同業者から夜行バスのコラムが一番評判がいい。夜行バスにしばらく乗っていないけれど、原点だと思う。加筆してみた。


天空からカーテンをひいたような雨だった。


昼間から変わらない空模様にため息が出た。あと2時間で日付けが変わる。

小田急線の新宿駅を降りて、5分ほど歩いたらUFJ銀行がある。バスはいつもそこから出る。
 

屋根の下に僕たち4人はしゃがみこんでいた。地方のライブがあるとき、車の無い僕たちの移動は夜行バスだった。



バス会社の点呼があるので、集合がやけに早い。点呼が終わったらひたすら待つ。

僕たちはとりとめのない話をしながらしゃがみこみ、バスを待ち続けた。



大粒の雨が地面に炸裂して抱え込んだギターケースに当たる。

ジメジメした6月の湿気がテレキャスターを蝕んでいるようだった。自主制作のCDやTシャツを詰め込んだプラケースにも、無数の水滴が付いていた。



僕は海の底みたいな空を眺めながら「独りだったら待ち続けられないだろうな」と思っていた。


独りだと耐えきれないことも、誰かといれば耐えられる。耐えられるどころか、面白くなるときがある。人生には、そんなことがいくつもある。文化祭の準備や、甲子園を目指す野球部。修学旅行や、真夏のロックフェス。



すべて独りだったらやりきれないし、面白くない。ハードな時間や、ハードなプロジェクトは「仲間」と相性がいい。仲間と苦楽を共にして、結束を高めていく面白さは初めての経験だった。楽ばかりでは結束は高まらない。結束は成長の遅い植物で、適量の「苦」が必要だ。



夜行バスは待つのも、乗るのも、降りてからもハードだ。機材と商品と荷物。それと身体を引きずってライブをしに行く。もちろんそこだけ切り取るとハードだし、楽しくなんかない。


だけど胸が悪くなるような嫌悪感は無かった。
むしろハングリーなスピリッツが燃えてきた。


少年院の中でひたすらジャブを振り続けた矢吹丈だ。「あした」のために何かを燃やしているような充足感だった。


そんなプラスの感覚が持てたのは「4人でやっているから」だった。4人だから耐えられるのだ。独りではきっと耐えきれない。




突然、重たいエンジン音がした。

その無神経な音に考えごとを切り裂かれ、僕はゆっくりと立ち上がった。


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「大阪梅田行きの方は、3号車でーす」



やりたくない仕事をやっている人特有の何かにぶら下がったような声がした。点呼係りの男だった。3号車へ向かう。



乗客が次々と運転手に荷物を渡す。運転手がドカドカとトランクに荷物を詰め込む。

僕たちも男に機材類を渡す。



「壊れても保証しませんよ」と男が言った。


「壊れないように作ってるんで」と答えた。



ギターケースが放り込まれる。弦が揺れたのか、テレキャスターの鳴く声が聞こえた。


心の中で舌打ちしてバスに乗り込む。
映画館や新幹線とは、比べものにならない狭さの座席に、身体を押し込む。



次々と人が乗り込んでくる。みんな限界みたいな顔をしている。4人組の乗客は僕たちしかいなかった。


(しかし今月は何回、バスに乗っただろうか。大阪や名古屋に行った回数分、バスに乗っているから・・・・・・往復で2回乗るから、5回目か。いつか車で移動したいな)



バスに乗るたびに思った。


耐えきれるは耐えきれるが、つらいものはつらい。車移動はひとつの夢であり憧れだった。そんなことを考えているうちにバスは走りだした。



すぐに消灯時間がやってくる。

運転手の「消灯です」の声と共に電気が消えた。このタイミングで遮光カーテンの役割に気付く。車内がまっくらになった。


走っている場所が、高速道路なのか、一般道なのかも分からない。



相変わらず、この時間が怖い。

トンネルに入るとオレンジ色の灯りがカーテンの隙間に差し込んでくる。反して車内はまっくらだ。走行音だけが同じリズムで鳴っている。



ふと隣りを見ると、もう全員が寝ていた。大勢いる乗客が、死んだように眠っている。



むかし観た映画の、ワンシーンを思い出していた。バスで修学旅行に向かうとあるクラスの話だ。

クスリで全員眠らされて、島に護送される。そこでクラスメイト同士で殺し合いをさせられる、というものだった。


このままどこかに運ばれて殺し合いをさせられたらどうしよう。と考える。


(人を殺せるだろうか。いや、体力も大して無いし、序盤で殺されるだろうか)


