月別アーカイブ / 2017年08月

私がSAD(社交不安障害)と診断された2006年頃は、まだ病気もあまり今ほど知られておらず、また名称も「社会不安障害」と言われていました。
私がSADを発症したきっかけ、それは2003年の1月にあったピアノの発表会での些細なミスが原因でした。
ピアノの発表会への先生の方針はそれぞれですが、大体本番の4ヵ月前には曲決めをし、練習に入ります。
本番が近づけば、できる限り本番に近い形で、レッスンの回数も増やします。
その時の選曲、練習の全ては子どもながらに自分の意思がありました。
なので、「あんなに練習したのに間違えた自分」が許せなかったんです。
以来、大好きだったピアノを弾く事さえ苦痛になり、逃げるようにレッスンを辞めました。
当時は既に不登校で、学校で特別に発言や発表の機会もなかったのですが、人目をとにかく怖がり、避けるようになりました。
私は、当時ピアノを弾く事ができなくなった自分を何とか変えたいと、譜面台に乗り切らない、自分が好きな芸能人のたくさんの雑誌の切り抜きを置き、あえて「視線」を感じる中で何度も何度も弾きました。
それがある意味「暴露療法」になっていたと、後に精神科の初診で知りました。
高校に入って、授業で初めて発言を求められ、何とか答えたものの、頭の中は真っ白になり、以来その先生の授業・存在…がダメになってしまい、卒業まで、本当に多くの先生方にご迷惑をおかけしました。
新任の先生が伝達ミスで誤って私を指名してしまい、私が震えて過呼吸を起こして授業どころでなくなった事もありました。
投薬治療、そして先生方のたくさんの配慮の中で、ひとつひとつステップアップしていきました。
最初は前に出て、答えを書く事から始め、そこから朗読ができるようになるまで3年間費やしました。
友達とカラオケで遊ぶようになったのも良い事だったのかも知れません。
元々歌う事自体は好きだったので。
そして3年生の文化祭で、後輩達の立ち上げた合唱部の1人としてホールのステージに立つ事ができました。
病気の事は顧問の先生は一応ご存知でしたが、後輩達には一切伝えていませんでした。
入試に向けて面接練習を始めた時、まず担任と練習しましたが、意外に落ち着いて会話ができたのは覚えています。
担任もそんな私が意外だったのか、「お前、案外落ち着いてたな…○○(クラスメイト)なんて、俺との練習であがりまくってたんだぞ」と言われました。
そして大人になって、認知行動療法にも出会い、もう一度ピアノを習い始めて、先生の勧めで発表会に出る事になりました。
選曲は、先生のアドバイスもありますが、勿論自分が弾きたい曲。
レッスンする時間も、練習する時間も、昔よりも限られていましたから、当日本番前までリハーサルをさせていただきました。
そうして迎えた本番…緊張で手も震え、多少のミスもありましたが、悔いなく弾ききることができた時、「もう、大丈夫」と思えた自分と、「あんなに練習したのに間違えた自分」を許せる自分がいました。
とても長い戦いでした。
怖いと思う事、不安だと思う事は今でもあります。
でも、SADを何とかしたい、自分を変えたいとあがいてもがいて、がむしゃらにやった結果だったんだと思います
キーワードは「好きな芸能人やアニメキャラの視線から始めてみる」…です。
こんな経験がもし、今苦しんでる方のお役に立てたら幸いです。


毎週の鍼治療の成果もあり、歩行時に転倒する事は大幅に減りましたが…今でも、ふとした瞬間に転ぶ事はあります。
それが自転車を漕いでいる時です。
人や物を避けきれなかったり、段差でバランスを崩したり…色々ですが、元々バランス感覚があまりないので、余計にそういう事が起こりやすいのかも知れません。
今日もそうでした。
母に頼まれた荷物が、自転車の前かごに載らず、ハンドルにかけたまま慎重に漕いでいたんですが…人力車がスカイツリーを撮影するのに止まっていたのを避けきれずそのまま転倒しました。
幸い、軽い右膝の打撲で済みましたが……。
今日履いてたサンダルでは滅多に自転車に乗らない事、そのサンダルが少しヒールのある物だった事も転倒の一因だと思います。
荷物が入った紙袋が破けてしまったので、すぐに母にSOSをしたら、珍しく血相を変えて飛んで来ました。
優しい?お節介?な方だと、転んだ時に「大丈夫ですか?」と、声かけのみならず手を貸してくださる方もいらっしゃいますが…転ぶ事には慣れているこちらからすると、ありがたい反面、動転しつつも頭の中でちゃんと対処法は考えているので、お声かけいただけるだけで充分です。

今日の診察で、先生から「今までは4〜5ヵ月に1度大きな波が来てたけど、それがなくなりましたね」と言われました。
先生が言う、「大きな波」というのは、大抵私が支援施設で支援者と何かがあった時に来るものでした。
思いきって、支援施設・支援者から離れる決断をして、第三者の先生の視点から見ても、小さな落ち込みはありつつも、落ち着いている状態が続いているんだと改めて思いました。
やっぱりこの決断をして良かったと実感しています。
デイケアやB型・A型事業所や移行支援にすんなり馴染める人もたくさんいますが、どうやら私には不向きだったようです。
これでもか、という位に不適応を起こしてばかりだったので……。

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