月別アーカイブ / 2020年02月

今日こそ、きっとラストになる…療育センターに行ってきました
担当医は一応、今年の3月でリタイアの予定…だそうです
だから、本当に本当に今日が最後かな。。。

担当医に対しては
最後まで私と真摯に向き合って、一緒に悩んで、考えて、アドバイスをくれて、本当に感謝しかありません
20歳過ぎて、担当医不在で迷子状態の私のことを引き受けて、『自分が診ます』と引き受けてくれ、担当医になってくださって
WAIS-Ⅲの検査や問診から、視覚認知障害、読み書きLD、ADHDの不注意優勢傾向……そして、私の社会性の未熟さから、発達障害だと指摘してくださり、本当に感謝しかありません
先生から頂いた知識や情報を、今後に(特に仕事上で)活かしていける…ようにすることが、私のひとつの課題だと思っています

【担当医からのお話まとめ】
●今、合理的配慮はどんどん進んでいる
自分に必要だと思われる配慮は、どんどん"文書にして"発信すべき
●いっそのこと、会社がOKすれば、テレワークにしたって構わない
今特に車椅子ユーザーの人はテレワークの人が多い
自分で環境調整できるし…このご時世コロナもあるしね、と
※これは残念ながら、私の会社の仕組み上無理です…
だったらデジタル耳栓の使用と仕切りを設置する許可を取る方が早いてす……
●医者として自分から感覚過敏について進言するよりも、発達障害担当医やカウンセラーの先生と上手く相談しつつやるべきでは?とのこと
あまり精神科系の医者がごちゃ混ぜになるのは良くない、と以前の主治医からも言われたことがあるのですが……今回も似たようなことを言われました
今の私の場合
•発達障害担当医
•メンタルクリニック主治医
•認知行動療法カウンセラー
↑全員別の病院所属
更に、眼科(緑内障)、頭痛外来、皮膚科(じんましん)、歯科…と、バラバラなので
そこに自分が加わるのは…ということでした

担当医も"これ!"という的確な意見やアドバイスは、今回に関しては珍しく、"うーん…ないなぁ……"という感じでした
それだけ、難しいものなんだと思います
ただ、あるキーワードに絡んだアドバイスだけは、教えてもらえました
会社名が絡んで来るので、ここには具体的に書けませんが…ひと言で表すと、『灯台下暗し』的な感じですね


テレワークが導入されていて、そうした企業さんで働けている障害者雇用の方々が、ちょっとだけ羨ましいです。。。
常に、とは言わないけど…時々、そういう選択ができて
働けたら良いのになぁ〜と
今日の担当医の話を聞いて、切実に思いました


私から今日の報告をメールで貰った母は
ひと言、『あまりに的確なのですごい』とのこと
多分、今日担当医が私に伝えたことは、恐らく今の会社側は全く考えついていないこと…だと思います
それよりも来月初旬になる次の契約更新までに、私が復職できるか?どうか?を気にしているかな。。。
契約更新もすごく大事なんです、それは私にもわかります…が
それよりも先に正しい理解をして欲しいことが、たくさんあるんだけどなぁ。。。
下手したら、発達障害者を雇用しているっていう自覚がないのか?
それとも発達障害者雇用についての理解度が、根本的に低いのか?

大人の発達障害者を多く診ている
発達障害担当医と療育センター担当医からしたら
《耳栓の使用》も《パーテーションで机周りの刺激を減らす》のも、比較的『当たり前』な配慮事項だからこそ、"話せばわかってもらえると思う"と、発達障害担当医も言ったんだと思います

ただ、発達障害者雇用に関して素人の会社側からしたら、"感覚過敏?何それ?"状態なわけで
「ライブの音響とどう違うの?」
「人混みの感じとはどう違うの?」という混同状態
どんなにベテランな、知識豊富・情報量豊富な先生方ですら、何をもってして感覚過敏の的確な説明に繋がるのか?はお手上げ



※余談ですが
私にとっての感覚過敏は
◎視覚過敏
仕事中に周りの人の動きが気になって仕方がない
(一瞬、作業の手が止まる時もしばしば)
上司に動線から離れた所に自席移動のお願いをする
↑これは業務内容の兼ね合いで🆖
自席の全面やサイドをパーテーションで囲うのを認めてもらいたい…のが現状

