月別アーカイブ / 2017年08月

ここ最近、体調が少しイマイチです。
特に具体的にどう…というわけではないんですが、連日の暑さからの天候不良でだるさがあったり、昨日・今日は頭痛が酷かったり。
膝も相変わらず痛かったり。
そんな中でも、好きな音楽や読書は楽しんでますが、畑の活動量が減ってる期間で、物足りなさも感じているのかも知れません。

畑に通いだしてそろそろ半年近く経ちます。
この間に、たくさんの「初めて」を経験させてもらいました。
初めて知った事、初めて見た物、聞いた物、使った物、食べた物……本当にたくさんあります。
私が畑に行くようになった、転機にもなった出来事は、自分がずっと大好きだった、自分の生き甲斐だったりななんが亡くなった事かも知れません。
もしも、2月8日の悲しみがなかったら?
私はきっとまた、どこかにある支援の手を探そうとしていました。
「何とかして社会に出ていこう」と躍起になったと思います。
実際、あの知らせを聞くまでは、「体調も良くなってきたし、そろそろまた動ける」と何となく思っていました。
その日の午前中の診察で、Dr.とも少しだけそんな話になりました。
でもあの知らせを聞いて、悲しみに打ちひしがれて、それどころじゃなくなりました。
覚めない悪い夢をずっと見ているかのような、強いストレスを感じる毎日は、とても辛く苦しいものでした。
それから次の診察までの3週間は今までで一番って位に本当に長くて、辛くて、苦しくて……。
何とかして自分なりの解釈を探したくて、理由づけをしたくて、『もしかしたら、"今はまだ動く時じゃないよ、まだ早いよ"ってりななんから言われてるのかも知れない』と考えたりもしました。
りななんが亡くなって8日で丸半年ですが、あの日の悲しみを完全に乗り越えた…なんて今もまだ全然思わないです。
でも、あの時の私はとにかく『自分の悲しみが落ち着くまで、りななんを送るまでは動かないで休もう…それから少しずつ動きだそう』と決めていました。
その決断が、結果的に今のわたしの環境を作っているのかも知れません。
勿論、時間が流れていく中で、Dr.から「デイケアはどう?」とか、当事者会で「こういう施設があるけど…」というお話をいただく事もありましたが、喪失感を抱えたまま、現実を一つ一つ受け入れて、前に進む中で、いつものような行動力は発揮されませんでした。
『支援者や支援施設に自分がうんざりしているから、距離を置きたい』という、自分の素直な気持ちに気づくのに時間がかかってしまったのは、"自分のこれからをどうするか?"を考える前に、もっと他に向き合ったり、考えたり、受け入れたりしなければいけない事がたくさんあったんだと、今は思います。
もしかしたら、りななんがたくさん時間をかけて、導いてくれたのかも知れませんね。

今日は朝早くから畑に行ってきました。
ちょうど畑に着いてすぐに、お世話になっている農家さんが畑にトラクターをかけにいらしてくださって、見学させてもらいました。
トラクターをかける農家さんの運転さばきに、私もスタッフさんも大興奮(笑)
間近で見るトラクターは迫力満点でした。
これで畑の土は9月までお休みに入る準備が整いました。
今朝は、週明けからのドタバタもあり、少し疲れていてだるさがありましたが、畑で黙々と作業していると、自然のエネルギーが身体に入っていくんでしょうか?だるさも吹き飛びました。
今まで支援施設では、自分が経験してきた事務という職種の中で、障害者就労で生きていけると信じて、そこへ向かって努力をして、支援者の言う通りに動いてきました。
極端に身体を動かす作業は、麻痺がある身にとって、負担であり、無理であると私自身も、母や支援者も考えていたので、農作業がこんなにも自身に合っているとは、思いもよりませんでした。
結果的に、私にとって農作業は非常にやりがいのある、楽しい作業だった事を考えると、自分の視野の狭さを痛感しました。
「好き」だと思う気持ちが「行きたい」と思う気持ちに繋がるので、どんなに早起きでも、身体が疲れても、ちゃんと行って作業をこなす事ができているんだと思っています。
この気持ちは、高校時代にも感じた事のあるものでした。
私は中学に3年間の中で10日間しか登校する事ができませんでしたが、高校では事情がない限り、ほぼ無遅刻・無欠席。
それは、やっぱり「学校を好きだ」と思えたからで、「学校に行きたい」と思えたからでした。
勉強して、友達とはしゃいで、先生達に会いたかったからです。
今は畑が好きで、畑で作業をしたいと思えて、
畑の様子を知りたいと思うから行くんだと思っています。

週明けからのドタバタな2日間について、思わずスタッフさんに愚痴をこぼしてしまいましたが、話をしてスッキリしました。
その時の不安な気持ちや苛立ちが混ざった複雑な感情に「わかる!わかる!」って共感をしてくれて、腹が立った事には一緒に怒ってくれて、「大変だったね、疲れちゃったでしょ?」と労ってくれる……当事者同士だからこそわかってもらえたのかな?と思います。
そう考えるとやっぱり当事者会の存在意義は大きいものがあると感じました。

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