先日、シカゴから帰省していた
中学生の頃の恩師と11年越しに再会。
hkpW98r3gz.jpg
1年生と3年生の担任であり、英語の教師。
僕にとっては、映像の可能性、楽しさを伝えてくれた恩師、映画作りにおける師匠!!

今の僕と同じ26歳で初めて教師になった先生。
つまり、僕は先生にとって
はじめての教え子であり、
はじめての卒業生ということになる。

そんな事もあり13年の月日を取り戻すのに
あまり時間はかからなかった。笑

今でも、「映画監督になりたい!」
馬鹿げた夢を語る僕をみて先生は一言。

「僕、悪い影響与えてない?笑」


ーーー話を13年前に遡る。ーーー

何故、僕が映画監督になりたかったか?

中学校の文化祭のような催しがあり
その時に僕が選択したのが
先生のプロデュースする"映画作り"
(あの時代に新米教師で、これをテーマに
上げる時点でハミダシターだと今では思う)
先生オールプロデュース
(脚本、役決め、演技指導)で始まった映画作り!

あの作品は、作成メンバー以外でも
卒業生、誰に聞いてもタイトルを
覚えてるほどのインパクトを残した。
AAmNprMwdc.jpg
↑2013年のFacebookより引用。笑

上映された瞬間の感動は、今でも鮮明に
覚えていて周りの感想以上に自分達で喜んだ。 
作成過程を振り返り、2年生ではどうするか?
もう、次の作品の事で頭が溢れかえってた。

こんな感じで2年、3年も映画作りを選択。
1年生の頃と変わったのは演じる側(役者)から
クリエイター(監督)に変わった事。

自分が描くモノを映像にしたい!
そういう想いが強くなったのはこの頃から。
自分で脚本から
役者のオーディション、カメラワークの指示
編集作業に至るまで拘りまくった記憶がある。
この時から映像の魅力にどっぷり。
映像というかモノづくりかな?

映画の撮影があると言って、野球部の練習を
サボった事も何度か(こっちの方が楽しくて)

あんなに遅くまで残ったら
間違いなく今では問題になってる。笑

長くなったがそんな経緯があり、
僕の映画作りに対してのベクトルが
大きくなり始めた!

進路相談の時も正直、高校なんて
何処でもよくって、美大に行きたいな〜
映像について学びたいな〜と心の中では
思っていた!

大学受験の際も、映像学部などが
でき始めた時期で受けたくて浪人もした。
(浪人中に、進路を変える事になるが...)

やりたい事は映画作りだけど
それで食べいけるのか?成功するのか?
両親と話し合いが浪人中続き、
「好きな事を仕事にして嫌になった時は、
しんどくならんか?好きな事なら働きながらでもできるのでは?」

両親の言葉が当初の僕の心にグサった。
(その時点で大学受験の目的を失ったw)

理学療法士という職業を知ったのもその頃で、
その頃の僕は両親を安心させたかったのと
        +
・国家資格!(将来安泰⁉︎)
・今までの部活での経験を活かせる!
・白衣カッコいい!モテる!(モテなかった)
←おばあちゃんにはモテモテ。

そんな理由で、浪人させてもらっておきながら
進路を大幅に変更!
(親への恩を未だに返しきれてない)


そんなこんなで専門学校へ。

就職活動?面接練習の時
コンコン失礼しまーす!から始まるアレ。

担当教師
「貴方は将来どんな理学療法士になりたいですか?」

僕「映画監督になりたいです!」

教師「?×10000」
とりあえず、怒られて何回もやり直し。
(仕方なくありきたりなセリフを覚えた記憶が)

周りはPTになりたくて勉強頑張ってるのに
なんか変な感じがした。まだ、夢を諦めれない自分との葛藤(笑)

実習などを通して理学療法士の仕事の
素晴らしさを知った!理学療法士には
本気でなりたいと思った!

その時に頭によぎった!
なんでこんなに素敵な仕事が
世の中で認知されてないのか?

「なんの学校行ってるん?」
「どんな仕事してるん?」
「あぁ〜あのマッサージの!」

↑誰からも同じような反応。

こんなんでいいんかな?
もっと世間に知ってほしいな!
ドクターやナースを題材にした
ドラマや映画はあるのに、
何故"リハ職"はフォーカスされないのか?