◎聴覚過敏
何となくザワザワした環境や
小さい子が騒いでいる声や泣き声が苦手
(勿論、その小さい子に悪気がないのはわかってる)
プライベートの外出中なら、ヘッドホンで音楽を流してます
(音楽を流してなくても、ヘッドホンをしてるだけでも気持ち的に違う)
だからこそのデジタル耳栓です

他にも
◎嗅覚過敏
香水とか、化粧品の匂いなんかが特にダメ
デパートの化粧品売り場はできれば通りたくない
お線香も母曰く"良いやつ"(亡き母方祖父が好んでたお線香)なら好きだけど、普通の?はあんまり好きじゃない

◎触覚過敏
肌が弱いのもあってタグは苦手
他にも、ニットのチクチクした感じと、タートルネックの締め付けも苦手
なので、ニットのタートルネックなんて絶対着ない

☆だいぶましになった…はずだけど
(恐らく)味覚過敏から来る偏食
小さい頃は『私は白ご飯さえあれば、何にもいらない❗️』と堂々宣言する子供←
フルーツは昔から大抵大丈夫で、野菜はほぼ苦手だった子供時代
(給食はある程度頑張って食べるけど
家だと食べないで
何度、母から『ひと口だけ❗️頑張って食べて‼️』
と言われたか。。。)
大人になって精神科入院の荒療治から
食べられる野菜がかなり増えて
殆どの野菜は食べられるようになった、けど…
内心、"うーん…微妙……"と思いつつ
とりあえず食べてる野菜類が多いかも😅
(茄子、人参、グリンピース、コーン、ほうれん草、ちんげん菜、ピーマンとかが特に)
昔の悪い癖の名残り?なのか、未だに野菜を箸で除けてることが多く、それを母や妹に指摘されることありです←


精神保健福祉手帳のコピーは必要なので、会社に提出してますが、精神の手帳の場合は、障害名は記載なしなので(東京の場合)、もしかすると、会社側は発達障害者雇用をしているという自覚が低いのかも知れません…そもそも発達障害者雇用への理解度が低いんだと思うんですが……

一緒に働いている障害者雇用の方は、リウマチだから、目に見えるんですよ
痛いとか、水がたまるとか、変形してるからこれができないとか、わかりやすいんです
対して、私は
•同じ身体でもパッと見にはわからない
勿論、痛いとかそういうことは、私にもあるけれど……
裁断機が使えない、三つ折りができない、という手先の不器用さは、私の身体を見ただけでは、今ひとつ伝わらない
タイピング作業なんか見ただけじゃ全然普通だし(自分では、タイピングは普通より少し早いくらいの速度だと思ってます)
左利き…は日本中にいますしね
発達障害も同じくで
•周りとのコミュニケーションがとことん取れないわけでもなく…
•指示理解も工夫すればひと通り通る…
•うっかりミスが多発して仕事にならないわけでもないし
•決して仕事が遅すぎるわけでもない
•読み書きLDがあっても、そこまで苦労はしてない
勿論こちらから『○○○だから、〜して欲しいです』ってお願い=発信は、これまでにも幾つかしてきていますが……


ちなみに、今はお休み中ですが、ピアノを弾く上で麻痺が影響したりとか、譜読みで発達障害の特性が引っかかることはないです
オクターブ飛ぶくらいの指遣いも、和音も問題ないです
中には、楽譜が読めないことに葛藤する、発達障害当事者さんもいますが、私は譜読みは特に問題ありません
読みのLDがあってもあまり出てない?のかな、と思います…楽譜が何となく見にくいと感じる時はあるんですけどね
多分、それは
●ドレミを歌いながら弾く
●まずは片手ずつで弾く(いきなり両手はなし)
●読みにくい楽譜の場合には一部に先生がドレミを振る
●あくまでも参考になら、YouTubeの動画を見てOK
というピアノの先生の指導の仕方が合ってるのもあると思います
一応ピアノの先生には、洗いざらい全部話してあるけど、楽しみながら無理せずやることに重きを置いてくれて、褒めて伸ばす姿勢をとってくれているので、問題を感じたことはこれまでないです

契約更新の兼ね合いで、来月の始めぐらいまでに、復帰or退職を決めたい会社側
やってもらいたい仕事はあります
仕切りについては考えています、とのこと
上司が言うのは…仕事を続けていきたいか?どうか?
眠れていますか?など