脱線に脱線を重ねて、考えの原型も無くなった頃にようやく眠気はやってきた。



窓に手の甲側を押し付けて、マクラにする。左耳を潰すように、眠りについた。


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揺れで、目が覚めた。

携帯を開くと5時間近く寝ている。でも10分ぐらいしか寝ていないように感じた。


頭が痛くて気持ち悪い。睡眠の質は毎度、最悪だ。

左手は血が完全に止まっていて、感覚が無い。首の左側の筋肉は固まって、腰も左だけが痛い。
反対側に寄りかかりたいけど、純くんが寝ていて無理だった。


バスに一度乗ると身体のバランスが凄まじく狂う。




カーテンの外から光が差し込む。少し明るくなっていた。

まわりの乗客も起きはじめた。遠くで電車が線路を叩く音がする。阪急の京都線だ。



「間もなく、大阪梅田です」



「消灯です」とは違う声の運転手が告げた。夜行バスは通常ふたりの運転手がいる。

8時間のロングドライブには交代が義務付けられていた。




「大阪梅田、到着です。お降りの際はお忘れものにご注意ください」

到着の声は明るかった。明るく聞こえただけだろうか。消灯を告げる声とは別次元のトーンだった。




僕たちと乗客たちは、梅田の駅前に吐き出された。新宿と違って大阪は晴れていた。トランクからギターや荷物を引きずり下ろす。



「とりあえずコンビニ行って、なんか食う?」


菅さんが言った。

夜行バスを降りたらいつも何か食べる。なんとなく、何か食べないと頭が切り替わらなかった。



コンビニに入って、おにぎりを買った。105円で手に入るささやかな幸せだ。

おにぎりを食べながら歩く。これから、朝の御堂筋線に乗らなくてはいけない。




「消費税が8%になるらしいで」



歩きながらタカギが都市伝説の話をしてきた。アホらしい。



「そうなったら、いろいろ凄いな」


(いや、計算ややこしすぎるだろ。おにぎり買うのに5円玉と1円玉3枚出すのか。サイフが1円玉だらけになるぞ)


券売機までトボトボ歩く。荷物が多くてキツイ。240円を放り込んで切符を買った。


切符は税込みだからキリが良くていいな)と心の中でつぶやく。


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地下鉄が爆音を乗せてやってきた。朝っぱらの梅田は降りる人が多い。

プラケースや大きな荷物、楽器を持ちあげてビジネスマンたちをかわす。降りる人が先だ。


降りる人が僕らを縫うように通り過ぎる。僕たちは完全に異物だった。ジャマだった。


電車に乗る。乗っても異物だ。

大量の荷物を持った4人組は、異物でしかない。たまに舌打ちが実声で飛んでくる。240円分の権利を主張したいが、聞こえないフリをした。



悲鳴を上げて御堂筋線の地下鉄は心斎橋に着いた。
降りる際に左腰が痛んだ。本当にズキンと音がしそうな痛みだった。


立ち止まりたいけど降りる。降りてから立ち止まったら、また舌打ちが飛んできた。降りたら240円は効かないかなと思う。



今日のライブハウスは「パンゲア」という名だ。去年できたばかりだった。伝説の超大陸の名をなんで付けたんだろう。




また4人で話しながら歩く。階段ではプラケースを、ふたりがかりで持ち上げる。



「車があれば、身体が相当楽だろうな」



「いつか買えるかな」



「次も無料ダウンロードやりたいから、まだ無理かな」



「車があればな」




この翌年、僕たちは車を手に入れる。キツイ時期を耐え抜けば、情勢は必ず変わる。そしてイマも思う。


僕は独りでは決して耐えられなかった。


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駅前で大学生が酒を飲んで大騒ぎしていた。自分の限界を知らない女の子が潰れて、男は道で吐きまくる。飛び交う「大丈夫かー!?」と「二次会行くやつー!」という声。

