貧乏だった。とてつもなく貧乏だった。

 

僕の生まれ育った街は、神戸市営地下鉄の最果てにある。簡単に言うと、「ニュータウンを気取った田舎」だ。


コンビニが出来たのは僕が17歳の時で、ビデオレンタルショップが出来たのは18歳の時だった。


2016年現在、未だにコンビニは24時間営業ではない。その理由としては、「不良の溜まり場になるとから」という、臭い物にひたすらフタをする排他的なものらしい。

これもうわさ話で恐縮だが、狭い地域にありがちな短絡的な権力者がいたと、後々聞かされた。

 

僕はこの街で高校3年生まで過ごしていた。

悠々自適だった。

18年も生きていれば、些細なトラブルはあったが、逆に言えば大きなトラブルはなかった。


街に住む人達は殺人はしないが、イジメはするような気取った小金持ちが大多数だった。

大人たちの世界なのに、村八分があちこちに散乱していた。そんな親に育てられた子供が形成される学校の色もそんな色だった。


矢吹丈やリアムギャラガーをはじめとするアナーキーなヒーローに憧れていた僕は、フィクションの脇役のような性格の彼らが好きではなかった。

しかし、大きなモメ事は無かった。それなりに上手くやっていた。


そんな特別楽しくもないが、平穏で保障された暮らしが永遠に続くと思っていた。だが、その永遠はある日、突然崩れさった。

 

その夜は自室でTVを見ていた。ブラウン管の中では駆け出しのお笑い芸人が大物司会者に気に入られようと、目をギラギラさせている。

すると乾いた音のノックが聞こえた。

鍵も備えていない無防備なドアが音を立てたのは久しぶりだった。


「話がある」


親父だった。

親子間で言葉を交わすのには、丁寧すぎるその宣告に、僕の背筋と部屋の空気は張り付いた。


僕は昔からこういう空気は大の苦手だった。この空気が流れて、人類史上ポジティブな話になった試しが無い。


「なに?」


平静を装ったが、自分自身の口から放たれた声のトーンは普段よりやけに高く聴こえた。


「この家無くなるから何とかしなさい」


想像の斜め上。いや、その更に上を行かれた気分だった。


「いやいやいや、困る!急に言われても困るっつーの」


慌てふためく僕を裏腹に「まぁもう決まったから一人で暮らしてもらう」


大雑把に父は言っていた。

僕の脳内には変な音が鳴っていた。父の声はもはや、よく聞こえていなかった。

 

未だに詳しく知らないのだが、諸々の仕事の事情らしく両親は僕を置いて神戸、ひいては関西圏を離れる事になった。

 

平穏という形の無いものは変わらない一日一日の連続が積み重なり作られる。

だが積み上げられた平穏をなぎ倒すのは、意外に容易らしい。そびえ立った積み木細工の下段を一気に抜くようだった。僕の平穏は一瞬で崩れさった。

 

4月になり、僕は阪急線の十三という街にいた。


大阪には変わった読み方の駅が多いが、ここも多分に漏れずに『じゅうそう』と読む。関東圏の人はまず読めないだろう。


大阪の心臓部である梅田駅の隣りであり、地元である神戸に直通できるその利便性からここに住もうと決めた。

高立地の割に家賃が安く、進学先からも5駅ほどだった。よく駅の下見もせずに決めた。今思うと安易だった。

 

この街には僕が今まで酸素や水のように無限に有ると思っていた『治安』が存在しなかった。


代わりに往来での取っ組み合い、恐喝、盗み、器物損壊が酸素や水のように豊富にあった。18年間もぬるま湯にいた僕からすると、悪の華が咲き乱れる修羅場そのものだった。


ついでに道端で暮らす人間を見たのも初めての経験だった。その道で腕ずくで財布を盗られそうになったのも初めてだった。僕はあんなに嫌っていた地元に帰りたくて、毎晩泣いた。

 

春先は学校に友人も殆どおらず、とても寂しかった。狭いワンルームの部屋で聴いてくれる人のいない曲を毎日作っていた。たまに高校の頃の音楽仲間が来るぐらいだった。そんな明るく楽しくない新生活が少しずつ滑りだしていった。

 

セミは鳴いていないが、薄着をしても体調の心配をする必要もない。そんな気候になりはじめた頃、仲間達とバンド活動を始めた。

音楽活動は本当に楽しかった。友達に紹介されたドラマーがメンバーにいたのだが、本当に上手だった。


僕が高校生の時に一緒にやっていたメンバーとは雲泥の差だった。作った曲を上手なメンバーと爆音でプレイできる喜びは生き甲斐だった。その快感を頼りに身体を引きずって生きていた。