仕事は、できれば続けたいという気持ちと
正直言って、もういいかな…配慮を求めて動くことに、戦い疲れたな……という気持ちと両方あります
私がこうして傷ついて荒れなければ、恐らくはここまで真剣に仕切りのことを考えなかっただろうな…と思います
ぶっちゃけ、眠れてりゃいいって問題でもないです
眠り過ぎてる(過眠)のもひとつの症状です
過食もそうです
眠れない・食べれない人もいるでしょう
でも私は眠り過ぎ・食べ過ぎです

確かに契約更新の話は昨年も春先にしています
なので、会社の言うこともわかります
でも、今回の件でどんだけの先生方に頭下げて力を借りてるの?
会社として手探りなのもわかりますが、それでもしっかりと向き合って理解する気はありますか?
私が言いたいのはまずそこです
カウンセラーの先生の書類も、受け取って、わかりましたで満足してるんじゃないんですか?
療育センター担当医が、どう言うのかはわかりません
厳しいことも恐らく言うでしょう
それでも私のためにできる限りの助言はしてくれるでしょう
そうしたことを全て今後にもしっかりと活かせますか?
活かせなきゃ意味がないんです
話を聞いた、書類もらった、で理解した気になってるだけなんじゃ、それは無意味と同じこと
会社としての期日もあるでしょうが、焦らせないで欲しい
焦らせたら、私はまたきっと壊れていきます
今よりもボロボロになっていくと思います

そもそも、誤解と無理解な発言で、私を傷つけたことへの謝罪はないのか。。。
ボロボロに傷ついた私を誰が慰めた?誰が支えた?
=恩師をはじめとした先生方
会社が誠意を持って、謝るべきところだってあるはず
自分達が不勉強・知識不足のために私を傷つけてしまった
仕方がなかったことにしても、その事実は変わりません
次の契約の話以前の、問題点はそこじゃないのかな?
私が間違ってるのかな?

謝罪するってとても勇気が必要だけど、すごく大事なことだと私は思っています
その後の信頼関係に直結するくらいに重要なことです
どんなに些細なことでも相手を傷つけた事実を、きちんとに受け止めて…
それに対して、真摯に謝罪する
それができるか?できないか?で180度違います
今回の件は、私にも言葉足らず、説明不足の点も多々ありました
それは、会社に対しても申し訳なかったと思います
それは私から
"私の特性上の配慮のお願いにも関わらず
私もいろいろと言葉足らず
説明不足でした、ごめんなさい"と
会社に謝るべきところだと思っています


私がこう考えるのは、母校での恩師のある意味では思い出深い、2つの"謝罪例"があるからです
恩師であるO先生は、私が苦手な突然の大きな音や声に、常に配慮しながら授業を進めていました
でも、教室全体のみーんなを授業に集中させるために、
やむなく教卓をドンっと叩いたことが、本当に一度だけ
私が3年の時にありました
私の定位置は教卓の目の前の席…当然びっくりし過ぎて、不安になってしまい、軽い過呼吸になりました
先生に断り、教室を抜け出して、ベンチで休んでいたら…授業終了のチャイム
教室を出てきた先生は、真っ先に私に歩み寄り
『☆☆、ごめん
先生はああしたら
☆☆がこうなるってわかってた
だけどあの場では
ああやるしかなかったんだ
本当にごめん』
驚くほど真摯で、そして素早い対応だったのを、今でもよく覚えています
そもそも私自身も、O先生が意味もなく、授業中に突然大きな音を出すとは思っていなかったので、何か"ワケアリ"とは悟っていましたが……先生の対応の方が何枚も上手でした