 
こういう光景を嫌がるひとは多いと思う。

でも仕方ない。僕はこれらを仕方ないと思うのだ。なぜなら彼らの人生にアルコールが登場したばかりなのだ。飲むより飲まれて当然だ。

というより自分自身に身に覚えがありすぎるから、責めるに責められない。急アルで救急車に3回乗った自分としては責められない。


それにしても飲めないひとも増えたらしい。たしかに「酒がダメだ」というひとはチラホラいる。


さて、ここで飲めた方がいいのか、飲まない方がいいのかという論争がある。暮らしに酒はいるのかいらぬのかという話だ。

それにしても嗜好品なのに論が巻き起こるってすごい。ガムやコーヒーなどではまず起こり得ない。
それだけ人類の歴史とアルコールの関わりは深い。いつからだろう。紀元前からとかに食い込むのだろうか。


「飲むか飲まぬか」の力点は「飲みニケーションが使えないと困るのではないか」、「ストレス解消の手段」と「アルコールにより失うものがあるのではないか」というところだろう。

他にも酒のメリットがある。
たとえはこれだ。


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見て分かるように、カブトムシのコスプレだ。そしてカブトムシに接待される友人だ。彼はドラマーとしてSMAP×SMAPに出たことがある。


このように酒が無ければカブトムシのコスプレなどできない。そして隣りにカブトムシ男がいることを受け入れることもできない。


人生においてカブトムシになる必要があるか無いかと、カブトムシバーに行くことがあるかどうかはひとまず保留だ。

しかしどちらにせよ、やはりシラフではキツイ。これはアルコールのひとつのメリットだ。


ちなみに飲むか飲まぬか論のファイナルアンサーは出ている。

「適度に健康を害さない程度に楽しみながら飲めばいい」だ。

だがガマンができない人間もいる。適量が一番難しい。



僕は酒を浴びるように飲む時期と、一滴も飲まない時期を経験している。

「適度に楽しむ」で収まらないように作っているものを、適度に楽しめるなんて相当自制心の強いひとしかできない。無理だ。

飲酒はゼロか100かにしかできないのでゼロにした。

でもじつは酒をゼロにして困ったこともないのだ。これが思ったよりも無い。もっと有ると思った。
「断りきれない酒」というのもまだ経験していない。カブトムシになる予定も無い。


思い返すと、今ある大切な関係も酒により手に入ったものはひとつも無い。みんなシラフで始まって、シラフで好きになった。

そもそもアルコールが無いと縮まらない距離なんてあるのだろうか。その関係は朝になったらまた離れていきそうだ。

ファイナルアンサーを難なくこなせるひとが最強なのはもちろんだ。


しつこいが「適量」ってむずかしい。

駅前の大学生たちは死なない程度に楽しんでほしい。美味いし楽しいけど、あくまで致死量があるものを摂取しているのだから。まぁカブトムシになったまま死ぬのも伝説すぎて悪くないかもしれない。


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シンプルになってきている気がする。ようやく、というかやっとだ。

何も調べなくても、何も確かめなくても、何も保証してくれていなくても、平気になってきた。

全部じゃないけれど、自分の中に美観が整い出してきたのかもしれない。ワクワクすればアリでワクワクしなければナシだ。それで決まる。

もしかしたら「ワクワク」は「カッコよく」に言い換えられるかもしれない。ホントまだまだ全部じゃないのだけれど。


お伝え通りレコーディングをしている。今日は中日。

結果あまり作り込まない行程で突入しているのだけれど、故にシンプルだ。
余白を是とするひとばかりではないだろうが、僕はそれこそワクワクする。

言語を先行させない音楽の作り方、遺し方はデンジャラスな部分もある。知っている。でもその分、個人個人のスピリッツがぶつけやすい。好きなようにやりやすい。
綿密なミーティングを重ねまくった録りもそれはそれでいいのだけれど。

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しかし「みんなで決めたこと」という大正義が少なくなればなるほど、クリエイティブだと思っている。

