【天国と地獄について】
2006年6月6日
私は某有名テレクラ企業の無店舗型の
事業所の社員となった
この会社への誘いが
後に「天国と地獄」を体験する事へと
発展していく
2006年6月26日
新入社員Uが入社して来る
この「U」こそが
私の人生を左右する大きな
要因となるのだ
2008年1月26日22時頃
Uから「とある誘い」があった
私はとても興味を示し
その誘いを受ける事にした
そうすると
小学6年生の中頃までの好調だった状態を
凌駕する「天国の時空間」を
味わったのだ
私は即座に精神医学の勉強がしたくなり
約40時間ぶっ通しで集中力最大の状態で
精神医学の本に集中しつつ考えたりした
2008年1月28日14時頃
突然睡魔が襲い
18時間程深い眠りについた
2008年1月29日8時頃
目が覚めた...そうしたら
正に【地獄の様な精神状態】に見舞われ
恐ろしい倦怠感と凄まじい無気力に
襲われた
「これが地獄というモノか...」と
地獄の入り口を体感した
起き上がろうとしても起き上がる事が出来ない
ぐたーっとしたまま3日間が過ぎていった
2008年2月1日早朝
大分楽になり
携帯を覗いてみると
会社から思いっきり着信があった
「ヤバイ」と知覚し
慌てて風呂に入って服に着替えて
出社した
すると
皆が口を揃えて「大丈夫やった?」と
不安げに尋ねてくる
Uが「母親が倒れた」という事に
していたみたいだ
それで一件落着したのは良いモノの
やはり倦怠感が抜け切っていないので
ボーっとしていた
テレクラの業務は
「オペレーター」と呼ぶ
サクラを雇い運営している
「オペレーター」の扱いも
従業員の仕事であり
ホストの様に振る舞いをしなくてはならなくて
気分を上げさせて
シフトを獲得しなければならないのだ
その対応をする「オペレーター」の中に
循環器系の看護師がいた
私を見るなり
「ヤバイな!!病院紹介したろか??」と
言ってきたのをきっかけに
市内にあった「えんどうクリニック」という
精神科へ通院する事になった
今まで精神医学も勉強してきて
自身も精神病を疑っていたのに
何故か「精神科に行く」という行為に
結びつかなかったのが未だに不思議だ
2008年2月14日14時
えんどうクリニックを訪れた
臨床心理士が問診票を手渡してきたので
20問位ある問いを書き終え
診察室に呼ばれた
先生の第一声
「あなたよくこの状態で仕事してきましたね」
と言われたのをよく覚えている
診断は大鬱病・パニック障害だった
2008年当時は
ADHDという概念が世間では知れ渡ってなくて
先生自体もADHDについて
よく分かっていなかったモノと見られる
処方されたのは1日辺り
「パキシル10mg✖️3
デパス1mg✖️3
ドグマチール50mg✖️3
ハルシオン0.25mg✖️1」
だった
これらを服用し始めて
そこそこ日常の苦しさから解き放たれた
しかし
依然小学6年生の中期までの好調には程遠く
特に「集中力が無くなった」という状態が
とても許せなかった
2008年2月22日22時頃
Uがまた誘ってきた
私は少し楽になった事から
「どうしよう!!」ととても迷ったが
あの集中力の魅力を思い出し
「分かった!!」と回答した
そして
また前回の「天国の時空間」がやってきた
すると
Uは私にこう言った
「🦁の分析話しが聞きたい」と
言ってきた
前回勉強の合間2時間くらいかな?