 

そして、一人の暮らしは貧乏だった。


アルバイトの面接に幾度と無く落ち、辿り着いた職はピンクチラシを無差別に投函するという不名誉なものだった。


貰える賃金は少なく、「健康で文化的な暮らし」には大きく足りなかった。まるで火星までの燃料で、木星を目指しているようなものだった。

 

その日も地図を見ては、アパートからアパートへと歩いていた。どういう基準か知らないが、ピンクチラシの配布先に指定があるのが面倒だった。


地図通りに、僕は裏路地に足を踏み入れた。かつて人気があったことが一度でもあるのだろうかと、疑いたくなるような裏路地だった。

建物の隙間から吹きこむ風が手に持っていた商売道具をパタパタと叩くのがうっとおしかった。チラシの音以外に聞こえるのは遠くで鳴る踏切音だけだった。

嫌な静けさがこぼれ出しそうだった。その最奥地に、ようやく目的のアパートを見つけた。

 

ポストへと歩を進め、投函していった。

品の無いデザインに、品の無い内容が書かれた紙が、無機質な銀色の箱に一枚ずつ吸い込まれていく。

無意識に投函を続けていたそのときだった。

 

「おい。勝手に何してる!」

 

横から急に怒鳴られた。ビックリして、心臓が跳ね上った。


音のしない空間にいきなり飛び込んできた大声は、僕に対する敵意に満ちていた。そちらを向くとアパートの管理人と思しき初老の男が立っていた。「睨みつける」という動詞がふさわしい眼光だった。

 

「ーーいや、チラシを・・・・・・」

「何しとんねん!誰に許可もろてやっとんじゃ! 警察呼ぶぞ!」

 

自分がどれぐらいの悪さをしているのか認識できなかった僕は何も言わずに駆け出した。反対の出口から通りへ飛び出した。


「おい!待てコラ!」


後ろから怒号が聴こえたが、振り切るように走った。走りながら心の中に苦いものが広がっていくのが分かり、気持ち悪くなった。


通りの出口にたどり着いた時には息が出来なかった。全力疾走のせいだけではないように思えた。

金銭だけじゃなく、僕を形作ってきた色々な要素が失われていくのを感じていた。自分の体から悪の華の香りがした。

 

それからと言うもの場所や諸々、配布する際に決められたルールはあったのだが、次第に適当に数を誤魔化していた。

自由出勤と違法の線上にあったポスティング業にモラルも忠誠心も無かった。

何より僕はもうあの急降下して息が出来なくなるような不快感を味わいたくなかった。

 

僕たちのバンド練習は町の安い貸しスタジオを使っていた。

音も劣悪で設備も良くはなかった。あまり手入れがされていないマイクやスピーカーは、いつもキンキンとハウリングを起こしていた。


その日も練習というにはあまりに不真面目であり、遊びというにはあまりにも本格的な二時間が終わった。

 

「おつかれー」

「また来週」

 

待合室にメンバー達の声が行き交う。

相場よりは安く、僕の預金には確実に痛恨である料金を支払い、スタジオを出た。


帰り道はもう六月だというのに妙に薄暗かった。夜道に人の気配もしない。虫の羽音が街灯に巻き込まれ、その度に気味の悪い音が妙に響いていた。

 

下を向き歩いていた一瞬だった。

ワゴン車に引きずられたのかと錯覚するようなスピードで後ろから肩を掴まれた。

そのまま一気にコンクリートに叩きつけられた。速く重たいストンピングが熱帯のスコールのように降り注ぎ、焼けるような痛みが襲ってきた。自分の身に何が起きたか分からなかった。

 

チラシの元締めの男だった。


配られたチラシの数が合わない事に気付いた男は怒り狂い、僕が一人のところを奇襲したのだった。

男は僕を死ぬ直前まで殴りつけた。身長190センチを超える大男の拳が顔面にめり込む恐怖はハンパじゃなかった。


めくれていない皮膚がめくれ、焦げはじめるかのような危機感に、全身の自由が奪われた。


ボロボロになった僕に男は現金を要求し、二つ返事で僕は預金の大半を吐き出した。


風前の灯火を続けていた残高は、動脈を破ったかのように引き落とされた。


大した額じゃない事実は心を安堵させたが、自分の命の価格と思うと情けなくて涙が出た。そして何故ここまで失うのかと悲しくなった。たった3ヶ月で人間の暮らしがこうまで変わっていくのかと信仰もしていない神を今さら呪った。

 

