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ようこそ 卑弥呼ワールドへ
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ここは、卑弥呼ことヴァイオリン弾きはらだまほのブログです
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卑弥呼の航海日誌・目次

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以下卑弥呼の出没先です

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それでは卑弥呼ワールド、ぜひお楽しみくださいませ

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あけましたねおめでとうございます。
まず2018年の野望を振り返ります。



▶︎バッハとイザイとパガニーニをコンプリート
バッハはコンプリートした! イザイは6番を譜読みして本番に乗せることができたけれど、5番は手をつけられなかった。パガニーニは今年新しいの開拓しなかったな。

▶︎バッハの動画コンプ
公式インスタグラムにて、バッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品のダイジェスト動画をちまちまと上げていて、ここまでに4つの曲を上げることができた。今は5つ目のパルティータ1番を撮りためていて、あとはソナタ3番を残している。あと2、3か月で完了するかな。


▶︎IELTS7.0
International English Language Testing System。取らなかった。笑

▶︎本番を増やす
増やしてない! けどひとつひとつをがんばれた感はあるかな、毎回ちゃんと成長した実感があるというか。数より質かなとは思いつつ。

▶︎コンクール出てみる
ちっさいの出たからよしかな。笑 そういや結果を知らない。

▶︎仕事の単価を上げる
なんとも言えない。上げるというよりは、もらい方を変えた感。もらい先が変わったというか。だから比べようがない。

▶︎暮らしを楽しむ
ちゃんと楽しんだ! 茶葉からお茶を入れる暮らしとか、手作りスコーンで迎える朝とか、夕方の散歩とか、突然の煮込み料理とか。

▶︎なにか有料コンテンツの配信
えっとなにもしてない。



まあ半分は達成できればいいやくらいの"野望"なので、及第点というか合格ですかね!
でもこう見るとあんまり2018年の頑張りが見えないから、これ以外にできたことも書かせてくださいな。



▶︎リサイタル:人生初だったので、がんばったってほめてあげる。修了演奏も普通にリサイタルだったから1年に2回したようなもんだな。

▶︎クライスラー:実はずっと避けていた作曲家なんだけど、修了演奏で3曲も入れたら、なんか好きになった。

▶︎旅:講習会でポルトガル、夏に日帰りでコッツウォルズとライ、秋に1泊リヴァプール、冬に大阪福岡広島を1泊ずつ。

▶︎引っ越し:引っ越した! 以上。詳しくはこちら

▶︎受験:人知れず博士受けて人知れず受かったっていう、地味に受験生やってたんだけどリサイタルとコンチェルト試験と同時進行だったからだいぶきつめだった。

▶︎英語の本:はじめて1冊読み切った。

▶︎美術館に行く:ちょこちょこ行ったけどもっと行きたいな。

▶︎身なりを綺麗にする:気を遣ってる方ではあったんだけど、たまに超やる気ない格好で学校行ったりしてた。そういうのやめたらおしゃれもっと楽しくなった。

▶︎映画を見る:古典名作に触れてる。



結構インプットできた感じしてます。

さて、2019の野望いきますか。



▷コンチェルトを弾く
書きますけど、オーケストラと弾いたことないんです。弾きたいんです。お前いつまで夢抱いてるんだよって言われても弾きたいものは仕方ないし抱かなかったら叶う夢も叶わないから。弾きたいから弾く機会作ります。

▷リサイタル
なんかやりたいなー。ロンドンでも東京でも栃木でも。プログラム練り中。

▷室内楽
なんかやりたいなー(語彙)。そろそろ弾きたい曲溜まってきた。

▷英語力上げる
リーディングが遅すぎて絶望してるから頑張ります。語彙よね語彙。

▷英語でブログ
英語版もそろそろ立ち上げんとす。

▷人脈を広げる
放っておくとうちにこもるタイプの人間なので、ちょっと外にも目を向けてみようと。博士課程は同い年の人もいなくて、ともすれば孤独な研究になってしまうのでね。

▷暮らしを楽しむ(再)
紅茶をゆっくり淹れるとか(もうわかったよ)そういうことって、人生を豊かにする気がしているから、映画を見たり、そういう時間も意識的にとりたいなと。散歩とか。

▷体を大切にする
2018初めて腱鞘炎をやりまして(両手)、こりゃ練習の方法があかんな、と。日々ちゃんと体に「もしもしお元気ですか」と尋ねることを怠ってはならないなと。結構お尋ねしてる方だと思っていたのですが、細部に意識が及んでいなかったというか、手は動くって過信がありました。

▷脱おせっかい
未だに結構発動しちゃう瞬間があるんですよね。おせっかいって結局、ある面では支配欲の表れでもあるんですよね。だから悪い面は出ないように、人との適切な距離っていうんですかね。心地よい関係についてさらに考慮したいなって。

▷メールをさっさと返す
さっさと返すイメージあります? それ相当頑張っていて、本当は死ぬほど返しません。プライベートの連絡とか特にそう。でもメールほど即片付けた方が効率よいんですよね。溜める悪い癖、本当にやめようと思います。



まあむりせずこんなもんかな。あとは原稿もがんばるぞとかいろいろ細かいことはあるのですが、それはそれ、野望というよりは目標なので、地道にやっていきます。

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わたしはいつからか25歳を心待ちにしていた。

大隈重信の"人生125年説"によれば、人間という生き物の成熟期は25年である。25年をひとサイクルとして人生のステージを区分していけるらしい。

幼い頃から大人びた顔をしていたわたしは、小学6年生のときにはランドセルが似合わないと言われ、中学時代は母が結ぶツインテールと自分の顔がミスマッチに思えて、高校の卒業式の日にはやっと制服を終えられるわねと人から言われた。