メディアにもっと取り上げられてもいいのに!
=作ればいいか!自分で!ってなった。

この瞬間(5年前くらい?)
【趣味(映像化)×仕事(リハビリテーション)】
の定義は僕の中で完成していた。

誰に伝えても笑われるから
ずっと旨の奥に秘めていたいたけど
最近は、実現できそうな気がしてきたので
逢う人逢う人に、言うようになった!
(最近は何故か笑う人が減ってきた)

でも、気づいたらそのような
リハビリテーション
(セラピストとクライアントの人間模様的な?)
にフォーカスした映画は
何本か作成されていた。笑

だから、どうせ作るなら
そのような映画は作らない。
(それはそれで、観てみたいけど)

僕がこれから映像作りをするとすれば
これからの時代を生き抜く
セラピストの在り方にフォーカスを当てたい。
"セラピストの可能性"を題材にしたモノを!

僕が思ったように
セラピスト×映画監督
セラピスト×〇〇
なんて当たり前になる時代!

これからセラピストになる学生や
病院で働く事が当たり前?になってるような
セラピストへの新しい可能性の提案を!

先ずは僕が実現しないと始まらないので
第一歩、1作目をこれからのストーリーを
ドキュメンタリーにしてみようと思う。笑

"Physical cafe"作りに向けての
ドキュメンタリーになるんかな?
_________________________________
恩師との会話に戻る。

樋口くんの目指す結果って何?
どこがゴール??ゴールはないか!

ドキュメンタリーを撮るにしても、最近は嘘くさい(綺麗に加工されたドキュメンタリーが多い)

いわば、
"ドキュメンタリー風ドキュメンタリー(笑)"

・ここの背景をバックにこのアングルで!
・こういう事言うので!(もはや、セリフ)
のようなモノは面白みがない。

生々しくてこそ、
"真のドキュメンタリー"じゃないか?
と、助言をいただいた。
(その会話をむしろ映像に収めて置けば
良かったと話しながら後悔!)

今後、おそらく色々な出逢いの中で僕のビジョンについて話をする機会が増えると思う。

その会話、1つ1つを映像で残して積み重ねる
→生々しいドキュメンタリーを作れればと思う。

"在るが儘"
もうタイトルは先にできあがった!

今後、関わっていく皆さんには協力して
頂く事もあると思います。

【協力者=出演者=共犯者】

1人で作り気はサラサラない。
協力者にとってのドキュメンタリーにも
なれば幸い。

便利な世の中になって
映像技術の発達、いろんなアプリが
日々アップデートされる中

選択肢には迷うけど、その時その時に
見合ったディバイスを駆使して、
時代に沿ったものを提供したい。

先生
「10年後に与えたモノが返ってくるっていいね!
それが、僕が教師をやっていて良かったって思える瞬間」

やっとあの時のGIVEを返せた気がした。
(実現できてないからまだ半分)

先生のように、僕自身
これから関わるで在ろう未来の原石達に
GIVEし続けられるような存在になりたい。

13年前に先生と出逢い先生から学んだ事を
次世代を担う学生さんの心に残せるような
存在で在りたい。

10年経とうが、はやり先生は先生で
僕の憧れのままでした。

先生のはじめての教え子であり
はじめての卒業生であった事を
僕は誇りに思います。

また、いつか日本に帰ってきた時
当時の映像作成チームで集まって、
当時の作品上映会とかもしてみたいな(笑)

束の間の時間を
ありがとうございました!
もうシカゴに着いてる頃かな?
また、逢う日まで!お元気で!
qETP0ISgVR.jpgブログがリアルな脚本。


突然ですが、皆さんは
自分の親から授かった名前について
調べた事とかありますか?
(由来を親に聞いたり?)

先日、そんな名前について考えるキッカケが
あったので、【自分の名前】について
書いてみたいと思う。
rJB8Eco_qs.jpg
その考えるキッカケとは
去年、"アレルギーセラピストコース"という
研修会に参加した時に僕と同じ名前の
セラピストと出逢ったのです。
"りょうすけ"って名前は世間に
溢れているが(イケメンに多い)
この漢字の亮佑(りょうすけ)との出逢いは
25年間生きてきて初めてで心が震えた!
それも、同じ職業で、同じ少人数制のセミナー
で出逢うなんて奇跡的過ぎる。

ただ、憎ましいのは彼は僕より大人(年も上)で、僕より背が高くて、僕よりイケメンで、僕より賢い。
なぜ、同じ亮佑なのにこんなにも差があるのか!!羨ましい限り。
亮佑兄さんが良い人だったので
全て今回は目を瞑る事にする。

そんな亮佑兄さんと、数日前に
"アレセラセミナー同窓会企画ミーティング"
という名の食事会をした(同窓会は夏予定)

同窓会の企画の話は15秒程度。
残りの3時間くらいは
亮佑とはを語る【亮佑会】になってしまった(笑)