しつこいが本当に平穏というものは一瞬で崩壊するらしい。


あっという間に人生史上最悪の貧乏生活が始まった。

アルバイトを失い、預金まで奪われたダメージはしっかりと身体と心を蝕んだ。自分の人生に歴史があるとすれば、この時期はありとあらゆる最下位を更新し続けていた。


なけなしの500円は空腹を満たせない野菜には使えなかった。天秤に栄養と満腹感をかけた時、栄養を選択できる程賢くはなく、なるべく米を買う日々が続いた。野菜はヨモギを摘んで代用した。


夏の後半にはついに夜の路上で倒れた。栄養失調だった。ただれた消費者金融の看板と、三日月が十三の夜に燦々と輝いていた。

 

心は泣くとその分歌うとはよく言ったもので、その頃はよくストリートライブをしていた。現在は綺麗に整備された十三の東口だが、当時は妙に雑多で警察の注意も一切無かった。


深夜の歓楽街特有の曖昧な灯が僕は大好きだった。日付けが変わる頃から4時間ぐらい東口で歌うのが日課になっていた。


「失うものも無いし貧乏な自分にはお似合いだ」と半ば自棄になって始めた活動ではあったが、アレは僕の音楽人生において大切なターニングポイントだった。

 

道にあぐらをかいて、道行く人に歌うなど気取ったあのニュータウンに住んでいた頃の自分からは想像もつかない絵面だった。

だが妙にしっくり来た。それまで嫌いだった汚く野蛮な十三と、そこに住む人々が好きになっていったのはこの路上ライブがキッカケだった。


世の中には立ち上がった時の目線、歩いている時の速度では認識できないものが数多くある。

何故か座り込むと「目を凝らす」という動作が自然にできる。不思議と空を見上げる回数も多くなった。数分前には目に映らなかった小さな星が数え切れない程瞬いていた。

 

街には人がいて、確実に回転していた。

その忙しく高速に回り続けるものの本質は、歩きながらでは到底見えなかった。


僕は未だに地方の知らない街に行くと、座ってその街と道を行く人々を見る。

目を凝らさないと本質や美点まで辿り着けないものは山ほどある。この世には分かりにくくても、良いものが沢山ある。

 

毎日、道で歌い続けた。

座り込み、人々より遥かに低い視点で街を見つめながら歌った。最初はただ夜に向かって声をぶつけていただけだった。だが次第に街は僕を認識した。


道行く酔っ払いは1000円札と一万円札をギターケースに放り込んだ。

ビザ切れのアジア人の女には5日続けて食事を奢ってもらった。

ギターを貸したニューハーフは僕の曲を僕より上手く弾いた。


「おー兄ちゃん。またやってんなー」


と言われるのが嬉しかった。


自分が作る歌にどうしても書かざるを得ないようなものが宿っていくのを感じていた。一人で暮らしてから、音楽がますます好きになっていた。

 

それからも、街で奪われたり騙されたりはあった。傷の上に傷が重なっていくような理不尽だって浴びた。


でも毎日は苦しかったが「その街に降り立たなければ良かった」と思わなくなっていた。ここで何かを歌いながら、泣いて笑って死にたいと思った。


人間を長くやっていると物事が見えなくなる時がある。

そんな時、膝を抱え地面に座り込んでいたあの日を思い出す。だから、僕はたまに座り込む。目を凝らすために、道に座り込むようにしている。

 

これは続いている。紛れもなく続いている。そんなことを確信するために歌にした。

東京に出て来て音楽をやらせてもらって5年になる。上京前は大阪で4年ほどやっていた。
嗚呼、気付くともう人生を随分音楽に使っていることになる。


「上京し音楽をやる」


文字にすればたかだか八文字だが、そう簡単なものではなかった。

好きや嫌いで語れるほど、シンプルな感情を抱いていないが、僕にとって重要すぎる街、東京に来た時のことを思い出してみる。
 
 
僕が21歳になる4月のことだった。

学内は大学受験という鎖から解き放たれて浮かれる者もいれば、次なる一年に思いを馳せる者もいる。

そしてとうとう将来と目を合わせなくてはいけない年齢の者もいた。
満開の桜の木に似つかわしくない肌寒い四月の風に、肩をすぼめながら僕は友人と下を向いて歩いていた。
このキャンパスの地面を踏みしめてもう三年目になる。
 
 「どうする?就活」
 
今まで何も考えず二人で遊んでいた山田君が初めて口にした単語だった。こいつがこんなことを話題にするなんて、僕らもいよいよな学年になるはずだった。
 
僕は音楽をやっていて、しばらく経っていた頃だった。
アルバムを二枚リリースし、実費だったがツアーも行っていた。そして何事もなくそのまま音楽をやっていくような気がしていた。ずいぶん頭のあったかい21歳だったと思う。
 
