我らがsakoさんが取り上げられているということで「突撃!となりのプロゲーマー」を買ってきました。
 
突撃! となりのプロゲーマー
くつきかずや
イースト・プレス
 
この本はプロゲーマーへのインタビューと、実際にそのプロゲーマーが出場する大会風景をちょうどよい立ち位置から描いていて「プロゲーマーって何!?」という人にもわかり易いとても良い内容となっています。
 
ゲームで遊んで仕事になるなら楽だろうと誰しも思うでしょう。この本に登場するプロゲーマーへのインタビューを読めばその考えは打ち砕かれます。
プロゲーマー達のこれからのゲームシーンを育てていこういう姿勢、勝利へのストイックさ、ファンへの対応。これはまさにスポーツと言って差し支えないでしょう。
 

スポーツ - Wikipedia

スポーツ: sport)は、人間が考案した施設や技術、ルールに則って営まれる、遊戯・競争・肉体鍛錬の要素を含む身体頭脳を使った行為。日本においては身体を使ったものが主体の「フィジカルスポーツ」だけをスポーツとみなす考えが強いが、思考力や計算力といった頭脳を主体の「マインドスポーツ」も本来はスポーツに含まれている。競技として勝敗や記録を主の目的として行う場合はチャンピオンスポーツ、遊戯的な要素を持つ場合(楽しむ事や体を動かす事を主の目的として行う場合)はレクリエーションスポーツと呼ぶこともある。

 

まだまだプロゲーマーの認知度が低く制度的にも遅れている日本ですが、その競技種目となっているゲームの多くは日本製です。もっと日本から盛り上げていく必要があります。
 
そのためには、未だにはびこる「ゲーム脳」や勉強の邪魔という旧来の間違った考えを正していく必要があります。この本でも紹介されていますが、プロゲーマーのときどさんは東大卒、板ザンさんは早稲田卒です。私の今までの経験からしても、ゲームの上手い人は間違いなく頭が良く集中力が高い。むしろ教育分野の人間はそこに注目すべきです。いつまでも子どもが言うことをきかない理由をゲームに転嫁しているのは怠慢としか言いようがない。
 
今世界中でいろんないざこざが起こっていますが、ビデオゲームこそ国境を越えて交流できる潤滑剤として最適だと思います。ネットワーク対戦も良し、大会で直接対決も良し、海外に行くきっかけとしても良いかもしれない。
 
私もゲーム業界の一端を担う者として、プロゲーマー達の姿勢には身の引き締まる思いです。ゲームシーンに貢献していけるよう、私も行動します。

ヒューマンアカデミー那覇校さんの卒業・進級展示会に行ってきました。

毎年レベルが上がっていることに感心します。

特に凄いのが高等課程の生徒さん。著しく能力の高い生徒さんが結構いて、ハイレベルなイラストやアニメをつくり上げるだけの力を持っています。イラストはほぼ個人制作ですが、アニメとなるとそれなりの人数が必要なので、その仲間を見つけることができる「アニメを作れる高校」というのはとても素晴らしい。

早いうちに能力を伸ばす機会を作れることはとても良いと思います。普通校を出て、大学、専門学校から始めるのは遅すぎる。私は今後、工業高校や商業高校など、専門の知識や技能を伸ばす高校が盛り返してくると考えています。

 

PCひとつあれば、大してお金もかけずアニメもゲームも立体物も作れるし、そのノウハウ自体もネットで得られる時代。私の学生時代はそれこそ学年に数人しかPCを持っていませんでしたが、今や普及率80%です。もっとPCを駆使した学生が大量に現れてもいいのに、沖縄の同人誌即売会ではゲーム制作サークルはほぼ皆無です。

学生時代にプロになったり商売を始めてもなんの問題もありません。なのに体感的には全然増えていないし、たまにいると県内新聞に取り上げられるぐらい「珍しい」わけです。

 

大昔は10代で一人前に社会に出てたのです。今、学生がビジネスを始めることが珍しくなくなくなれば、世の中もっと面白くなると思います。

 


ロジカルシンキングができない人々【論理よりも感情が優先される国】

事件が発生した場所で同じような事件が発生する確率は最も低く、1等当選宝くじが出た場所で、再び1等当選が出る確率は最も低い。これは統計的な事実であり、残念ながら感情論が入り込む余地はない。

 こういう考え方をする人は多いです。

この手の人は統計を誤解しています。統計というのは世の中で起こったことを特定の条件で集計した結果であり、世の中が統計結果に合わせて動いてるわけじゃない。

1等がよく出る宝くじ売り場に並ぶ人は、確率ではなく「目に見えない不思議な力」を信じている。1等が多く出る売り場の条件はただひとつ「たくさん売れている売り場」というだけのこと。1等がでることに全く不思議はないですが、買う人それぞれの当たる確率は買う枚数で決まるので、どの売り場で買うかは関係ありません。

 

どちらのタイプしたってロジカルではないです。

 

上記の記事の場合、小学5年生殺害事件によってその周辺が不安に陥ったのなら、防犯を強化して不安を軽減するのは合理的な判断です。 

人が不安になっているときにデータなどを持ちだして「その不安は無意味だ」と言ったところで不安はなにも解決しない。言った本人はそれでロジカルだと思っているかもしれないが(実際間違ってますが)、問題解決としてのロジカルシンキングならば、なんら問題解決(この場合不安を解消すること)となっておらず全くロジカルじゃない。

「人類すべてがロジカルシンキングすれば解決」という答えを導き出すことをロジカルシンキングとは言わないでしょう。

ロジカルに考えるということは感情を無視するということではないです。むしろ、感情に抱える問題を解決することにこそロジカルシンキングを用いるべきであり、最優先するべきは感情です。

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