月別アーカイブ / 2019年06月

遠ざける
誰もが通る
死の恐怖
目を向ける時
必要な時

以前も記事にしましたが
水洗トイレと
棺桶が入らない家
死を遠ざける事が
死への恐怖を
増幅させる



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なかなか寝ず
静かな部屋で一人
ぼぉっとしていた母

昔話
彼女の幼少期の
裕福だった時の話を聞いていた
何度も…

今の彼女の現状が
気の毒に思えた

彼女の父親が病に倒れなかったら
こんな田舎の
あんな親父の
こんな家に
嫁ぐ事もなく
こんな私も
産む事もなかったかと思うと
気の毒に思えた

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自分が情けなく思えた
ただただ劣等感

今日のテレビ番組で
ある脚本家さんが
究極の質問を投げかけていた

「人は何故死なせてもらえないのか…」

その人は難病を患い
生死の境を彷徨い
「死」という選択肢を
過ぎった瞬間を体験した

その「死」の選択は
決してネガティブではなく

現在遠ざけられている
皆が目を背けいる
「死」に
しっかりと向き合う事を
投げかける問い

安楽死
現在の日本では認められていない
途中で終わらせる「死」に
それを決める医師に
責任を押し付けたくない
医師は
人の病を治したい
命を助けたい
そんな志を持っていたはず
でもその人に「死」の決断をさせる
それは酷だからだ

尊厳死
これも医師にとっては酷なのかも
私の父は尊厳死を選んだ
白血病
肺炎
大動脈解離
治療は拒否した
そして自宅で最期を迎えた

その脚本家さんは
病院で脚本を書いていた
生死の境がある究極の場所
それを経験しないと
それと向き合わないと
出て来ない言葉を
紡ぎ出した
生死が近くにある病院は
感受性か研ぎ澄まされる


私にそれのカケラも無いのは
元々感性が無いのもあるけど

親父を通して死生観を
分かった気がしてたけど
じゃあ自分は…
生死を彷徨っていない自分には
出てくるはずもない言葉
私なんかまだまだ…
「死」を語る事は
おこがましい…
と思う…

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