という、長めの前振りを経て
本題へ(ココから読んで)
→→→→→→→→→→→→→→→→→→

昔、何度か母親に僕の名前の由来を
聞いた事はあったけど…

「ただ、お母さんが"亮"って漢字が好きやったからやで。それだけじゃナンチャラカンチャラ(バランス的な問題?)やから、''佑"も付けといたで」と

なんともテキトーな名前の付け方(笑)
当時の自分(小学生くらい)は
それで何故か納得して、そのまま社会人になるまで、あまり名前について気になる事はなかった。

それから2度、【亮佑】を考える事があった。

《1回目の考えるキッカケ》
社会人になって、理学療法士として
働き始めてから(学生時代の実習の時からか?)

制服(KC)に名札を付けて
働く事が当たり前になって
色んな患者さんに自己紹介する頻度が増えた。

いつの日か、ある患者さんに
『先生は、聡明そうやね?聡明そうは失礼か!
聡明やね!』って言われたのがキッカケかも知れない(今、振り返れば)

当初、聡明の意味がわからなかった僕は
(その時点で聡明である資格剥奪)
こっそりウィキペディアに尋ねた!

聡明とは?
pdijKbizjV.jpg
はじめて、あの時褒められてたと気づいた。

何故かそのタイミングで自分の名前を調べてた。
Wz1oQ1sJqo.jpg
『亮』=聡明!!おおおおお!!
あのばあちゃん(患者さん)、すげーっ!
uDAeSfFsS1.jpg
『佑』=右手で人助け。
神さまから守られてるっぽい事がツラツラ。
おおおおお!今の職業!! 手を使う職業!
まさに今の職が天職だと実感した瞬間。

『亮』×『佑』=おかん、親父ありがとう!
そんな20年後の事を予測して付けてくれた
名前だったのかと勝手に舞い上がって、
勝手に気がついたら母親に連絡していた。

《2回目の考えるキッカケ》
働き始めた頃(4年前)から気になっていた
(隠れファンだった)芸人とアスリートが居る。
そんな2人が、去年の同時期くらい本を出した!

発売のタイミングだけでなくどちらも
タイトルに革命と入れてる辺り、表紙が赤と白。
狙ってはないと思うけど、僕の心は狙われてた。
タイミング良すぎてどちらも、即買い。
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2183.PNG
内容は勿論、タイムリーに僕が気になっていた事だったのもあるけど、何より表紙!ジャケ買いしたくなる理由があった(笑)
昔から尊敬してる2人の名前に注目!!
西野""廣
長友""都
_var_mobile_Media_DCIM_102APPLE_IMG_2180.JPGwlFCDMn2N0.jpg
おわかりだろうか?
これが、亮佑革命!笑

尊敬する2人の名前に亮と佑が入ってる。
勝手に並べて勝手に喜んでまた、親に電話。

西野亮廣さんの『革命のファンファーレ』
→新しい経済圏(信用経済、価値経済、感謝経済)作りに向けての入門書。

長友佑都さんの『食事革命』
→食(栄養学)とカラダ作りを通してのパフォーマンス力向上。

どちらも僕が今後、実現したい
カラダの為の空間"フィジカルカフェ"
取り入れたい事が詰まってある。
僕の伝えたい事が詰まってる2冊に
去年(2017年)出逢えてよかった!
この2人の革命本を基に
2018年〜亮佑革命が起こるかもしれない。笑

↑こんな話は同じセラピストである
亮佑兄さんとしか分かち合えない。笑
(食育に関しても詳しいお方)
っといった感じでどうしても
この自分の名前については、
いつか触れたかった。書き記して置きたかった。

この記事を書き終えてかなりの優越感に
満たされている(完全な自己満ブログ)
かなりネームナルシストなブログになったが、
自分の名前がより好きになれた。
自分の名前に誇りを持って
これからの人生を歩めると心から思いました。

皆さんもコレを気に自分の名前を自分で
調べてみてはいかがでしょうか?

chW3k1hxEX.jpg
↑うん、あながち間違ってない(笑)

急に家族構成の話か?
いいえ、違います。笑

実際に僕には弟しか居ないし、
長男である事は事実。
(母親が僕を産む前に一度流産を経験
してるから、本当は3人兄弟やったんかな?)

