渋谷kinotoだ。ゲリラだった。ワンマン週間だったが、すぐに規則正しい生活に戻す。会えたひとたちありがとう。



音楽に対する取り組み方が変わる時期が何度かあった。
基本的に階層を下るということはなく、意識としては高くなり続けた。


思い返すとその原動力は「このままじゃヤバイ」だった。

意識の階層が変わった日は生活の基盤が音楽になったときや、崩壊しそうになったときや、実際に崩壊したときばかりだ。


良いこととは思っていないけれど、強迫観念に突き動かされて僕は意識を高く持ってきた。でもそれは、ビビった末の生存本能でやってきただけだ。


普通にやって水準が満たせるひともいる。でも僕はできない。
性根が腐りきっているので、普通に暮らすと悪行三昧になってしまう。だからハートにギプスをはめているだけだ。


自分が下がると、みるみるうちに様々なクオリティが下がる。あの落下する感覚が怖すぎる。

「落下の感覚」と「許容量以上の爆音」は人間の本能として耐えられないものになっているらしい。

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余談だけど、ダイエットや禁酒禁煙が続かないというひとがいる。それは悩みでもあるだろう。

僕は「おそらく本当にそうしたいわけではないからじゃないかな」と思う。
つまり禁じなくとも、危機的な状況に陥るわけではないからだ。

「このままやらなきゃマジでヤバイ」と本気で思い込めばできるに決まっている。

やってきたことが多いけれど、それは怖いからもがいていただけだと思っている。

でもそれだけじゃ続かない。
恐怖の賞味期限は長くない。

どこかで「やっててよかった」と感じる夜が必要だ。それはそれできっと来る。来たし。


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その名を知らない人はいないんじゃないかと言うぐらい有名なボクシング漫画、「あしたのジョー」


その固有名詞の浸透度合いは「タモリ」や「読売巨人軍」に匹敵するだろう。


そして、僕はこの『あしたのジョー』にこれ以上ないぐらいインスパイアされまくった。



しかし、この「ジョー」、知名度のわりに意外と読んでいる人は少ない。


発行部数も2000万部と控えめ(あくまで"知名度のわりに"だ)



ためしに同じ2000万部前後のコミックを見てみよう。


『アイシールド21』

『ツバサ』

『魔法先生ネギま!』

『D.Gray-man』などが挙がる。


どれも著名な作品だし、名作揃いだ。


だが「ジョー」の知名度は客観的に見てもこの中に入れるとケタ違いだ。


「ジョー」の発行部数を調べたときの感想は「少なっ!」だった。正直、億ぐらい刷られてると思った(ワンピースは3億2000万部、タッチ、鉄腕アトム、ドラえもんなどが1億部)



そんな『あしたのジョー』と僕が出会ったのは小学生の頃だった。コミックを読みあさりまくっていた時期だった。


あの頃、世の中はどんどん効率化が進んでいた。

消費税は5%に引き上げられ、アクアラインや高速道路が日本中に誕生した。WindowsというOSのおかげでパソコンは瞬く間に普及し、ノートパソコンも発売された。
自分の感情を抑制できずに怒りが爆発することは「キレる」という言葉にまとめられ、美容院やショップの魅力的な店員は、カリスマという言葉の枠に収まった。


