月別アーカイブ / 2016年08月

「オタク」という存在が割と世間に認知されてきたとはいえ、今も「オタク叩き」はそこかしこで起こっています。

よく言われるのは「犯罪予備軍」

残酷な「マンガ」「アニメ」「ゲーム」が好きなオタクは現実にも同じことをやるに違いない。という考えです。

私の予想なんですが、こういうオタク叩きをする人たちは幼少の頃に虚構を虚構として消化する練習をしてこなかったのではないかと思うのです。だから、叩く人たち自身が作られた物語を上手く消化出来ず、虚構と現実の境目をつけられない。消化器官が発達していない。

自分が出来てないから、消化できる人の感覚がわからないのです。だから危ない虚構を多量摂取する人を過剰に怖がる。


だから、「実話」という触れ込みで限りなく現実に近い(と思わせる)食べやすいコンテンツにすれば、そんな消化器官が未発達な人でも上手く消化しやすいため「感動の実話」が売れるのではないかと私は考えています。

そんな人達が一番の好物は芸能人のゴシップでしょう。
とても「現実」的でテレビドラマという「虚構」よりも消化に優しい。


ここで重要なことは「実話だ」という思い込みで充分ということです。
会ったことのない芸能人のゴシップなど、一般人にとって昼ドラとなんら変わりありません。でも「実話」「真実」と思うことでそれは現実とリンクするのです。自分が納得すればいいのです。

逆に納得出来ないこと、都合の悪いことはたとえ真実であろうとも「嘘」「虚構」と解釈するでしょう。


実のところ、商業コンテンツ以上に現実は虚構に溢れており、それをひとつひとつ峻別していかなければならず生きててとても面倒だなと思います。そこに「感動の実話」とコピーがついただけでコンテンツの売れ行きが上がる現状を、私はとても怖く感じます。

発達障害の子供が「やる気がないなら帰れ」と言われ帰ってきてしまった。「空気を読む」事を伝える難しさについて - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/1011426

 私も空気を読まない人間なのですが、いわゆる「空気を読む」ということが常識となることに私は反発したいと思います。

なぜなら、この「空気を読む 」というのは対等な立場ではありません。


「空気を読ませる側 」



「空気を読まされる側」

のどちらかになります。


当然「空気を読まされる側」が立場的に弱く、お互いに空気を読み合うのではなく、一方的に空気を読まされ続けることになるのです。

空気を読ませる側は、言い難いことすら負担せずに「空気」としてすべて立場の弱い側に押し付け圧力をかけます。「誠意を見せろ」とかね。


 こんなの文化でもなんでもなく暴力でしかありません。

対等な立場だったら「空気を読む」なんて言葉使わずに済むはずです。


上のTgetteerの「子供が担任から「やる気が無いなら帰れ」と言われて帰ってきてしまった。」なんてのは、担任が感情的になり暴力的な言葉をぶつけている教師として失格といえる行為なわけで、それをなんでぶつけられた側が空気を読んであげる必要があるんでしょう?


日本って立場の弱い側が強い側に合わせ過ぎだと思います。
空気を読ませようとする人間なんかと関わる必要はありません。

 もっとみんな空気を読まなくなれば、世の中良くなります。





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少し前に、とある議員さんが作文の書き方メソッドを学校が配布してたことに対し「子どもが型にはまってしまう」という旨のツイートをして、批判を受けておりました。

こういう「型にはめる」ということで自主性、創造性が失われると勘違いしている人はかなり多いと思います。

実際のところ、「型にはめる」ことで自主性、創造性が失われることはありません。なぜなら、才能があるものは型にはめようとも勝手にはみ出して今うからです。

じゃあなぜ「型にはまった人間」が量産されるかといえば、それははみ出した人間を叩くからです。問題は「指導法」ではなく「評価法」です。問われているのは評価する側の資質です。

つまりは「自主性」「創造性」を養うなんて言ったところで、評価する側がそれを理解する資質がないのでは全く意味が無いのです。

「才能のある人間」が存在できるのは、「才能を認める人間」が存在するからです。


評価する側の改善をせずに才能は育ちません。
本当に改善すべきは、評価基準の明確化と例外に対応できる柔軟性です。

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