 「うーん。まだ特に何も考えてない」
 
その時はそう答えたが心の底にしこりのような物が陣取っているような不快感がしばらく拭えなかった。無意識ながらも「大人になる自覚」というものがあったのかもしれない。
 
寝ても覚めても拭えない感覚と、数え切れない溜め息を止めたかった。
僕はバンドメンバーに卒業したらどうするのかと聞くことにした。

週に一度だけだった練習の後だった。口ぶり重たく、その話題を持ち上げた。

進路は同学年であるメンバー達も無視できない問題だったようで、長い議論となった。

そして出た結論は「上京」だった。
 

「東京に行って一旗あげよう」
 
そんな大層なお題目ではなかったのだが、何も考えていなかった僕にとって、進路が決まったことは大きかった。
航海中の船だった自分の壊れていた羅針盤の針が修復し進みだしたようだった。

しかし事態はそうそう上手くは転ばなかった。 

 
その二年後、いよいよ上京するという準備が整った頃には僕らは崩壊寸前だった。リハーサルに来ないメンバーや資金繰りがうまくいかないというメンバーが出てきた。
 

ロックバンドを潤沢に活動させるのはとても難しい。

 よくよく演奏力や歌唱力によるミックスアップが素晴らしいことを指して「この四人でなくてはダメ」「この四人が揃った事が奇跡」などという美談がある。

だが、そのグレードに辿り着くまでには幾つもの障壁がある。単純にバンド活動は楽器を持っていない時間の方が圧倒的に長い。
その音楽以外のクオリティが保てず、壊れるバンドは無数にいる。
そして僕がいた環境は紛れも無くそうだった。

 

内部環境は整わずに、酷くなる一方だった。

二月の曇天が広がるある日のことだった。

「メンバーを一名を切って上京しよう」 
 
という話が持ち上がった。

リハーサルにも来ない人間と上京してまで音楽をやる必要もなかったからだ。至極全うな理由だ。しかし、この案は実行には移されなかった。
 
切られる当人が「いや、自分も行く」と言いだしたのだった。

それまでもいいかげんに過ごしていた僕にそれをとめる資格はなかった。
この手の話は道徳を持ち出すと複雑になるが、僕の中でも「人を見限る」という行為の後ろめたさは決して軽いものではなかったのだろう。

もしかしたらいいかげんさの持つ、ぬるま湯の水温が心地良かったのかもしれない。

そして僕らは四人で東京に行くことになった。ネガティブな話をテーブルに上げるだけ上げて、宙ぶらりんのまま僕たちは出航した。

 

卒業のタイミングは僕らの現状をあざ笑うかのようにやってきた。
学内にいても、僕は周囲の重力をすべて請け負ったかのような暗さだった。目障りだったと思う。

2年前と違い、桜は視界に入らず、肌寒いだけの風が吹いていた。何かに耐えながら物事の終わりをじっと待っていた。
 
3月に入り夜行バスの予約を取った。
 
当時はそこまで夜行バスが安くなくかった。4,100円もかかった。

東京に足を運んだ事は幾度となくあった。だが、片道だけの切符を購入したのは初めてだった。「帰れない」という現実が切っ先となり、眉間に突きつけられているようで目眩がした。
 
バスに乗る日がやってきた。
誰にも見送られず、アコースティックギターを抱えて狭い座席に乗り込む。
引っ越しの荷物量を減らしたかった、という理由で抱えたギターは、狭い座席をさらに狭くした。

遮光カーテンを閉め切って、とにかく眠った。眠ってしまいたかった。先行きや希望は見えなかった。過去は輝き、未来は圧倒的に黒に染まっていた。

 

疑ったままの歌を手に東京にやってきた。東京は春だった。


こんなにも春という季節を疎ましく思ったのは初めてだった。4月を闊歩する新入生や新学年という生き物を見るたび、激しい焦燥にかられた。

同様にバンドの環境も自分自身も、もうどうすればいいか分からないレベルまで来ていた。


僕は「自分は一人で寂しく、誰も買わない歌を作っていればいい」と本気で思っていた。いや、思おうとしていたのかもしれない。


でも、心の片隅では何よりも仲間や未来が欲しかった。


 
上京して半年。メンバーの音楽以外のトラブルでバンドはあっさりと崩壊した。

 
東京のアルバイトの時給は大阪とは比べ物にならず、生活には全く困らなかった。それにも関わらず心は限界だった。
バンドの崩壊はどうでもよかったが、それでも自分の生き様や現状を思うと恥ずかしかった。穴が無くても、どこかに入りたかった。