もちろんバランス次第だし、着地点に対して一丸となるかどうかは紙一重だ。ただリスキーでも、たまらなくドーパミンが噴き出るのは間違いない。


あなたの仕事にも当てはまるだろうか。
当てはまるかもしれないので今回、思ったことを書いておく。

「自分のタイミングで訪れる仕事なんて無い」ということだ。
むしろ自分がタイミングを合わせていくのが仕事なのかなぁと。
 

ピッチャーはタイミングをあの手この手ではずしてくる。
バッターはなんとかそれを読んだり合わせたりして、くらいついてバットを振るしかないんだそうな。

ボールは一定の速度でも来ないし、ど真ん中にも来ない。

働く人々みんなそうじゃないだろうか。仕事だけじゃない。人間関係もそうかもしれない。

タイミングを合わせていくしかない。

どうしても合わないときはファウルで逃げたりフォアボールを選んだり、なんとか生き延びるのもアリだ。

華麗じゃない部分があってもいいじゃないかと思う今日この頃だ。

レコーディングが佳境。
毎日毎日、いい大人たちが作った音楽を良くするためにアンデッドみたいになってくれている。

子どもの頃に望んだ将来はカタチを変えたりして、小さく叶う。そして実情はわりと苛烈だったりする。

僕は有難いことに好きなことが連結している人生を結果送れている。有難いし嬉しい。今日は「好きなこと」について。


好きなことが嫌いになったりする日がある。そんな日がある。人間だもの。

逆に嫌いなことをやっているのに、何故か楽しく過ごせる日もある。

好きで結ばれたはずなのに嫌になったり、行きずりの恋愛が変に続いてしまって、やめたくなかったりする。

こんなことがあるもある。人間だもの。

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だけど好きとか嫌いとか大した問題じゃないのかなぁと思ったりもする。

好きなこととか好きなひとって案外脆いし、そこまで強い磁力は無い。


好きな仕事に就けても、関わる人間が嫌で続かなかったりする。
反対にみんなが嫌がるような仕事でも人間関係が良ければ、なんだかんだ楽しかったりする。


これまでも、その時々の好き嫌いで結論を出さない方が良かった。むしろ好きとか嫌いで物事を選びとらない方がうまくいく気がする。

「嫌いだから」で結論を出したとき後々、「失敗した」と感じることが多かった。

「好きだから」は「こんなはずじゃなかった」を生んだ。


うまくいった選び方は「ワクワクするから」だった。つまり「やりたいから」だった。
これらは「好きだから」に似ているけれど、少し違う。エキサイティングな予感には、もっと不確定なファクターがある。


こう思う。
判断しない方がいいことが多い。

「判断」という本能が人間には備わっているらしい。原始の頃からの危険察知能力の名残りだろうか。「判断」はかりそめの安心が手に入るのかもしれない。

だから人間は物事を「判断」する。決めつけるし、ジャッジする。

そして「判断」は気持ちよい。依存性がある。

でも、判断しなければもっと自由になれる。じつは自分で決めつけなくてもいいことばかりだ。

好きと嫌いを手放して歩く時間があるのも悪くない。ただでさえこんな暑いのだから。

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‪舐められるのが嫌だ。

だが舐められると分かることがけっこうある。‬というより舐められた場所からしか見えないものがある。


遠い夢や目標はどうにも解像度が低い。

それを口にしても、それが叶うのか叶わないのか分からない。というより検討がつかない。

度数強めの夢はイマの自分を酔っ払わせるだけだ。酔っ払うのは楽しいけれど、現在地から一歩も動いていない泥酔者にもなりたくない。

そんなときに舐めてくるひとがいたら使える。

遠い夢を追うのではなくて「あぁ、コイツを黙らせればいいのか」と気付く。

現在地から進みたいなら蜃気楼みたいな目標を追いかけるより、「舐めてくるやつを黙らせる」だ。近くのマトの方が狙いやすい。


感謝や前向きな心はときに脆い。

綺麗事の無い場所だとボキッと折れるときがある。「なにくそ」や「ブッ殺す」という気持ちの方が自分の背中を押すときがある「負けん気」というやつだろう。


遠い目標はピントが合わせづらい。角度を変えると屈辱もツールになる。

自分が奮い立たないと何もできない。自分を奮い立たせるためなら何でも使いたい。僕もあなたも同じだ。自分自身を奮い立たせないとだ。

ほら、進研ゼミをやっていた頃からそうだったじゃないか。アレも結局やるかやらないかだ。自分次第だった。

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スタジオにずっといる。たくさんの人々が脳に汗かいている。