Uに熱く語っていた
私は何を話したか覚えていないが
Uから私に声をかけるのは
極めて稀なのだ
Uは韓国人とのハーフで
好奇心がもの凄かった
Uは基本無口で
大事な時にだけ一言ど真ん中を突いた発言を
する様な当時の私からすれば
かなり仕事のできる極めて優秀な存在だった
私はこう言ったのを覚えている
「この世は99%の真実と1%の重大な嘘により
確立されている
従って私はその嘘の解明の為に
この世にやってきた」
と言ったのを鮮明に覚えている
Uは普段笑う事など無いのだが
思いっきり笑いだした
すると目を輝かせて
「ほんでほんで?」と続きを聞きたがる
私はこう言った
「人間は縁・直観・タイミングにより
真実を悟る事が出来る
しかし、人間本来の
潜在能力のリミッターをカット出来れば
いつでもこの状態でいられるはずだ」
と言ったのを覚えている
するとUは
「どうすればいいん?」と聞いてきた
私は
「宇宙人が知っているはずだ」と答えた
Uは
「どこにおるん?」と聞いてきた
私は
「今回の人生で会えるかは分からへん」
と答えた
Uは少し冷静になり仰向けに寝て
目を瞑り始めた
私は今日は
48時間勉強し続けると決めたのだ
あらゆる精神薬の組み合わせで
少しでも倦怠感を和らげる原理を
勉強し続けた
その結果
統合失調症の陽性時の治療薬
「セロクエル」に行き着いた
更にベンゾジアゼピン系の
「ロヒプノール(サイレース)」も
有効的である事も分かった
これに「コンサータ」も思ったのだが
2008年の段階では子供(7歳〜18歳)にしか
処方する事が出来なかったのだ
後、「リタリン」も候補に上がったが
2006年に歌舞伎町の精神科医が
杜撰な管理で「リタリン」を安易に
処方していた事から
鬱病に対しての処方が廃止され
ナルコレプシーのみの適応となってしまった
この事から私の研究では
「パキシル」
「デパス」
「ドグマチール」
「セロクエル」
「ロヒプノール」の5種類が
2008年現時点で有効的であると結論づけた
2008年2月24日22時頃に
眠りに着いた
2008年2月25日16時頃
目が覚め
前回より少しマシな状態だが
「プチ地獄」といった感じだった
私はアミノ酸が重要である事を
理解していたので
コンビニである「即効元気」というゼリーを
愛用していた
これを飲むと結構マシになる
次はアミノ酸の研究を深めようと思った
2008年2月28日14時
えんどうクリニックへ行き
いろんな説明を施し
「ハルシオン」をやめて
「セロクエル100mg」
「ロヒプノール2mg」が追加された
という様な感じで
私はこの会社を2月一杯で辞める事にし
貯金も200万位あった事から
当面の間、勉強に集中しようと決めた
2008年3月1日〜2008年10月30日まで
月2回のペースで
Uが必ず誘ってきた
そしていつもの様に
会話したり勉強したりを
毎月繰り返していた
2008年10月31日
私はタクシーに乗っている際
「🦁さん!何で助けてくれなかったんですか」
という声が頭の中で悍しく響き渡り
私は
「ギャーーーーー!!」と叫んで見ぐるみを
全部剥ぎパンツ一枚で
走行中のタクシーから身を投げ出したのだ
気がつけば病院のICUの中で
両足が全体紫色に変色していた
それよりもパニック障害で起きる
恐怖心と激しい呼吸困難に陥り
3日半その状態が続いた
医師は「70%覚悟しておいて下さい!」と
言っていたと後に母親から聞かされた
もう、その3日半は
「血圧250・心拍数220」の状態が続き
私は「真の地獄」を体験した
正にそれは
「人間の味わうレベルのモノではない」
経験だったと確信している
2008年11月4日早朝
私の全エネルギーが
ほぼ無くなっている事を悟り
これが死の直前かと
横で看病している母親に
「お母さん、ありがとう」と言ったのを
覚えている
私は母親に「お母さん」と呼ぶのは
死ぬ時だと決めていた
最後に体内に僅かに残っていた
便が少しだけでて
体内のエネルギーがほぼ底尽きている事を
悟った
便でもこの状況下においては
大切なエネルギーなんだと悟った
その直後
医者達が現れ
「この人まだ息がある!!」という
慌ただしい声が遠くから聞こえた気がする
その直後意識が無くなり
ある夢を見た