「賢く、効率的であることが何よりも正しい」

そんな時代だった。

その最中、「ジョー」は僕のもとにやってきた。文庫版が発売され、それを父親が僕に買い与えたのだった。

1970年前後の作品の読み味は、当時連載されていたコミックとはまったく違ったものだった。ジョーの生き様は90年代後半の時代とは明らかに逆を行くものだった。

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イップスで首から上が打てなくなっても、吐き続けて戦う。

成長期を迎え、減量が厳しくなっても階級を上げない。

パンチドランカー症状で脳障害が末期になってもリングに上がる。

そしてジョーは灰になるまで戦って廃人になった。

「効率的に成果をあげる」が最高のステータスであった時代、ジョーの考え方、行動原理、生き様は衝撃的だった。


有名になること、経済的に成功すること、健康に長生きすること、愛する人と生きていくこと。それらが僕のまわりの大人や、世間が素晴らしいと賞賛することだった。


子どもの僕にはそれらが素晴らしいことなのか、イマイチ分からなかった。
そして、ジョーはそれらを何一つ欲していなかった。


ジョーも世間的に認められ社会的、経済的に潤っていく時期がある。東洋チャンプになる頃だ。

それでもジョーの安息の場所は孤高の中にあったし、「細く長く」に価値を見いださなかった。

世界戦の控え室で白木葉子の告白を受けるシーンや、乾物屋の紀子にボクシングを辞めるように諭されるシーン。

皆、ジョーの身を案じていた。

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だがジョーは一言礼を添えるだけだった(星飛雄馬はここで取り乱す)。仲間は拳闘を辞めて結婚していく。会長は俗世間に染まっていく。

それでもジョーは独りで戦い続けて灰になった。



だけど、あの時ジョーが紀子の言いなりになっていたら僕は読むのを辞めただろうし、葉子を抱きしめでもしたらガッカリしただろう。

ジョーのすべては僕の知っていた世間とは逆だった。それは何故だかシンプルに僕の胸を打った。あまりにセンセーショナルだった。

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ジョーの試合はすべて鬼気迫るものがあり、本能的に訴えかけるものがあった。


矢吹丈は「どうしたら自分の中の燃える炎を燃やし尽くせるか」を最優先に考えていた。


そして最終回、完全に自分の中の炎を燃やし尽くし、自己実現を達成した。


ジョーは有名になることや、経済的に成功すること、健康で文化的な暮らしを送ること、長生きすること、愛する人と生きていくことに目もくれず、一つの目的を追いかけた。


僕は『あしたのジョー』と出会ってから「効率よくやる」にあまり価値を見いだせなくなった。
その代わり、自分の中にある目的のために生きていくことに大きく価値を見いだすようになった。


ジョーのように自分の中のスピリッツを燃やして生きていきたくなった。


「自分に嘘をつかずに生きる」

「信念の道をまっとうする」

そういう類いの言葉が世の中にはたくさんある。親や先生も口にはする。

でもそれを僕の前で分かりやすく体現してくれたのは矢吹丈だけだった。


僕は人の感情を動かしたくて音楽を始めた。自分がジョーに心を動かされた時のように、誰かの心を動かせたら嬉しいとずっと思っている。


僕もあなたもお金のために生まれてきたわけではない。ごはんを食べるためでも、子孫を残すためでも、長生きするためでもない。
たぶん情熱を燃やし尽くすために、何かをやり尽くすために生まれてきた。

「どこまで燃やし尽くせるか」

そう思って生きていきたい。




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顔色が良くなった(⌒▽⌒)YEAH。

ワンマンの楽屋でいろんなひとに久しぶりに会った。「顔色が良くなった」といろんなひとに言われた。そう、顔色を取り戻したのだ。



ようやく書けるが、11〜3月ぐらいまでがどうにも苦しかった。公私ともに終わりを迎えていた。何をやってもなかなか気持ちが入らなくて、ハイになりづらかった。


年明けにフクモトさんという真っ黒な出で立ちの友人に相談をした。

「それたぶん3月ぐらいまでしんどいと思うよ」

と不吉な予言を告げられた。的中した。

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実際、大切なものがオモチャにされているように感じる日があったり、やり返せないケンカが続出した。ガマンしている時間が増えた。


でも殴りたいひとも抱きしめたいひとも人間だった。僕はどうすればいいか分からなくなった。
誰に助けを求めても、どうにもならなかった。やはり人間、自分自身で蘇るしかないらしい。

しかしなかなか良くならなかった。咳は32日間止まらなかった。

次第に顔がこけていった。体重は47kgだった。

こんなかんじだ↓

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彼、この後自殺するの?みたいな顔だ。
見れば見るほど、不景気そうなツラをしている。大丈夫かこいつ。