どこかの誰かに必要なものを作っている。内容のあるものができたらなぁと思う。



制作をしていると毎度感じることがある。

世の中には「面白いもの」と「面白いものを真似たもの」があるということだ。


この二つは似て非なる物という言葉じゃカバーしきれないほどの溝がある。底が見えない程に深くて暗い。



歌舞伎町にいた酔っぱらいの集団の恋ダンス。

iPhoneモドキのスマートフォン。

ジャンプライクなWEB漫画。



「面白いものを真似たもの」はどうにもしんどいし、嫌になる。たまにイラっとしたりもする。

なんだろうあの差は。分からない。
説明できないけれど、姿形が似ているだけで圧倒的に違う。


レコーディングを何度もしているのに分からないことばかりだ。歌に正解なんか無いからだろうか。

でも分からないままでもいいのかもしれない。分かったつもりのひとはつまらないし。

そして分かっていることがひとつある。
飽き性の僕たち私たち人間にとって、「つまらない」はかなりデンジャラスだということだ。

足りないも困ったも全部スパイスなのかなぁと。かけすぎると食べられないけど、分量によっては美味くなる日もある。


なんとか「面白いもの」を遺せるように少しずつ進んでいきたい。

あなたと同じように僕も自分で自分をくだらないと思いたくない。
自分に飽きるのは完全に悲劇だ。
飽きている最中に死んだらもはや喜劇だ。現在進行形でダサいまま死ぬハメになる。

イマ現在を最強にして生きていたい。何はともかくいずれ死ぬのだから。

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夢や希望が大切なのは分かっていた。
散々言われてきたからだ。


だけど僕はいつもその少し手前を目指していた。
夢や希望がメインディッシュなら前菜をがむしゃらに追いかけた。

というより過呼吸を繰り返したり、すぐにキレる性質のせいで夢や希望どころじゃなかった。その前段階である「普通の暮らし」が僕の目標だった。

そんな僕も人と関わっていける頻度が増えてきて、ようやく「今、夢があってね」と話せる。


むかしから僕を支えてきたのはこの「手前を目指す」というやり方だった。ずっとそうだ。僕は手前めがけて走ってきた。


申し訳ないのだが「目標は高い方がいい」という説を心の底から信じていない。
高い目標を持っているひとを非難するわけではないけれど、自分には当てはまらない。


もちろん、ほとんどのひとが口を揃えて「目標は高い方がいい」と言うから「そうなのかな?」と思ったこともあった。

でも、高い目標設定をすると毎度破綻するのだ。
そこばかり見て、何ひとつ進んでいないなんてザラにあった。

反対に「手前を目指す」を使うと「思っていたよりも奥に届いた」が多かった。

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やりたくない仕事をしているときもそうだった。

僕はいつも「せめて今月いっぱいがんばる」で一ヶ月分の定期しか買わなかった。
その一ヶ月が重なって意外と続いた。そして一年後ぐらいに仕事はうまく回りだした。


高校のときも「後一ヶ月だけ続けてみる」を36回重ねて、なんとか卒業した。
ギガンテス貧乏だったときも「後一日だけ生き延びてみる」で脱した。



QOOLANDも「とりあえず」だった。

純くんが僕たちと合流して、結成に至ったときの「とりあえず感」は凄まじかった。


4人揃ったのが、なんと初ライブの2週間前だ。


目標は「なんとか間に合わせて音楽をやること」というレベルだった。


夢や希望よりも、その手前ばかり目指してきた。
思っていたよりも奥に届いたパンチがいくつかある。



ギターを始めたときもFコードから逃げ続けて、曲を作り続けた。

「今後10年作曲を続けていくのだ。ここでFが弾けるようになっとかないと後々困る。ちゃんと弾けるようになってから作るぞ」

という考え方だったら、僕は間違いなくもう辞めている。


別に長く音楽を続ける気なんてなかった。
その程度だったからよかったのだ。

「まぁギターとか続けるわけじゃないし、Fが出てこない曲の作り方しよ」で進んだ。

そんな僕の「F逃げ」をバカにしていた友達がいた。彼はミュージシャンを目指していた。だが彼はすぐに辞めてしまった。

僕の歌はまだ続いている。

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「高い目標」よりも「現状の力のまま前進できる工夫」の方が恩恵がデカイ。

後ろ向きだろうが逃げだろうが、前進すると力がつく。もしくは何かしら変わる。あなたにも経験があると思う。ない?