次第に得体のしれない後ろめたさが迫ってきていた。

陰鬱な気分を追い払うように、延々と自宅で歌を作っていた。歌う場所が無いのに心はどうしようもなく歌っていた。
木造住宅の窓から差し込む光は浴びていると、人生のツケが照らし出されているで死にたくなった。
 

梅田を思い出していた。

今の梅田は新宿顔負けのメガステーションとなり、西日本最大規模の摩天楼がある。
だが当時は工事が多く、まだ地方都市の様相が見られた。

そんな梅田の隣り駅に暮らしていた僕にとって、新宿の高層ビルや渋谷のスクランブル交差点は強い憧れの対象だった。

新宿特有の天空まで突き抜ける銀色のビルや、幾つかの巨大スクリーンから流れる音楽がぶつかり合い、街全体が叫んでいるような渋谷の喧騒に触れていると、何者かになれるような気がしていた。
 

新宿の一角にある住友ビルでアルバイトをしていた。
働いてみても、一時間に1,300円が貰えるだけだった。増えも減りもしない残高を見ても先々の不安は消えなかった。

具体的に削られているものは無いのに、自分の中の何かが確実に減っていく自覚があった。その耐え難い苛立ちはいつしか虚無に変わってしまいそうだった

気付いた時には、僕は自己紹介をしても自分を表す相応しい言葉が一つもない人間になっていた。


日々を灰のように撒いていた。
貴重な時間がどんどん減っていくのが分かった。

それは、身が焼かれているように辛かった。窒息した気管を呼び戻す居場所が欲しかった。
 
そんな本当にどうしようも無い時に東京で人と出会った。

割合するが、どうやらその人も困っていて僕はその人と音楽をやる事になった。

するとまた別の困った人と出会い、またその人ともやる事になった。

そしてその日々は今日まで続いている。今の日々は東京が与えてくれた。

 

そんな事を歌にした。忘れたくもないので。

レールと車輪が断末魔のような音をあげ小田急線は緊急停止した。

 

「ただいま人身事故発生のため運行を見合わせております。お急ぎのところ大変申し訳ありません。」

 

アナウンスが鳴り響くと同時に乗客のため息と舌打ちが聞こえてきた。この人口密度のせいか彼らの落胆と苛立ちはあまりに鮮明に伝わった。

 

「すみません。人身事故がありまして、着くの遅れそうです。すみません」

 

目の前のサラリーマンとおぼしき中年は謝罪に始まり謝罪に終わる日本語をスマートフォンにぶつけている。座席のOLは事故発生前にしていた化粧のチェックを事故発生後も継続している。

 

十五分後電車は動きだし、彼らと共に新宿駅のホームに勢いよく吐き出された。

 

到着と同時に走り出す者もいれば駅員から遅延証明書を受け取り歩く者もいる。下車後ただただそれを見ていた。その風景を見つめていると不思議と足が前に出なかった。

押し寄せる人の波は僕の胸に次第にやり場の無い悲しさを放り込んで来た。その心臓が鷲掴みにされているような閉塞感は今までに味わった事のないものだった。

 

彼らの足は前に進んでいた。速度の違いはあれど誰もがそれぞれの目的地へとつま先を踏み出していた。それを見て僕は彼らが何かを守っている事に気付いた。一人で暮らす者は自分を。家族がいる者は家族を。夢がある者は夢を。皆何かしらを守るためにそれなりに我慢して折り合いをつけながら日々をやりくりしている。

しかし朝は彼らの体調や事情を汲む事は決してせず、ひたすらに日々を投げつけてくる。誰もが苦しさを誤魔化しながら逃げもせずに黙々とそれを打ち返している。

 

新宿駅は皆自分の事で精一杯だった。
視界は自分の身を守るためだけの広さに集約されていた。そんな中、今日は運の悪いやつが一人亡くなっただけの話。そう言いたげな風景だった。

 

勿論今日だけではなくこの国の何処かで昨日も一昨日も、誰かの命が散っている。

我が国には年間に三万人もの自殺者がいる。行方不明者を合わせると倍以上の数になる。残念だが先ほど起こった事は別段珍しい事ではないのが事実だ。

 

僕はそれでも立ち尽くしていた。

 

「今日死んだ人だって一年前まではこうして背筋を伸ばして新宿を歩いていたんじゃないだろうか」

 

突如目の前で今日に立ち向かう新宿駅の人々が綱渡りで毎日を繋いでいるように見えた。いつ落ちるかも分からない太さの綱を彼らは猛スピードで行き来しているようだった。

 