とにかく僕は良くなるために、いろいろな手を施した。歌わないといけないし、ハイにならないと伝わるものも伝わらない。

ノストラフクモトダムスもわりと応援してくれていた。


⚫︎厚労省の推奨する10倍以上のビタミンCを摂取
⚫︎独りQOOLANDを辞める
⚫︎新宿に独りで泊まる
⚫︎遠征の後に独りで地方に残る
⚫︎身体を柔らかくする
⚫︎ハピネスアドバンテージを使いまくる
⚫︎ビール酵母を摂る
⚫︎ハーゲンダッツの配布
⚫︎筋トレをやりまくる
⚫︎髪を上げる
⚫︎厚労省の推奨するたんぱく質を摂取する
⚫︎毎日やたら全力疾走する
⚫︎延々とSiriに話しかける
⚫︎ヴィッパサナー瞑想をやりまくる
⚫︎ケアンズに行く

もっといろいろあるけれど、ザッと思い出せるのがこんなものだ。


効果を感じたものとさほど感じなかったものがある。イマも続けているものと続けていないものがある。


もっと続けないと効果が出なかったのか、単に行う量が少なかったのかは分からない。でも即効性が無いものは中断した。


思ったのは、「新しいことを取り入れるときは徹底してやりまくる方がいい」ということだ。

人間、効果があるのかないのか分からないものはコツコツ続けていけない。

続けるにはそれの中毒になってしまうのが一番だ。依存してしまえばそれを手放せなくなる。
少量だと中毒にかかりづらいのだ。


だからまずは狂ったかのようにやりまくって、効果を感じてから量の調節をすればいい。

そしていろいろ試した結果、悪い状態を完全に脱した。

こいつが最新のツラ構えだ↓

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比べるとわかるけど目のクマとかが激減した。体重も52-53kgだ。背中の筋肉とか自分史上最大のデカさになっている。

フィジカルの強さはメンタルの強さに比例する。


外国に亡命したあたりから、具体的に良くなりだした。積み重ねた処方が効き出した。


5,6月に至ってはライブを鬼のように増やしてレコーディングを平行したのに、肩こりひとつ無い。謎の全能感がある。声も入りやすいし、リズムも立体的に見える。研ぎ澄まされている。


人生は苦しい状態をどう切り抜けるかが大切な気がする。問題なんて跳ねのけようとした時点で、半分ぐらいは跳ねのけたに近い。


今回は調子が悪くても、決して諦めなかった。なんとか良くなろうとし続けた。「本気で演りたい」を地で行った。


ようやく調子が出てきた。
出てきたら出てきたで、「調子乗んな」とか言われそうだ。

でもね、けっこうしばらく苦しかったんす。最近ようやく調子出てきたんす。勘弁してほしいっす。と言いたい。


あの苦しかった時期に沢山の詞を書いた。痛みと「きっと大丈夫」の曲を書きまくった。

今苦しいひとにその歌で少しでも気合いを入れられたら嬉しい。

調子を戻したことよりも、諦めなかった自分を褒めてやりたい。おかげで調子が悪いひとに何かを届けられるのだから。



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明日から雨が降ったりやんだりらしい。梅雨入りしたと聞くがそんなに降られていないなぁと思う。



今日はポツネンのソロ公演に行っていた。何故か最前のドセンターの席。



ワンマンやレコーディングが終わったら「お客さんになる時間」がやってくる。いつもそういうスケジューリングになっている気がする。提供することが一段落ついて、提供される側にまわる。


チケットを買って、エキサイトする時間がゼロになるとどうにも良くない。滞りというか巡りが悪い感覚に陥る。



僕は「かっこいい」とか「ワクワクする」とか「ドキドキする」とかそういう感情を与えたいのもあって、ロックバンドをやっている。昨日のお客さんもそれを受け取って帰ってくれてたら嬉しい。