逆に「力をつけてから前進する」は不確かすぎる。「できるようになるまでやらない」は何も起きない。


100点を目指すと1点も獲れない。

というよりそれは適切な100点の目指し方ではないし、100点の性質を見誤っている。

あくまで100点は1+1+1・・・の1点が100コ重なっているだけなのだ。
 

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仕事で嫌なことがあったときに「これが三年続くのか」と考えると飛び降りたくなる。

考えるより進む方がいい。

嫌な上司の下で働かなきゃいけないときは「一ヶ月定期購入」を試してみてほしい。

「後一ヶ月だけ」で一日をやり過ごす。そして定期を買い足すとき、盛大に自分を褒める。

それだけでいい。


ある日、何故かストレスが溶けていたり、上司と変に仲良くなっていたり、何かしら好転している可能性がある。後ろ向きにでも逃げながらでも進んだら、何かしら変わる。


遠くを見ると絶望しかない。

「今の最悪」が未来にまでペーストされているように見えるからだ。遠くの未来を見ずに、手前に焦点を当てると和らぐ。

「三年後もやっている仕事」なんて思わなくていい。


今思えば2週間でタッピングだらけの曲を5,6曲弾けるようになるわけがない。
だけど誤魔化しながらも「とにかくやる」で僕たちは初ライブを成立させた。


ネットの定説は「ツラかったら逃げろ」だ。だけど、逃げたら逃げたで「俺もそう言ったけどさ・・・」が飛んでくる。


「逃げる」も「立ち向かう」も選べないとき、「手前を目指す」でやりすごすのも手だ。

不安と雨は誰にでも平等に降り注ぐ。「手前を目指す」ぐらいなら差し支えないと思う。

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6月になった。どんどん暑くなってくる。このタイミングで体調壊すひとも多そうだ。自分の身を守っていってほしい。

毎年6月の記憶が無いのだが異常だろうか。祝日もないし、春だか冬だか分からない月間である6月。いつもすんなりと過ぎ去ってしまっている。

明日からまた延々と長めの稼働が始まる。
体調を壊したくない。とにかく壊したくない。壊れたくない。


今日は久しぶりに4人だけでスタジオに入っていた。4人だけゆえに分かることが多かった。

分からないことが分かるには人数制限がある。
 
外部のひとがいないと分からないことも沢山あるけど、外部のひとがいない環境でしか分からないこともある。

ライブがとても多くなっているけれど、スタジオにいる時間も多くできたらもっといろんなことが見えてきそうだ。


音楽には「要素」がある。

●コード
●メロディ
●リズム

大きく分けたらこんなところだろう。もちろん、このなかでもいくつかに細分化される。
『コード』ひとつとってもコード進行もあれば、コーラス構成もある。テンションもある。


メンバーそれぞれ「造詣レベル」が違う。


コードに造詣が深いメンバーもいれば、深くないメンバーもいる。 
リズムに造詣が深いメンバーもいれば、深くないメンバーもいるということだ。

造詣が深い部分はいろいろ見えるけれど、深くない部分は大味にしか見えなかったりする。

投げっぱなしみたいだけれど、うまくいくといいと思う。

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昨年書いたコラムがある。転載したい。

なんだかイチローさんの調子が悪いみたいだ。まだまだ僕たちの度肝を抜いてほしい。

日本が誇るタフガイであり、僕にとって凄く大きなウエイトを占めているアスリートだ。


たまに「凄い大リーガーのひと」という印象を持っているひとがいる。僕にとっては神戸の選手だったから少し違和感がある。

もちろん大リーガーなのだけど、オリックス時代の印象が強烈なのだ。


そこで昔書いた記事なのだけれど今一度、ここの読者にも読んで頂きたいと思った。よし、はじまりはじまり。


今年メジャーリーグ3000本安打を記録したイチロー。日米通算で数えると地球生誕以来、最も多くのヒットを打った野球選手になった。


保持記録は年間262本安打の世界記録や、10年連続200安打など挙げればキリが無い。偉大な記録を樹立した源泉には、意識や考え方の強さがあるのは有名な話だ。僕はそのスピリッツに憧れ、強くインスパイアされてきた。




1994年。プロ野球史上初のシーズン200安打、69試合連続出塁、パリーグ最高打率や諸々のタイトルを記録し、日本中にイチロー旋風が巻き起こった。

近年「最多安打」という単語をよく耳にするようになったが、このタイトルが作られたのは、実はこの年からだ。



しかし僕は「イチロー」をよく知らなかった。

地元神戸で人生初のランドセルを背負って、小学校に入学したばかりだった。1994年のイチローブームは子ども全員にまでは浸透していなかったし、僕自身野球に興味が無かった。