年間三万人と書くと一言だ。
しかし人が死んだ事象が三百六十五日だけで三万回起こったと考えると、陰鬱な気分は僕の臓物全域に散布された。

彼らには家族もいたかもしれない。恋人がいたかもしれない。夢があったかもしれない。それこそ新宿駅の人々同様に何かしらを守ろうとして戦っていたかもしれない。小田急線の線路にはまるで彼らの無念のように積年の汚れが染み付いてる。

 

人一人の人生が終了する。機械が壊れたのとは訳が違う。人生にはそれぞれの心があり、それぞれに関わった人々がいたはずだった。平凡なんてものは実際この世には皆無でありそれぞれのドラマが人の数だけ存在する。

 

だが心は破れさり散った。自分が乗っていた電車に飛び込んだ誰かの命が散った。

その出来事の重さに反比例して通常運転の新宿駅はあまりにリアリティが無かった。しばらくしても心は鈍く痛み、風邪のような耳鳴りはやまなかった。

 

人が多すぎる程多い東京の中でも死ぬ時は皆一人だ。当然だが悩みが悩みだけに気軽に相談などできなかったと思う。相談しても止められると分かっている悩みなど相談事として成り立っていない。人は皆一人で孤独に散っていく事を如実に表している事実だ。

 

では飛び込む時怖くなかっただろうか。今日までは守ってきた「何か」がもう二度と守れなくなった事は悔しくなかったのだろうか。守り続ける苦しさよりもたった一人で死の恐怖を選択した彼はどんな思いで死んでいったのだろうか。

 

そして誰が次の年の三万人になるかは本人にさえも分からない。目の前の走る人も歩く人もそれを見ている僕自身も綱から落ちる可能性がある。そう考えると胸が千切れそうになった。

 

気付くとアルバイト先に行く時間はとうに過ぎ、スマートフォンにはフィーバーしたパチンコのように電話がかかってきていた。しかし動けなかった。僕はもうなんとなく働く気になれなかった。

 
 

ひたすら歩く事にした。

新宿から代々木上原。下北沢、新百合ケ丘へと歩いた。歩いていると耳鳴りがやむ気がした。定期的に訪れる金属と金属を叩きつけたような踏切の音を手掛かりに線路沿いを歩いた。足の感覚が無くなるまで歩き続けた。

 

気付いたら空は次第に暗くなり、まるで僕の体調や事情を汲むかのように陽は落ちた。その落陽は何もしたくない人間にとって、唯一訪れる安息の瞬間を映像化したかのように見えた。

 

23歳になる上京したばかりの春の事だった。


その日の事を歌にしたら少し心が楽になった気がした。

https://www.audioleaf.com/artist/player/qooland/




富山と金沢の公演から帰ってきてすぐに店回りを都内近郊で決行。

今週発売したんだなー。と実感。

普通リリースって出す予定を前々から決めて動いていくんだけど、そもそも出せるか出せないかも曖昧だった曲が出たので喜びは多大だった。

しかも店やそれを支える人らが僕らのやる事をムチャクチャ肯定してくれてるような愛のある展開が連発し、嬉しすぎた。

願わくばこの作品が買ってくれた人のフェイバリットになり、僕らの事を知らない人にどんどん波及しいけばいいなと思う。

歌だけじゃないけど本気の創作物には色んなエネルギーが宿ってると最近ひしひしと感じている。




さていよいよ明日は発売日です。

出せなかったアルバムがみんなのおかげで出る。凄い。ありがとうございます。

本当3月ぐらいの時はどうしようもなかったのに早いもんだと思う。嬉しい。

もうみんなにも是非お店に見に行ってもらいたい。買う買わないは置いといて。なんかもう見てほしい。

僕らはお店に木曜にいきます。

ラジオ情報!