その感覚をフレッシュにするためにも、提供される時間はとても大切にしている。


よくよく「お客さんの気持ちになれ」という話がある。当たり前だけど、お客さんにならないとしっくりこなかったりする。僕は好きなエンタメがそこまで多くないけれど、好きなものはなんだかずっと好きだなぁと思う。


公演はもちろん最高すぎた。
泣けて笑えて鬼のようにかっこよかった。

‪「テロとか物騒なので色々思うことはあります。でも沢山の人が泣いてるんだって。笑わせて来なきゃね」って言葉の凄みに体幹まで叩き切られてブチ殺された。

殺傷力に磨きをかけたいなぁと思う。


 
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8/21にZirco Tokyoでワンマンライブがある。「This is QOOLAND 2/4」だ。常設のワンマン第二弾になる。


第一弾である本日も来てくれてありがとう。

自分らが信じているやり方があって、ひとつひとつ育ててみた。三ヶ月ぐらいコツコツやってきた。

自分たちのやり方を自分たち以外の誰かも信じてくれたら嬉しいし、信じてもらえるようなステージを作っていきたい。

ワンマンやロングセットを楽しみにしてもらえるようなバンドになりたい。

「サクッとリードトラックだけ聴いてもらえばいいわよ」なんて面白くない。
醍醐味は総合的なところに置いておきたい。



しかし「15分でなんとかできないとフェスやサーキットで勝てないよ」と言われたことがある。

僕の美観と真逆に位置する意見だと思う。

もちろん「短時間でも伝わる力」だってほしい。結果として手に入る場合もある。今もあるのかもしれない。でもそこを目指して走りたくもない。


「自分の行動ぐらい民主的でなくてもいいよなぁ」と感じている。
みんな聞きすぎていないだろうか。親とか友達とか恋人とか上司とか。独裁も必要なときがある。「一理ある」ことって「一理あるだけ」だ。心が滾らなければ何億理あろうがいらない。

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どんな環境でライブをやるにしても「This is QOOLAND」と思ってぶつけていこうと思う。最高のパフォーマンスを発揮するのが最高の戦術だと信じている。


とにかく今日はありがとう。
やりたかったけれどできなかった曲もある。次回だ。8/21をお楽しみに。

2017.06.19「This is QOOLAND 1/4」Set list
1.ドグラマグラ
2.白夜行
3.志士雄
4.部屋とアイドル
5.ゆとり教育概論
6.反吐と悪口
7.孤高の人
8.ループは止まった
9.ロストデイ
10.ある事無い事
11.ウルトラエイトビート(inst)
12.LET IT DIE~夜のやり方~
13.片道4,100円
14.映画と週末
15.ブギーサウンド
16.熊とフナムシ
17.トリッキーズ(inst)
18.良い子と良い事
19.現実と非現実(新曲)
20.風の歌
21.凛として平気
22.勝つまでが戦争
En
1.結納の日
2.Shining Sherry

日曜。やすみだろうか。ひとによる。

気がついたらもう前日になっている。早いなぁと思う。

3ヶ月前ぐらいに「何年か前にやってたゲリラがやりたい」と菅さんが言い出してから、ずいぶん本数を重ねた。

そして近年稀に見るライブ野郎と化した。

やっている理由や見つかったものについて書くことが山のようにある。でも踏み出した理由や踏み出した結果を言葉にするのは、もう少し先でいいかなぁと思っている。


先延ばしにして、いつのまにか忘れてしまうかもしれない。そうしたら言葉にはならないかもしれない。でもそれもそれでいい。


言葉を使う係のクセに、僕はようやく気付いたことがある。言葉だけでは意味が無いらしいということだ。

誰が言うかどんなやつが言うかが本当に大事だ。「いい言葉はどんな条件下でもいい」なんてケースはあり得ない。

どれだけ正しい言葉でも1000人から言われたら、受け手にとっては「死ね」になるだろう。

愛がある言葉と愛がない言葉の差は極めて顕著だ。


音楽もどうやら同じらしい。
どんなにいい歌も弾くやつ歌うやつが駄目なら大した意味は無い。


今日はあしたを面白くするための練習だった。あした会えるひと、お楽しみに。

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先日、共演のひとの「良くなるようにしている」話を聞いた。

