「口ではうまいこと言うけれど信用ならぬやつ」ってひとがいると思う。大概の場合は行動が伴っていないからだ。


口であれこれ言うよりも、実際の行動の方がはるかに雄弁だと思う。
「俺は俺なりにがんばっている」と声高に叫ばれても、そう見えなければ見えない。人間は行動が見えないと、なんだか腑に落ちない生き物だ。


ラーメン屋のガンコ親父が「このラーメンにマジ命かけてっから!」といくら叫んでも、カップラーメンもどきみたいなものを出してきたら「は、はぁ、そうなんすか」としかならない。

心を動かすのはそれだけ難しい。これは僕がやっている「曲」や「ライブ」にもそのまま当てはまる。



仕事でも恋愛でもひとを見なきゃいけない場面が来る。

「こいつ信用できるのかな?」って場面だ。


「一緒に仕事しましょう!」も「付き合って下さい!」も一緒だ。本質的には「俺を信じてくれ。楽しませてやっから」ということだ。


 
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※タカギとボブ・マーリー


そのときにそいつの見分け方がある。それが行動だ。

立派なことを言ってたり、甘いことを言ってたら信じたくなるのは人情だ。腑に落ちなくても信じたくなる。「大丈夫かなぁ?」のまま進んでしまう状態だ。


「俺と仕事したら100億とかちょろいぜ」だの「中国にいっぱい土地持ってる」とかの言葉は魅力的だ。「君をずっと探してた」だの「一生大事にする」とかも同様に、信じたくなる。


でも、その発言をジャッジの基準にしすぎない方がいい。当たり前だけれど「口では何とでも言える」というやつだ。

実際にそのひとが何を今やっているか、どういう動きをしているかの方が、ソースとして信憑性がある。蓋を開けたら「全然あかんやん」ということがあるからだ。


反対に、あなたが、「ひとの心を動かしたい」となるときだ。受動者ではなくて、主体的に回るときだ。

そのとき、「行動」は一番信用してもらえるソースになる。


誰かの心を動かしたいとき、動かせるだけの行動をしていると、いろいろと自然になる。
している人間の言うことは、何だかすんなり聞けてしまうものらしい。反対に、自分ができていないことを調子良くのたまうと痛い目見そうだ。

スポーツや絵画でも、バーチャルとリアルでは伝わってくる迫力が違う。

口ベタだったり、スルスルっとひとと仲良くなれない僕らは「実際にやっている」が持つ説得力に、もっと依存して生きてもいいのかもしれない。
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