14

自分の家ですべてレコーディングしました。

自宅1(700円※送料込み)
1大阪梅田
2ドグラマグラ
3中学三年生
4太宰治
5内定消す

自宅2(1,200円※送料込み)
1金と女
2駆け落ちと花嫁
3Family
4ベストオブ匿名
5Week


お名前、郵便番号、ご住所を記載してtakurooohirai@gmail.comまでメール下さい。配送します。


自宅
1.大阪梅田

いつまでも「側に居ないか?」と小さく笑って

夕凪はそっと声に絡めて夜に溶かしてみる

会いたい夜に飛び込んで改札と心が開いてく

悪行三昧も終焉 全てが光っても 

いつか見える 終焉が見えすぎる夜が来る

いつか見える


大阪は梅田 パリもニースも夢より遠くて

だから梅田 価値もニーズも笑顔は語っていた

そして「どうせ生きてても」幾つになっても毎日嘆いて

そしていつまでも指を絡めて嘆いて紡いでいこう


123で飛び込んで大切な人の歌が鳴る

123歳をとっていつかは僕らも

ただ過ぎてく ただいっさいはすぎてゆきます

ただ過ぎてく


最終列車飛び込んで6番線 手を引くベルが鳴る

十三大橋も揺れ、日々が終わっても

いつか旅に出ようじゃないか いつか旅に

2.ドグラマグラ
嫌な事  したくない事 朝早く起きたくない事
不満のリストみたいなその日記帳
誰も居ない 誰かしか居ない ドグママグラみたいな東京
架空のリストみたいなその電話帳
笑って、殺して健康でいられるか 眼球はどうやら限界だし、背けることも疲れたし 

誰か嫌いになるときぐらい 一人でやれ 頼むよ東京
懇願のベクトルも下がる一方
クラブハウス 鳴り響く歌 何千回も聴いた内容
流行のリストみたいなその残響音 
笑って殺せば健康になれるか、被害者ごっこ楽しめたか アバラと膝を間違えた 