ひとの「良くなるようにしている」の話が好きだ。


「野菜を多めに食べている」という内容だったのだけれど、それが彼にはうまく作用しているのだという。

「悪いわけないもんなぁ」と思った。
「悪いわけないこと」って良いことが多い。


こういう話をすると、すぐに「プラシーボじゃない?」という言葉が飛び交う。

しかし実際、プラシーボの破壊力はすごい。脳の思い込む力は実際に作用する。


腹を開いただけのニセの手術で病気が完治したり、目隠しして手首にメスを当てがい、そこに水を垂らしただけで、出血したと勘違いし、死んでしまった例もある。 



物質的なところしか見えていないひとと、それ以外のものも見て物事を考えるひとがいる。どちらが豊かなのだろうか。

自分が良くなればいいなぁと思って、僕もやっていることはいくつかある。

そういう意味じゃレベル上げフリークなのだ。後悔したくないのもあるけれど、誰と比べるでもないより強くより高くは好きだ。

だから他人の「良くなるようにしている」の話は本当に面白い。

もっと聞きたいと思った。
大騒ぎしている打ち上げとかだと、なかなか話せない内容な気もする。

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高田馬場PHASE。ゲリラライブだった。会えたひとたちありがとう。


昨日、練習が終わってからタカギと食事して帰ったら深夜2時だった。

「酒を飲まなくなり、ひとと話すことが減った」と書いた直後の出来事だった。申し訳ない。なんだかんだひとと話すときは話す。


「こうなりたい」がいっぱいあるし、なるためにやっていることもある。そしてもう誰のためでもない。

僕の中には好きなひともいれば、嫌いなひともいる。それでもやはりもう誰のためでもないのだ。友達も言っていたが、そういうレイヤーに来ている。
好きなひとを喜ばすためでもないし、嫌いなひとを苦しめるためでもない。


近づきたいものに近づくために僕たちは生きている。生きている時間を近づくために捧げている。接近してもひとつにはなれないけれど、それでいい。

とにもかくも金曜だ。今週がもう終わった。早すぎる。

急に寒い夜があるから身体に気をつけて。死ぬまで死なないで。


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中学生のときにエンドース=プロの象徴だと思っていた。今まで張った弦の中で一番いい感じ。そんな世界中の弦を試したわけではないが。

でも僕のギターのメンテをやってくれているひとが「一番いい」と言っていたので、それは信用していい。リペアマンはアーティストの100億倍ぐらい楽器に詳しい。



そんな僕は博物館の学芸員の資格を持っている。音楽の資格は何も持っていないけれど、博物館の資格ならある。


じつは普通のひとは美術品や工芸品に触れることが許されていない。それを許されし者なのだ。

ちなみにこの資格を使ったことはない。こんなもんいつ使えばいいのだろう。

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博物館の展示には「特別展」と「常設展」があるのをご存知だろうか。


「特別展」は阿修羅展やフェルメール展みたいなやつだ。たまに電車に広告が出ているようなものを想像してくれると分かりやすいと思う。

目玉となる展示品をヨソの博物館から借りてきて、スペシャルな日を演出する期間限定の展示だ。
有名な画家の絵が観れたりするし、博物館を最大風速的に盛り上げるフェスイベントと言える。