「天体があり私はその南東の位置にいたのだ」
私はふわふわと浮いており
何故かその南東の位置から離れようとしない
というよく分からない不思議な感情と共に
目が覚めた
死んでいない事を確認できた
2008年11月5日
私は退院して足元がフラフラした状態で
車の中に乗り込み
私の家に着いた
2008年12月中旬
Uから連絡があったが
電話を取らなかった
それ以降Uとは会っていない
2009年〜2012年中旬まで
家を2009年3月に解約し
以後自宅で暮らす様になる
仕事はリーマンショックの真っ只中であり
たまに派遣社員で半年位勤め
また半年位勉強に熱中しの
繰り返しをしていた
2012年9月4日〜2015年10月23日まで
「空白の時」を過ごした
その後2015年12月12日に親友と連絡を取り
久々に再会する事になり
2007年の結婚式以来の出来事を
永く語りあった
2015年12月下旬
元々インターネットで知り合った
女の子👻と初めて会い
天王寺(現自宅)で同棲する事になった
以降は前記事で書いてある通りだ
2008年10月31日に
「ギャーーーー!!」と叫んだ一例の現象は
1番弟子だった後輩が
快速電車に飛び込み自殺したという事を
後に知らされた
🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁
循環器系の看護師がいた
私を見るなり
「ヤバイな!!病院紹介したろか??」と
言ってきたのをきっかけに
市内にあった「えんどうクリニック」という
精神科へ通院する事になった
今まで精神医学も勉強してきて
自身も精神病を疑っていたのに
何故か「精神科に行く」という行為に
結びつかなかったのが未だに不思議だ
2008年2月14日14時
えんどうクリニックを訪れた
臨床心理士が問診票を手渡してきたので
20問位ある問いを書き終え
診察室に呼ばれた
先生の第一声
「あなたよくこの状態で仕事してきましたね」
と言われたのをよく覚えている
診断は大鬱病・パニック障害だった
2008年当時は
ADHDという概念が世間では知れ渡ってなくて
先生自体もADHDについて
よく分かっていなかったモノと見られる
処方されたのは1日辺り
「パキシル10mg✖️3
デパス1mg✖️3
ドグマチール50mg✖️3
ハルシオン0.25mg✖️1」
だった
これらを服用し始めて
そこそこ日常の苦しさから解き放たれた
しかし
依然小学6年生の中期までの好調には程遠く
特に「集中力が無くなった」という状態が
とても許せなかった
2008年2月22日22時頃
Uがまた誘ってきた
私は少し楽になった事から
「どうしよう!!」ととても迷ったが
あの集中力の魅力を思い出し
「分かった!!」と回答した
そして
また前回の「天国の時空間」がやってきた
すると
Uは私にこう言った
「🦁の分析話しが聞きたい」と
言ってきた
前回勉強の合間2時間くらいかな?
Uに熱く語っていた
私は何を話したか覚えていないが
Uから私に声をかけるのは
極めて稀なのだ
Uは韓国人とのハーフで
好奇心がもの凄かった
Uは基本無口で
大事な時にだけ一言ど真ん中を突いた発言を
する様な当時の私からすれば
かなり仕事のできる極めて優秀な存在だった
私はこう言ったのを覚えている
「この世は99%の真実と1%の重大な嘘により
確立されている
従って私はその嘘の解明の為に
この世にやってきた」
と言ったのを鮮明に覚えている
Uは普段笑う事など無いのだが
思いっきり笑いだした
すると目を輝かせて
「ほんでほんで?」と続きを聞きたがる
私はこう言った
「人間は縁・直観・タイミングにより
真実を悟る事が出来る
しかし、人間本来の
潜在能力のリミッターをカット出来れば
いつでもこの状態でいられるはずだ」
と言ったのを覚えている
するとUは
「どうすればいいん?」と聞いてきた
私は
「宇宙人が知っているはずだ」と答えた
Uは
「どこにおるん?」と聞いてきた
私は
「今回の人生で会えるかは分からへん」
と答えた
Uは少し冷静になり仰向けに寝て
目を瞑り始めた
私は今日は
48時間勉強し続けると決めたのだ
あらゆる精神薬の組み合わせで
少しでも倦怠感を和らげる原理を
勉強し続けた
その結果
統合失調症の陽性時の治療薬
「セロクエル」に行き着いた