3.中学三年生

今も大好きな人たちは何かを探して違う道へ

1人でまた「会いたい」思うことは中学三年生

夜まで教室に残って受験勉強を偽り続け

毎日同じ話しに花も咲く過ぎし行く今日の日よ


曖昧な今があるかもあの日の歌が歌えない

だから水をあげましょう乾いた砂に水を

愛があるなら毎度ある 葛藤すら愛せる


どんな風に生きて死ねばいい 先生も大人も知らない

おしまいの足音の中で知る 先生も大人もガキと

名前を呼ぶ最後の日過ぎし行く今日は中学三年生


机の落書き愛らしい糸がほつれる制服カバン

激情の連続が冷淡になり 一つまた諦めた


中学三年生に戻りたい 現実逃避や逃げではない

もう一度何かを何かを習いたい 先生から習いたい


好きなように生きて死ねばいい 死ぬ頃に分かる気もする

蘇ることはもう二度とない それもいいだからこそいい

名前を呼ぶ最後の日 過ぎし行く今日は中学三年生

4.太宰治

太宰で朦朧とした夜が明け 火薬を飲んで眠る

デパスで洗浄した胃を整えて お酒を吐いて眠る

誰も殺してないから 誰にも殺されてないなら一緒に暮らそう

絶望と目が合う 滅亡と出会う


僕と彼はもう生きていくことができないと

その日々を撒いていく痛みと そのヒビに巻くものがないと


彼女は絶望と会い春を売り 死に方の載った本を買う

その甲斐あってかちゃんと首を吊り笑顔でやっと眠る

こうしないと寝れないから


僕と彼はもう生きていくことができないと

その日々を撒いていく痛みとそのヒビに巻くものがないと 


5.内定消す

泣いて消す泣いて消す 痛みは何だ

改正も再生も歯が立たない

泣いてることだけは分かる

居たいから痛いように分かる


泣いて消す


鳴らすまで歩きたいから

失いそうでも彼には見えるだろう


内定消す内定消す 道徳はどうした

来年も留年も 見方次第か

未来ほど現在よりも見える

周りから見たらよく見える


内定消す


今は独りといたいのに

聞こえるそれは鳴り止むことはないの

鳴らすまで歩きたいから

失いそうでも僕には見えるだろう

自宅2
1.金と女
 友達に恋人が出来た 遊んでくれなくなった日

あの日を思い出すと 未だに足はすくむ 


男は何度でも 嘘と本当を行き交うし

女は何度でも  全てを奪っていくし


価値観を擦り合わせ 刺し違える事もある

「誰一人では味方ではない」 見方によっては美しく映る


将来も音楽も陽も奪い 俺を一度は殺し

勝ち誇るのもいいんだけど 二度三度 細胞は復活し消える


俺も君も同じように 昔と今の連続に

奪い奪われて生きて 負けっぱなしだけど


宗教は何度でも 嘘と本当を行き交うし

お金は何度でも 全てを奪っていくし


友達に問い合わせ どっちが先にくたばるか

別々の道を取れど 互いに怒り収まらず歩く


歌にするほどの事じゃない じゃあ何で泣けど歌えど消えない

彼も彼もまた彼も 俺をゴミ同様に捨てては消える  


金と女に殺された 俺を救ったのも金と女

愛想笑って誤摩化せ 二度三度 細胞は復活し消える


夢や愛や希望を謳い そのついでに俺を何度も殺し

諦めるのも慣れたけど 二度三度 細胞は復活し消える

2.駆け落ちと花嫁

夕暮れ 繋いだ手 すすきの音

今日ぐらいは外で食べて帰ろう


町田の街を流れ 二人

あって無い明日に駆け落ちて


でもね 僕は君と暮らしをあって有る物として抱きしめて

子供の振りをしたまま式場でようやく大人になる


眼は眩む

残高や将来や健康は視界を奪う

まぁ出会った時も

笑った声、繋いだ手に眼が眩んでいたっけな

だから今日も君の隣りに居る



皆々が認める人になる。

そういって僕は家を出た

あせりに眉をしかめ腐り

割れたガラスと真っ赤な手を見て


気付いた

100万人とか100万円が欲しいんじゃなくて

隣りで100万に辿り着く僕を見てほしいだけ

一人にだけ


男だったら

アルコールや現実に眼が眩んでしまうよな

その先の花嫁になった君を見て眼が眩みたいよな

だから今日も君の隣りに居る


今日は二人で居て これからも記念日も無く、でも愛を歌おう


そしてこれからも 食う寝る住むの真上に立って歌を歌っていよう

まぁ毎日の辛い事、暗い事 ほら心を殺すでしょう

だけど今日も君の隣りに居る

僕が君の隣りに居る 

3.Family

朝もやけ 独り占め 窓の外は白み始める

旅に出る 彼を乗せる船が港を発つ時刻が来た


見なくても聞かなくても触れなくてもこの部屋で彼を待つ

暁に街が染まり胸が騒ぐ  船は嵐に遭う  二度と聞けない


今は一人きりでいたい  心に決めた人一人

失くしても捨て切れないものがここに在るから


行く年月 涙も枯れ 皆も彼を忘れた頃に

生まれてくる一人の子 二度と迎えに来れない彼との子


腹を蹴り奮い立たせる彼の意思を継ぐ子の命を知る

大きくなる子小さくなる母 経ってく月日 もう一度港へ行く 二度と聞けない


決して一人きりではない 心に刻む人一人

失くしても捨て切れないものがここに在るから


きっともう怖くも壊れない 心に刻む人一人

失くしても捨て切れないものがここに在るから

失くしても捨て切れないものとここに居るから

4.ベストオブ匿名

手に匿名のバンドスコア

三ノ宮の石橋楽器店 黄色いギター 中学生に大ブレイク

ギターロックの王様が前髪垂らして集めるから

手に匿名のバンドスコア ベスト・オブ・匿名


僕たちが鬱を拗らせて死に至るまでに

ピクシーズやラモーンズが鳴る日は来るの 

 
5.Week

続く【日曜日】 喝采は遠のいて だけど日々を歌っている人も居る事

ようやく【月曜日】 鳴る手もちらほら 同じ数の舌打ちも鳴るという事

「誰のせいで」「何のため?」理由が要る日もある

じゃあ何で泣いて心で話して理屈を超えたくなるの?

 

「もういい」と言う気は無いでしょう?

「痛い」や「悲しい」とこぼれる声 歌っては【火曜日】に繋いでいく

そうしてまた日々を跨いだら 立てない場所 歩けない場所が立ち直る場所になっていた事


登った【火曜日】 叶った事を見て 事を支える人に手を合わせた事

【水曜日】からの話を知らない事 だけど誰と歩くだけかは分かる事

 「誰のおかげ」「僕のため」小ささ知るも知る

「駄目」と聴いて 「捨てろ」と言われて だけど超えたくなるの


もういいぐらい勇気を貰ったと

期待や魂を乗せて飛んで行く 【水曜日】目掛けて飛んで行け

そしてまた今日が暮れていく

帰り道のあかね空と【木曜日】からも「よろしくね」一言


どうしたって人は流れて行く

乾いた日曜 光明の月曜、火、水、木を超えて飛んで来た

そうしてまた時を跨いだら

合っていた事  間違ってた事 【土曜日】になってきっと分かる事


負けなかった事を折れなかった事を一人で出来たかを思った夜の事 



rock'in on JAPAN本誌の広告からShining Sherryのアコースティックverが全編聴ける。

完全に自分ちで僕ミックスの僕マスタリングが聴けるのも珍しいかと。

立ち読みからでもいけるんですけど、立ち読みからだと合法なのか違法なのか分からないので言明しない。



いよいよクラウドファンディングの発送が始まる。その量はまさに地獄!

一足先にCOME TOGETHERが届くよー。

作らせてくれて本当にありがとう!

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