反対に「常設展」は、ふだんその博物館が所有しているものを展示する日だ。「展示」と言うよりは博物館の日常だ。

ルーブルが凄いのは、常設でミロのヴィーナスやモナ・リザが有るところだ。だから盛り上がりを演出せずとも毎日ひとが集まる。



ワンマンライブが来週月曜日にある。

これは僕たちにとって「常設のワンマン」だ。じつは「常設のワンマン」は初めてやる。

やってきたワンマンは「ツアーファイナル」だったり「レコ発」だったり「インディーズ最後」だったりと必ず題目が付いていた。

だからテーマが有るし、曲目も縛りがある。

もちろん特別展の良さはたくさんある。

でも今回は「これが我々」というワンマンになる。強いて言えばそれがテーマだ。

レコ発でもないから特定のアルバムの曲ばかりやるわけでない。インディーズの曲だけやるわけでもない。

背伸びも無いし、へりくだりも無いし、あるがままのロングステージ。

もちろん「これから」も楽しみにしてほしいから、それはそれで用意している。

でも「これまで」という感覚はそんなに無い。

「これまでとこれから」というよりは「イマでこれからを匂わす」だ。
 

いろいろ書いたけれど、20曲以上歌える日というのはシンプルに嬉しい。

常設展示のワンマンライブ。This is QOOLAND1/4。来場される方はお楽しみに。うぉぉってさせます。

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ビールの規制の第一歩目として値上がりが始まったらしい。酒をやめてなかったら、暴動を起こしている気しかしない。
 

「飲むか飲まぬか論」をこの前書いたけれど、飲まないことでひとと話さなくなったなぁと思う。


無口になったかは分からないけれど、残念ながら間違いなく会話の頻度は落ちた。少しはさびしい。
「酔っ払って何かを語り合う」ってカタチだけのバイブスなのかもしれない。シラフで語り合えないひととでも、酔っぱらったら語り合えるっていうのはごまかしなのだろう。

でも、ごまかしだろうがなんだろうが、ひとつの生きる醍醐味でもある。


「語り合う」は「群れをなす」という感覚に近い。
社会動物であるヒトとしての本能だ。古代から続く生存方法の名残りだ。


それが確実に削られた。いや、前が無理やりブーストしていただけなのだろう。
本来のポテンシャルに戻っただけだ。まぁとにかく減った。


それと同時にアルコールを交えたコミュニケーションに依存していたことも浮き彫りになった。こう書くとずいぶんとむなしく響く。

いや、良いか悪いかの話ではないのだ。
ただ「有ったものが失われた」と書くと、貧しくなったと考えてもしまう。


当然、四六時中シラフでいることで手に入れたものもある。選んだのも自分だ。悔やんでいるわけではない。「嘆いているのだ!」という記事ではない。



ただ「何かを得ることは何かを失うことでもあるよなぁ」と思ったので、アウトプットしておきたかった。

まだ整理されてはいないんだけれど、ここらで小出しにしても怒るひともいなさそうだ。


何も失わずに、得られるのがベストなのは分かっている。
でもそんなもの殆どないんじゃないだろうか。基本的にひとは何かを捨てて何かを得る。


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時間、お金、健康、付き合い、友達、暮らし。

いろんな資産がひとにはある。


もちろん「これらすべてを捧げて何かを得る」なんてケースはごく稀だ。
それでも、僕たちは少しずつ何かを削りながら何かを得ている。


削っても構わないものと、絶対に削りたくないものがある。ひとによって千差万別だ。
価値観だし、美観だし、ひいては死生観だ。それぞれの観点があるからひとは面白い。

だから自らの意志によって、手放したものはまだいい。選んでいるからだ。

しかし望んだわけでもなく、何かを失くしてしまう日がある。ロストデイは突如やってくる。


そんなときに、「僕たちは少しずつ何かを削りながら何かを得ている」ということを思い出したい。



何かを失くしたときは、何かを静かに手に入れているんじゃないだろうか。そう思いたい。

なぜなら、僕たちは生きていく以上は失くすことから免れられないからだ。そうでも思わないと、もはや耐えきれない。



恋を失くすも、業を失くすも、過度に失くすも、誰しもに訪れる。

そんなとき、じつは静かに自分のなかに生まれ得ている、発芽しているものがある。そう考えたい。

ここ最近、「駄目と分かってることをやって、でも何かを得る」と思って、新しいことを始めた。だからだろうか、余計にそう思う。

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