もしかしたら「イチロー」という単語を聞いたことはあるのかもしれないが、正直あまり覚えていない。あの年、イチローさんのことを考えた記憶を探してみたのだが、やはり海馬のどこにも見当たらない。



1995年がやってきた。年が明けてから17日経ったその日、僕の住んでいた神戸の町は壊滅的な地震に見舞われた。人生初の三学期は来たと思ったら、すぐに休校となった。



6歳だった僕は震災からしばらく経っても、何が起きているかわからなかった。まだ生まれて6年だ。「正常な社会」を目の当たりにした期間も短い。あの時の僕は、震災がどれぐらい異常なことなのか判別ができなかった。



慌てる大人たち、ヒビだらけになったコンクリート、休校と短縮授業をくりかえす学校。社会のいろいろなものが正常に回っていなかった。みんなが困っていることはわかった。だが、どこからどこまでが震災の影響によるものなのかもわからなかった。


3月に都内で地下鉄サリン事件が起きたが、僕はこの事件も震災のパニックの一環のように感じていた。僕にとっては、Windoms95の発売とインターネットのブームも震災の一環だった。


僕が実際のイチローさんと出会ったのは、そんな1995年のことだった。


春になり、マスコミの震災報道は落ち着きつつあった。

だが神戸には「復興」という大仕事が残っていた。

「元通りになるのに10年はかかる」と父親がよく言っていた。まだ6年しか生きていない僕にとって、「10年」という月日は天文学的な響きを含んでいた。


震災のせいで、家族を失った人、家を失った人、財産を失った人、何かを失くしてしまった人がたくさんいた。1995年、神戸の人々はずいぶんと疲れていたように見える。


そして地元神戸の球団、オリックスブルーウェーブはこの年に「がんばろうKOBE」という合い言葉を掲げてシーズンを迎えた。このフレーズは小学校にも浸透し、町のあらゆるところで見かけることになった。


不謹慎かもしれないが、少し祭りのような感覚があった。「なんとかみんなで頑張ろう」という熱い空気がヒビ割れた町に染み込んでいた。



町中がオリックスと「がんばろう KOBE」を掲げていた。「一度は球場に行こう」という雰囲気になっていた。そしてイチローさんはこの祭りの象徴だった。震災以降は名前を知らずに神戸で暮らす方が難しかった。そして、その名は全国に広まっていった。「イチロー効果」はこの年の流行語大賞になった。


インターネットの普及も不十分だったので、テレビに張りついて情報を得ていた。困ったことを「困った」と伝えきれない町の姿がそこにあった。

「野球を通して人々を元気に」と書いてしまうと安っぽいが、当時のオリックスには「がんばろうKOBE」のスローガンに対して真摯で、それでいて本気のムードがあった。



何も知らない6歳の僕もこの年、始めてオリックスブルーウェーブの本拠地であるグリーンスタジアムへ行った。住んでいた駅から球場のある総合運動公園駅までは4駅だった。



野球場に足を踏み入れたのは始めてだった。すべてが大きく、今では珍しくなった緑の天然芝は光るように美しかった。

今思えば、将来メジャーリーグで活躍する田口選手、長谷川選手、そしてイチローさんが同じ空間で野球をしていたあの空間は贅沢だった。


試合前の練習の段階で、背中にグローブを回してボールを捕る背面キャッチをイチローさんは連発した。そのファンサービスのたびに、ライトスタンドから歓声が沸いた。



僕はその時、イチローさんの名前を聞いたことはあるぐらいだった。そんな野球を知らない僕でも、諸動作の美しさが分かった。不世出のスターの持つ圧倒的な魅力に一撃で心を打たれた。


試合が始まるとイチローさんの実力は顕著になった。大勢の選手がプレイする中、一人だけが別の次元にいた。すべてが他の選手と違った。


その試合は一度も凡退せず、盗塁を決め、補殺を決めた。

動きの質やクオリティのようなものが一人だけ抜きん出ていた。当時の様子は「無双」という言葉でも伝えきれないほどだ。


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自然とオリックスのファンクラブに入った。

それから何度も球場に足を運んだ。

イチローさんはよくデッドボールを喰らっていた。怪我をしないイメージがあるが、調べたらこの年はパリーグ一位の18個ものデッドボールを身体に浴びていた。僕が見ただけでも2、3回ぶつけられていた。速くて硬いボールは背中や膝元などよけづらい場所に放られた。