制服を脱いだときがすごかった、18歳になって4か月もたっていなかったのに、初対面の人からは8割の確率で25歳と言われた。残りの2割の人は20歳だと言った。

でもそこからわたしは何年も「25歳」を続けた。だったら本当に25歳になったときには、それを越えたときには何と言われるのだろう、その先に何があるのだろう、そう思うと、わたしは新しい世界を見てみたいという好奇心が募り、いつしか25歳になるのを楽しみにするようになった。

そして迎える25歳の誕生日は、何か記念になるようなことがしたいと思い、わたしは大好きな新幹線に乗って国内ひとり旅に出かけることにした。

仕事ではなしに、用事もなしに、家族を伴わずにひとりで国内旅行に行くのは初めてだ。しかも今回は3泊4日で3都市を訪ね、うち2都市は初上陸である。加えて誕生日を両親のもとで迎えないのも初めてだ。

大隈の説に戻ると、人は25年かけて成熟を迎えるとのことで、これは精神面での意味合いが強いとの指摘があるが、実際身体的な成長も25歳までは上り坂、あとは下り坂と言うものであって、奇しくも一致している。

わたしは25歳以降の体の変化についても考えていて、特に近年は体幹に効くことをしてみたり、運動量を増やしてみたり、食べるものを考えてみたり、身体面の次のステージへの準備は悪くないと思う。

精神面については、25歳まではひたすら吸収の時代だと捉えており、それを結実させていくのはむしろ次の25年の勝負だと思っている。そういう感覚を中高生の頃からずっと抱いていた。それは自分が博士課程にまで学業の駒を進めてしまうことを、うすうす予感していたせいかもしれない。

思い返せば小学生の頃にはぼんやりと、自分は将来博士を目指すんだろうと勘が言っていた。でも年を経るにつれて予測できる未来の幅はどんどん短くなっていった。それは反対に何にでもなれる、可能性が広がったということなのだが、とにかく、1年前の24歳になったばかりの自分は翌年の軌道すら予想がつかなかった。

まあちょうど卒業を控えていて不確かな時期でもあった。そこから進学を決めた今となっては、3年後の論文提出が"確かな未来"である。何なら今手にするビザの在留期限だって"確かな未来"だ。

この確かな未来を、現在そして過去に変えたとき、手元に何が残るのか。わたしは何者かになれるのか、いやなっていなければならない。

25歳になった今もって、自分が"成熟した"とは微塵も思えないけれど、心の持ちようで悶々と悩んだ10代を抜けて、生き方の指針のようなものは見えてきた気がする。

いつも誠実であれ、これは母の教えだ。

「人間やらなければいけないことをやらないと、けちなごみ屑になってしまうんだよ」というのは小学2年生のときから大切にしている言葉で、『長くつ下のピッピ』を書いたアストリッド・リンドグレーンの『はるかな国の兄弟』という本の一節だ。

そして、まずは自分がハッピーであること、というのがこの数年イギリスに暮らして見出したことである。

ハッピーと片仮名で書くといささかあほくさいのだが、かしこまって言えば"己の心の均衡を保つ"ということで、あえてそれらしい表現を当てるなら「自分で自分の機嫌を取る」とでも言えようか。

まず自分が幸せでなかったら人を幸せにすることなどできないし、自分の幸せを犠牲にして人を幸せにしたところで、それは持続するはずもなく行く末共倒れだ。自分の心は自分が守らなかったら、誰が守ってやれるというのだ。

自分の幸せは他人に預けず、自分の幸せくらい自分で掴みにいけという話で、わたしが幸せであればそれを喜んでくれる人もいるわけであって、だったらまずは己の"心のハッピー"を探すべきなのだ。

お節介なわたしはさらに「自分が誰かを幸せにしてあげたい」とも思ってしまうものだが、それもそれで押し付けがましい話で、相手の自立した幸せを妨げるものでもあると思うので、まあせいぜい「相手の幸せを存分に祝福する」あたりが関の山だろう。

24歳最後の日は、今年85歳になった大叔父と80歳の大叔母と過ごした。大叔母は洋裁学校を出た人で、若い頃は当時にしては珍しく自立した女性だったと推察される。今のわたしの年頃のころは、無理に結婚して好きなことができなくなるくらいならひとりのほうがいいと考えていたそうだ。わたしもちょっと似ているのかもしれない。そんな大叔母は今も洋裁を続けている。

わたしらなんかはもうあんまり先過ぎることは考えられないせいかもしれないけども、という前置きのあとで、大叔母は言った。

「あんまり過去に囚われても仕方ないし、あんまり先のこともわからないし、今日のことを大事にして今を楽しむのが結局一番なのよね」

「友達なんかに会うときも、わたしはその瞬間はその人のことに集中するって言うんかな、その人とのことを一番に考えるわけ。だから友達には好いてもらってるよ」

「やりたいことはやってきたからさ、後悔とかもないのよね。だから人のことがうらやましいってのもないしさ。でも真帆ちゃんも結構そうなんじゃない?」

言われてみれば、25年間やりたいことはのがさずにこなしてきたほうだと思う。けれども、まだあれができてない、これをやりたい、それを達成するまでは死ねない、と思うのは、若さゆえの野心そのものなのだろう。

何歳まで生きられるかなんて知ったこっちゃないけれども、人生の線路を降りることになったそのときには、悔いのない穏やかな心境でいたいものだ。

今の日々は新幹線の如く猛スピードで進んでいる。でも列車というのは外から見れば一瞬で通り抜けていくけれど、中からは案外車窓もゆっくり見える。ひとつひとつの街の景色をしっかりこの目に焼き付けながら、わたしは次の停車駅を目指す。





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