザが大変なことになっている。国立感染症研究所の推計によると、全国の患者数は283万人。
1医療機関当たりの人数は統計を開始した1999年以降、最多となった。どうやってウイルスから身を守るかを真剣に考えなければならない。

 そんな折、話題になっているのがマスクの効果だ。
一部報道によると、厚労省は「感染拡大を防ぐには有効だが、自分を守る手段としては推奨しない」と予防効果に疑問符をつけている。
インフル予防には"常識のウソ"があるということか。

「そのとおりです。言い伝えを信じていると逆に感染しやすくなります」と警告するのは医学博士の米山公啓氏だ。

「人混みに入るのはインフルがうつるのでやめたほうがいいというのは本当です。問題はマスクをしていれば安全という考え。実はマスクと頬にすき間ができ、そこからウイルスが侵入。あるいはウイルスがついた手で顔を触って鼻や口にウイルスが入ることもあるのです。マスクを選ぶなら『ダチョウ抗体マスク』がおすすめ。ダチョウの卵を使って取り出したウイルス抗体を染み込ませたマスクで、ウイルスを捕まえ、気道に入るのを防げます」


■予防接種の効果も完璧ではない

 家に帰ったとき、うがいや鼻うがいをすれば大丈夫というのも一種の迷信だ。
ウイルスは粘膜の内部に入り込んでいるため、うがいでは排除できない。

 むしろ小まめに手洗いをしたほうがいい。
外出から戻ったときや会社の休み時間などに手についたウイルスをせっけんで洗い流す。
外回りのときは手で顔を触らないよう心がけるべきという。

「『一度インフルにかかると免疫ができるので2度目の感染はない』というのもウソ。
A型にかかった人は治ったあとB型にかかったり、A型の亜型に感染することがあるのです。
予防法はカイロなどで体を温めて免疫力をアップする。
調子が悪くなったら、すぐに医者に行って薬を飲むことです。
予防接種も効果はありますが、完璧ではない。
人によっては重症化を防ぐ程度の効き目しか出ないこともあるのです」(米山公啓氏)

 迷信をうのみにしてインフル対策を誤ると、ぶっ倒れかねない。


(転載終わり)

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俺が30歳の時、ひとつ年下の嫁を貰った。

今の俺たちには、娘が3人と息子が1人いる。

長女は19歳、次女は17歳、三女が12歳。

長男は10歳

こういうと『長女と次女は嫁の連れ子?』といわれる。

違う、そうじゃない。

長女と次女は、俺とは血が繋がっている

しかし、俺の子ではない。

俺には、3歳年上の姉が居た。

姉は25歳で結婚、二女を設けた。

しかし、ダンナが夢多き男でデザイナーだとか今度は設計事務所だとか。

最後は、議員になると選挙にまで立候補した。

しかし、いずれも当たらず・・・

借金をして、その借金の工面に俺の姉も一緒に働き、仕事に駆けずり回っていた。

そんなある日。

姉夫婦が深夜のコンビニでのバイトを終え、車で帰宅途中、酔っ払い運転の車にぶつけられた。

2人は、帰らぬ人となった。

最初は、何がなんだか分からなかった。

当時、結婚したばかりだった俺は、

『人生って上手くいかねぇな』

とか

『神様って本当に居ないんだな』

とかそんなことばっかり考えてた。

当時、5歳と3歳の姪が2人残された。

2人をどうするか、両家の家族で色々と話し合った。

ウチの両親は当然、今までの姉の苦労を知っていたから、自分達が引き取り、ちゃんと育てると言った。

確かに両親は自分の目から見てもちゃんとしているし、問題無いだろうと思っていた。

しかし、義兄の家族は、既にウチの親父が定年で会社の嘱託顧問となっていたため、『今後の収入が期待できない』と言い出した。

義兄の親は自営で、一応収入はあったが、先行きには期待できなかった。

そんな話し合いの中、俺は姪2人に聞いた。

「俺と住むか?」

と。

2人は「ウン」と言った。

嫁に事情を話すと、2人産んだと思えば良いと言ってくれた。

『裁判をする』と言っていた義兄の家族も、『まだ、若くて収入が期待できる人ならば』と納得してくれた。

こうして、俺は突然、2人のパパになった。

2人の姪は素直だったが、俺と嫁のことを「パパ」「ママ」と呼ぶことに抵抗があったようだ。

次女は比較的早くから嫁を「ママ」と呼んでいた。

嫁は「ママと呼んでくれた」と、1人で泣いていたのを覚えている。

パパと呼び出したのは小学校に入るくらいかな?

しかし、長女は時間がかかった。

嫁のことをママと呼ぶまでに7年掛かった。

俺は結局、パパと呼んでもらったことは無かった。

そんな長女も高校生になった。

大学も当然考えるようになったある日のこと。

嫁が高校の3者面談に行くと、長女は自分の希望をこう言ったという

「音大に行って、音楽の先生になりたい」

と。

これで俺はピンと来た。

姉は小さい頃からピアノをやっていて、長女も3歳ごろからピアノをやっていた。

俺と一緒に住むようになってからも続けていた。

彼女なりに、産みの親とのつながりを持っているんだと思った。

長女は東京の音大に進みたいと言い出し、結果、推薦を貰って、この春希望の大学に進学した。

結局、俺は一度も「パパ」とは呼ばれず、俺はあだ名で呼ばれていた。

長女が東京へ旅立つ日、俺は出張で海外にいた。

帰国すると、長女が家族全員に書いたという

手紙を嫁から貰った。

そして、号泣した。


以下、そのまま………




○○ちゃんへ

泣きながら(次女の名前)と2人で

○○ちゃんと暮らし出したのを

昨日のことのように覚えています。

怒られてムカついたし、

一緒に遊んでくれてすごい嬉しかったし、

本当に感謝してます。

ありがとう。

そんな私を東京の音大にまで出してくれて、

本当に本当にありがとう

今まで以上に言うこと聞いて良い子になって帰ってきます。

最後に

パパ、本当にありがとう、大好き




………あぁ、俺もお前のことが大好きだ!


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