今回の話は、
実際の兄弟の話ではなく
僕がセラピストになってから
出逢った敬愛すべき
2人の兄貴のような存在のセラピストの話
(長めなので、注意!)
F5l6CXSGC1.jpg

この2人と出逢ってなければ
セラピストとしての今の僕は
存在しないと言っても過言ではないレベルで、
未だに僕の道しるべに成っている先輩たち。
(その2人を育てた怪物の様な四皇レベルの方
も居てるが今回は省略させて頂きます。)

1人は入職当初から、可愛がってもらって居た、
僕のセラピストデビュー時から知ってる
(育てて頂いた)エースの様な先輩であり、
元上司。
ahv5vL9D7x.jpg

この人の話は後日また、
ゆっくり触れる事になると思う。
1番、お世話になってる、これからもお世話に
成り続けると勝手に決めつけてる兄①(エース)


今日の本題は、もう片方の兄②
つまり、サボの様な存在の人。
u9J0eGiuwr.jpg

兄①と同期で、入職時から常に2人で競い合って(切磋琢磨して)共に異なる分野を極めて、未だにお互いを高め合ってる関係性が見ていて本当に羨ましくあり微笑ましい。
GzMTHxFfSO.jpg

兄①と同期であるのに、僕が入職する時に
異動になってしまい、スレ違い。。。

僕が兄②(サボ)から直接的な指導を
受ける事はなかった。
ただ、常に兄①(エース)から兄②(サボ)の存在の話は聞かされていて(本当に耳にタコができまくったくらい聞かされてた)
ぼくの頭には『お前のもう1人の兄ちゃんは
凄い!』しか残ってなかった。笑

いつか、会ってみたい憧れの存在になっていた。
(何より僕が学びたかった分野を突き詰めてやっていたのが、何よりの理由)
その頃から、勝手に感性が似てるんじゃないか?と勝手に妄想していた。

要するに生き別れの兄貴
(=サボがしっくり来る)
※育ての兄がエースなら

そんな兄②と、何度か兄①を介して会ったり
、少し話したりはこの4年間の内に何度かあった。

その少しの時間でも話す度に、
毎回、痺れが止まらなかった。
何より憧れの兄貴たち2人の会話を聞いてるのが、かっこよすぎて眩しくて嬉しくてたまらなかった。


いつか、この2人と何かできたらと
2人と対等に話せる日が来るのか?など
思っていたが2人の影が遠過ぎて…

僕は唯々、日々の臨床の海(イーストブルー)を
もがく事しかできなかった。

そんな兄②(サボ)と2人での食事が
4年越しにやっと実現した!

僕が想い描く、カラダの為の空間
 ''フィジカルカフェ"の名前
"QUALIA(クオリア)"と云う
言葉を与えてくれた人がサボ。
だからこそ、自分の口でしっかりと
これからのvisionを伝えたかった。

※Physical cafe QUALIAについては、
また後日アップすると思うので省略。

この4年間を一気に2時間半で
取り戻せた感覚だった。
この人は時間じゃないな〜と
やっぱり、感覚質(QUALIA)に
似ている部分が多かった。笑

今回の兄②(サボ)との話し合いで
共有できて今後に繋がると思えた事がある。

《セラピストとしての言葉の価値》

【技術】がモノを言うこの業界
ではあるかもしれないけど、

【技術】とは、技(わざ)の術(すべ)と書く。
つまりは方法論であって、重要視すべきか?
(それは、僕も感じていた)

セラピストとして人と関わる上で
大事にすべきは、

小手先の【わざ】ではなく、
【ことわざ】である。とサボは続けた。

つまり、【ことわざ】
【言葉の技(わざ)】
使いこなせる事が大切だと。

↑もはや、この名言こそ
【必殺超ことわざ】

【言葉の技】こそ、"信用"への変換装置
"価値経済"への入口である事を改めて
再確認できて、兄と共鳴できた瞬間だった。

他にも今後のプロジェクトに
関しての具体的な動き方など
詰め込んで話まくったけど、
【言葉の技】の話のインパクトが強すぎて忘れた。よいよ。

今回を機会に
生き別れた兄②とも
今後の活動を分かち合う事ができる。

先輩、後輩の枠を越えて
並列関係で進めていきたい。
こんな最強な兄貴2人が僕の夢に賛同して
くれるなんて4年前は考えもしなかった。
だから、4年後は2人じゃなくて3人で
何かやり遂げたい。
nDnoadAG9J.jpg

完全に個人的な出逢いの長話に
最後までお付き合い頂きありがとうございました。

僕が、根拠無き自信で夢を語らせて貰えるのは、僕の周りが強すぎる、優れている人達で溢れかえってるからです。

僕、単体ではワンピースに
辿り着けないけど、周りのフォローを
信じて日々前進するのみ。

後悔しない航海を!
グランドラインはこれから!
新世界はまだまだ先!

ONE PIECEっぽく
まとまったと思うのでこれにて。笑

↑このページのトップへ