同じく恩師である私の3年担任
卒業間近に何かを決めるのに
ホームルーム中、順番にみんなを指名
『私が指名されるのはNGと担任としてわかってるだろう…』と考えていた私と
『一回くらいなら"最後に"指名しても平気だろう…』と考えていた担任
その件についての、事前相談や事前の打ち合わせは、お互いに一切なし
そんな2人のすれ違った考えがぶつかり合った瞬間……予想外の出来事に、恐らく入学して1番の大パニックを引き起こした私
取り乱して大声で泣き出し、教室から逃亡
死に物狂いで職員室にたどり着くと、たまたま職員室に残っていた学年主任の先生は、私のパニックに何事?!とびっくり
まさか私がこんなにパニックになると、予想していなかった担任は激しく動揺しつつも、教室を放置して、私の後を追い職員室へ
でも、私が大パニック状態で、後を追いかけてきた担任を受け入れられるわけがなく、泣きながら激しく拒絶
学年主任の先生が間に入ってくれ、私に事情聴取
とにかく今日はもう帰っていいよ、と言われ…私はそのまま早退
翌日何とか登校した私は、教室に行くわけでもなく、職員室に行くわけでもなく、地下の面談室へ
そこで私の早退後に、担任からも事情を聞いた学年主任の先生が、担任が私に対して大変なことをしてしまったと
本当に申し訳ないと言っていると
☆☆さんさえ良ければ、きちんと謝らせて欲しい
私も思うところがあったので、それを受け入れて、面談室で向き合うと
今まで見たことのないくらい、真剣な顔と言葉で、何故私を指名したのか?を含めて、話してくれました
そんな姿を見て、私なりに考えて
《私はこういう風に思っていました
だから私にも対処できたかも知れません》
と伝えました
その時
『許してくれてありがとう…』と言った担任は
卒業式の手紙でも、そのことを改めて謝罪
《全て先生のせいにすることなく、自分にも対処できたかも知れないと言ってくれて、とても嬉しかったし、救われた気持ちになった》と書いてくれました

先生という存在が絶対的な支配者すぎて、それが原因で不登校になった私からしたら…大人でも、先生でも、間違いを犯したら、きちんと謝るんだ……と
もう一度この先生を信じても良いかも、と感じた
もうすぐ卒業の頃でした

もしもあの時あんなに真摯に誠実に、お互いに向き合えなかったら、きっと喧嘩別れみたいになってしまって、私は今でも担任を許せなかっただろうし、顔も見たくなかっただろうし
卒業してこんなに経っても続くような大切な信頼関係はなかったと思います


日本の精神科医療や、日本の精神障害者雇用は、先進国の欧米よりも、2〜30年遅れているそうです(妹の主治医談)
そもそも発達障害者の雇用例も少なく、まともに働けている発達障害者も少ないのが現状
カウンセラーの先生も"日本中が手探り"と表現した、発達障害者雇用
心身共に、フルタイムが難しい、私のような当事者もいると思います
もっと、発達障害者雇用が促進され、発達障害への正しい理解が進み、環境調整という配慮が当たり前になって欲しいと願ってやみません

タイトル『Moments』/浜崎あゆみ

タイトルは
King Gnuさんの『白日』より

今年もこの日が巡ってきました
あの日の記憶は今も薄れることなく、私の心にあります
辛いとか、悲しいとか、寂しいとか、信じられないとか、そんな言葉じゃ語り尽くせないような感情と
取り乱して声の限りに泣いたことも
歌詞に例えるなら
"なんで なんで なんで なんで
僕に 僕に 僕に 僕に
さよならも言わずに
空になったの?"(あいみょんさん、空の青さを知る人よ)
と思ったことも

りななんと暫しの永いお別れをしてから
辛いな、苦しいな、そう思うことはたくさんありました
思わず逃げたくなってしまうような出来事にも
何度も何度も出くわしました
そんな出来事や思いは
ぶっちゃけ今も現在進行形です
でも、これまでそれを乗り越えられたのは
やっぱり、りななんに自分の中で
「りななんの分も生きる」ことを
約束したからだと思っています


前進していく、更新されていく、エビ中の"今"に
いつもりななんの姿を重ねています
《この衣装、りななんが着てたら、どんな感じだったかな?》
《「HISTORY」のインタビューで、どんなこと話してくれたかな?》
《「HISTORY」の歌詞にどんな言葉を紡いでくれたかな?》……と
他のグループの推しが卒業や脱退をする度に
残念な切ない寂しい想いも抱きましたが
それでも
【どこかで幸せで居てくれるなら、それで良い】と
思えるのは
やっぱり、あの日を経験したからでしょうか?

りななんとは
そんなに多くの思い出を作ることができませんでした
もっと早くから
接触イベントやライブに行けていたら…と思うと
今でも悔しくて仕方がないです
"この声が枯れるくらいに
君に好きと言えば良かった"(サスケさん、青いベンチ)と
でも、そんな数少ない思い出が
私の宝物なのは間違いないです

これからも
空からエビ中メンバーや
ファミリーのことを見守っていてね
私なりに私らしく頑張ってる途中の姿を
空から応援してくれていたら嬉しいな
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エビ中のメンバーとして
出逢ってくれてくれてありがとう
これからも、ずっとずっとずっと大好きです

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