相手チームの強烈な警戒態勢と執拗なインサイド攻めが、そのデッドボールの数を生んだのだと思う。子どもの僕から見ていても、どこに投げても打たれることはわかっていた。配球の工夫は必要だったのだろう。そして多少ダーティーなやり方も勝つためには必要だったのかもしれない。



だが、6歳の僕は納得できなかった。イチローさんが打席で凶器のような硬いボールをぶつけられるたびに、悔しくて泣いた。「まともに勝負すれば負けないはずなのに卑怯だ」とも思っていた。



しかし泣く僕と対照的に、当の本人のイチローさんはぶつけられても決して怒らずに、ピッチャーを睨みもせず、黙々と一塁へ歩いていた。子どもの僕には何でイチローさんが怒らないのか不思議だった。本人が泣いても怒ってもいないので、僕らファンの怒りもしぼむように収まってしまうところがあった。



そしてシーズンが終わってみるとイチローさんは執拗なインサイド攻めにも屈しず、打者タイトルを5冠獲得した(ホームランが後3本出れば前人未到の打者タイトル独占だった)。オールスターでは史上最高得票を記録し、オリックスブルーウェーブはリーグ優勝を手にした。優勝決定の瞬間、僕は一塁側のスタンドにいた。僕だけではなくみんなが泣いていた。



デッドボールを18個も浴びながらヒットを重ねまくるイチローさんの姿は、蘇ろうとする神戸の町と重なって見えた。まさに「復興を目指す神戸のシンボル」そのものだった。その6年後にイチローさんは初の日本人野手としてメジャーリーグに挑戦する。多くの大人たちが「たぶん通用しない」と言っていた。



親も先生も少年野球の監督も「2割8分ぐらい打てれば十分だ」と評論家のように述べていた。僕はそのたび「とてつもないことをやると思う」とムキになって言い返していた。


2001年のイチローさんは驚異的なペースでヒットを重ね、新人王、MVP、最多安打、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞を受賞した。


自分のことのように嬉しかった。



「神戸という街を抜きにして、僕という選手を語ることはできない」と語るイチローさんの映像を見たことがあるが、僕はあの1995年のことを思い出してた。

メジャーリーグ3000本安打達成の時の、「僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なことだ」というコメントも1995年を思い出さずにはいられなかった。


あの1995年、何度もデッドボールを喰らいながらヒットを重ねていたイチローさんの姿は今も脳裏に焼き付いている。そして今年とてつもない位置までそのヒットの数は積み上った。プロ野球リーグ通算4257安打の世界記録の中には僕が初めて見た、1995年のあのヒットも含まれている。


僕の歌はどこから生えているのだろうか。おそらく根っこの根っこの部分。最も深い根源的な箇所は1995年から生えている。

そして、その中心にいてくれたのは、紛れもなくイチローさんだった。
 


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5月が終わっていく。

本当にあっという間だった。


制作とライブを休む事無く詰め込んだ結果、浦島太郎現象みたいになってしまった。「さっきまでゴールデンウィークとか言ってたのにもう30日かい!」がリアルに自分の口から出た。


今年の3月とかと比べると雲泥の差だ。

年明けはやけに長く感じた。ライブの本数だけでこんなにも違うとは。もっともっと誘って下さい。なるべく出る。



少し引いて見ると、常々こうありたいなぁと思う。


「多忙」とは少し違う気がするのだけど、ヒマじゃない状態は健全だ。「適切な負荷」みたいなものなのだろうか。

足を動かしていると、手を振っていると、声を出していると、常に現在地が分かるのだ。



今日も制作でレコーディングスタジオに入っていたのだけれど、これもまたそうだ。

これは僕の声だ。お客さんはいないけれど、地下でひたすら現在地を探している。



気がつくと、もう今月が来月に吸い込まれる音が聞こえる。


凄く大変だったけれど、いい月間だった。


来月もそうなればいい。
そうしようと思えばなる可能性が生まれる。思わなければそんなこと考えもしない。


来月はThis is QOOLANDがある。

この過密スケジュールの総決算だ。2,3ヶ月を「総決算」なんて仰々しく呼んで申し訳ない。

それでも、僕たちはこの2.3ヶ月本当に濃密な時間を過ごした。代官山のときの「総決算感」を超える。お楽しみに。


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