ずっと読みたかった、猪狩ともかさんの著書を読むことができました
猪狩さんは私と同世代…抱える障害は違えど、励まされました
私も私なりに働ける場所を、これから改めて探して行こう‼️と、決意を新たにしました
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昨年9月以降、思い返せば本当にいろんなことがありました。。。。。
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療育センター担当医と、研修医時代同期の今の主治医と偶然出会い、思い切って転院🏥したのも

母からの勧めで、もう絶対に会えないと思っていたカウンセラーの先生の大学宛に手紙を出し📮
結果的に先生と再会でき、改めてカウンセリングを受けられるようになったのも

退職直前まで、療育センター担当医が診察の時間をくれ、合理的配慮についての知識と情報・アドバイスをくださったのも

昨秋の休職中に、母校🏫の文化祭に遊びに行った際…
まだまだ本調子ではなかった私に
『ここまで来れたってことは、少しは元気なんだよ
本当に調子が悪かったら、お前は今日ここに来てないよ
また来年の春、メール📧するからな』…と、言ってくれた高3担任の恩師も

復職直後に、聴覚過敏👂への理解が得られず、鬱が悪化した時。。。。
無意識のうちにお昼休み中の母校🏫に電話📱して、恩師が出てくれた瞬間、電話越しに号泣😭する私の話を、とことん傾聴してくれて
『大丈夫、○○(私)は何にも間違ってないよ
こうして電話してきてくれてありがとう
こうして電話してこれてる
だから○○の心はまだ折れてないよ、大丈夫だよ』と
声をかけてくれた広報担当の恩師も

本当にいろいろな形での支えがあって、今の私がいることを実感します
私自身、傷つきながら…悩みながら…学びつつ…
まだまだ未熟ですが、、、亀🐢のペースで成長途中です

私の障害は、身体的にも発達的にも、良くも悪くも目には見えません
だからこそ辛いことや、傷ついたことは、大人になって10年経つ今でも何度もあります


20代はじめの頃
『泳げないなら、ダイビング🤿なんて無理だよ(笑)』
と笑いながら言われた私が
それからおよそ10年後…まさかダイビングを趣味にしようとして、本気を出して、器材も一式揃えて、ダイビング🤿のライセンスを取得するなんて、誰も考えていなかったと思います
(自分自身ですら、ダイビング🤿は夢のまた夢だと思ってた)
"自粛明けしたら、何かやってみたいことや行ってみたい場所があれば、やってみること・行ってみることから始めたら?"と声をかけてくれた、カウンセラーの先生の何気ないひと言のおかげです

そして、、、
『山🗻(夢とか目標)は自分からは動かないんだよ
こちらから山🗻に向かって歩いて行かなければダメなんだよ、"山は動かず"』と、会うたびに繰り返し私に言ってくれ、力強く握手🤝してくれた最初に進学した大学の学長先生
その言葉が、心の中にエネルギー源としてあるから、時に少し後戻りしても、前へ前へ歩めている………今の私がいるんだと思います

そして、20歳の夏の急な躁転→閉鎖病棟への1ヵ月の入院を経験してから…早いもので気づけば、10年の月日が経ちました
幸いなことに、大きな躁の波はなく…
何とか入院せず通院🏥&投薬💊で踏ん張って、10年というひとつの節目を迎えることができたのは、個人的には合格点💮だと思います

長いようで短かった…短いようで長かった…
そんなに1ヵ月間に思い知らされた&突きつけられた現実は、《再入院している患者さんの多さ》の衝撃でした
(たまたまかも知れませんが。。。)

退院後、投薬治療だけじゃなく認知行動療法も取り入れたい❗️と、当時の主治医に直訴して…認知行動療法をやって良かった、とも改めて思います


そして
『あ、今年も自分の言ったことを、きっちり守れたな。。。』とも思うのです
前にも、このエピソードは何度か触れましたが…
退院の日に、病棟の外に出てから最後にご挨拶した、お世話になった男性看護助手さんに
『また、会おうね〜😊👋』と、軽〜いノリで言われて
『"また会おうね〜"じゃ、私❗️またここに入院することになっちゃう‼️それじゃダメなの‼️』と、言った私を、笑顔で見送ってくれた
あの時の、チャラそうな第一印象の(金髪ロン毛をポニーテールみたいに結んでいたので)でも、優しくて面白くて患者さんの人気者だった、看護助手さんは元気かな〜と、懐かしく思い出します💭😌