更にベンゾジアゼピン系の
「ロヒプノール(サイレース)」も
有効的である事も分かった
これに「コンサータ」も思ったのだが
2008年の段階では子供(7歳〜18歳)にしか
処方する事が出来なかったのだ
後、「リタリン」も候補に上がったが
2006年に歌舞伎町の精神科医が
杜撰な管理で「リタリン」を安易に
処方していた事から
鬱病に対しての処方が廃止され
ナルコレプシーのみの適応となってしまった
この事から私の研究では
「パキシル」
「デパス」
「ドグマチール」
「セロクエル」
「ロヒプノール」の5種類が
2008年現時点で有効的であると結論づけた
2008年2月24日22時頃に
眠りに着いた
2008年2月25日16時頃
目が覚め
前回より少しマシな状態だが
「プチ地獄」といった感じだった
私はアミノ酸が重要である事を
理解していたので
コンビニである「即効元気」というゼリーを
愛用していた
これを飲むと結構マシになる
次はアミノ酸の研究を深めようと思った
2008年2月28日14時
えんどうクリニックへ行き
いろんな説明を施し
「ハルシオン」をやめて
「セロクエル100mg」
「ロヒプノール2mg」が追加された
という様な感じで
私はこの会社を2月一杯で辞める事にし
貯金も200万位あった事から
当面の間、勉強に集中しようと決めた
2008年3月1日〜2008年10月30日まで
月2回のペースで
Uが必ず誘ってきた
そしていつもの様に
会話したり勉強したりを
毎月繰り返していた
2008年10月31日
私はタクシーに乗っている際
「🦁さん!何で助けてくれなかったんですか」
という声が頭の中で悍しく響き渡り
私は
「ギャーーーーー!!」と叫んで見ぐるみを
全部剥ぎパンツ一枚で
走行中のタクシーから身を投げ出したのだ
気がつけば病院のICUの中で
両足が全体紫色に変色していた
それよりもパニック障害で起きる
恐怖心と激しい呼吸困難に陥り
3日半その状態が続いた
医師は「70%覚悟しておいて下さい!」と
言っていたと後に母親から聞かされた
もう、その3日半は
「血圧250・心拍数220」の状態が続き
私は「真の地獄」を体験した
正にそれは
「人間の味わうレベルのモノではない」
経験だったと確信している
2008年11月4日早朝
私の全エネルギーが
ほぼ無くなっている事を悟り
これが死の直前かと
横で看病している母親に
「お母さん、ありがとう」と言ったのを
覚えている
私は母親に「お母さん」と呼ぶのは
死ぬ時だと決めていた
最後に体内に僅かに残っていた
便が少しだけでて
体内のエネルギーがほぼ底尽きている事を
悟った
便でもこの状況下においては
大切なエネルギーなんだと悟った
その直後
医者達が現れ
「この人まだ息がある!!」という
慌ただしい声が遠くから聞こえた気がする
その直後意識が無くなり
ある夢を見た
「天体があり私はその南東の位置にいたのだ」
私はふわふわと浮いており
何故かその南東の位置から離れようとしない
というよく分からない不思議な感情と共に
目が覚めた
死んでいない事を確認できた
2008年11月5日
私は退院して足元がフラフラした状態で
車の中に乗り込み
私の家に着いた
2008年12月中旬
Uから連絡があったが
電話を取らなかった
それ以降Uとは会っていない
2009年〜2012年中旬まで
家を2009年3月に解約し
以後自宅で暮らす様になる
仕事はリーマンショックの真っ只中であり
たまに派遣社員で半年位勤め
また半年位勉強に熱中しの
繰り返しをしていた
2012年9月4日〜2015年10月23日まで
「空白の時」を過ごした
その後2015年12月12日に親友と連絡を取り
久々に再会する事になり
2007年の結婚式以来の出来事を
永く語りあった
2015年12月下旬
元々インターネットで知り合った
女の子👻と初めて会い
天王寺(現自宅)で同棲する事になった
以降は前記事で書いてある通りだ
2008年10月31日に
「ギャーーーー!!」と叫んだ一例の現象は
1番弟子だった後輩が
快速電車に飛び込み自殺したという事を
後に知らされた
🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁🦁