私自身はあくまで発達障害の「当事者」なだけで、医師でも、心理士でも、福祉の資格を持っているわけでもないので、そういう意味では発達障害の「専門家」ではないです。
それでも、過去に何度か発達障害児・者の親の会で、子どもの立場としてお話させていただく機会があったりはしました。
あと多いのは、TwitterのDMで「自分が(家族が)発達障害なんですけど…」とカミングアウトしてくれたりする場合。
私の数少ない経験と知識でお話をするのは、自分はまだまだ経験と知識不足だと思うので、不安もあります。
でも、カミングアウトしてくださった方に対して、できる限りお力になれるように、言葉を選びつつ、あくまでひとつの意見・個人の考えである事を強調して伝える事を心がけています。
私に当てはまる発達障害の特性が、全て相手の方にも当てはまるとも限らないからです。
これを書く際も、読み手の方に自分の価値観を押しつける事にならないように、かなり気をつけて書いています。
相談にのる事で、その方に対して何かしらのサポートができたら嬉しいですし、こうして発信する事が自分のためにもなると思っています。
ご自身の場合は「発達障害の特性とどう付き合っていく事が良いですか?」・ご家族の場合は、「発達障害児・者とどう付き合っていけばいいですか?」と、当事者側に尋ねてくれるのは、発達障害の理解に繋がる事なので、率直に言って嬉しい事です。
こうして発信する中で、少しでも誰かのお役に立てていたら嬉しいです。

私は発達障害が判明する以前は、身体障害者雇用枠で、一般事務で人事の仕事をしていました。
ただ、発達障害の影響もあって、長く勤められた会社はありません。
いつも数ヵ月すると人間関係が原因でいわゆる「抑うつ」の状態になり、休職から退職に至っていました。
この様子を見かねた、東京都障害者職業センターの方が、「あなたはいつも同じような理由で辞めてばかり」と、私に対して注意してきた事も実際あります。
でも、私としては「別に好き好んで、この選択を望んでいるわけではない」のが本音。
勿論、勤めてきた中で、会社として良い環境だったところもありました。
障害者雇用枠は中途の場合、契約社員での勤務だった事も、私が不安にかられるひとつの要因でした。
4ヵ所目を辞めた時、私は通信制短大に在籍中で、ちょうど在籍2年目に入った位のタイミング。
順調に単位は取れていたので、卒業する事に専念しようと考え、療養しながら、勉強していました。
特に2年目は、履修の関係でスクーリングに出席する事が殆どなかったため、尚更そう思っていた部分もありました。
元々、会社で少しでも活かせるようにと、ビジネス系の検定を幾つか取得していて、どうせなら、短大卒も目指してみようと考えて入学を決めました。
無事に卒業が決まり、大学に編入する事も考えました。
実際、周りにはそういう方が多くいたので、周りからも勧められました。
でも、通信制でも学生の扱いになると、障害基礎年金の受給が難しくなる事etc.諸事情あり、一度大学編入は脇に置いておく事に決めました。
そこから、社会復帰のために週2回やっている在住区のデイケアに通う事からスタート。
デイケアは最長3年しかいられない規定があったので、早い段階からB型事業所の事は考えていました。
ただ、周りに身体障害と発達障害を受け入れてくれる施設の情報を持つ福祉関係者がいなかったため、暇さえあればネットで検索していました。
ようやく納得いくB型事業所を見つけ、そちらを利用するようになりました。
が、そこでまさかの発達障害者同士の「当事者トラブル」に巻き込まれ……全面的に私に非があると施設からも責められ、精神的にボロボロになりました。
毎晩のようにフラッシュバックを起こし、全てが乱れてしまい、本当に辛かったです。
そこを退所してすぐに、昔から散々迷惑をかけた両親を、就労して早く安心させたいという気持ちもあったので、発達障害者枠で就労という道を模索して、就労移行支援施設に通う事を決めました。
しかし今度は就労支援に関わるスタッフと上手くいかずに、施設を変わったりしました。
そして今の、何度目かわからない自宅療養に至ります。
施設を辞める時の私の体調は、会社を辞める時の私の体調と全く同じ。
そして、会社を転々とするのと同じように、施設も転々としているんです。
さすがに、こうまでなると、私自身も支援施設に少し抵抗が出てきました。
「また、傷つくんじゃないか?」「また、体調が悪くなるのでは?」と考えると、前に進めずにいます。
Dr.達は、生活リズムや将来的な事を考え、何とかデイケアなり、B型事業所なりに、また通えないだろうか?と考えているようですが……。
私の意思を尊重してくれているので、「〜しなさい」、「○○した方が良い」とは決して言いませんが、Dr.達の言葉の端々からそういう気持ちが見え隠れしているのは事実です。
これから先の事を考えるだけで、不安がいっぱいです。
幸い、家族…特に母は暖かく見守ってくれています。
障害基礎年金の支給に支障が出なければ、大学編入をして、また勉強した上で、何か今後の役に立つ資格を取りたいとも思います。
今の段階ではかなり難しそうですが……。

私が最初に2次障害(と思われるもの)を発症したのは、高校1年の秋でした。
高校入学後から、人前に出て発言も発表もできない、教科書の朗読もできない状態で、自力で調べて社交不安障害(以下SAD)に辿り着きました。
初めて精神科の門を叩き、状態を説明するとやはり自分の予想通りSADとの診断が出ました。
学校では、学年主任の先生・担任の先生・各教科の先生と話し合いながらできる事から始めつつ、投薬治療を受けていました。
投薬治療が順調に進んでいた20歳の夏に、体調が今までに経験した事がないくらい、突然悪くなりました。
薬の内容も大幅に変わり、不安を覚えた私は、母と相談してこっそりある大学病院にセカンドオピニオンを求めました。
その時の出会いが、その後の展開を変えていきます。
その直後に躁転を引き起こして、精神科の閉鎖病棟へ1ヵ月入院しました。
退院後から投薬治療と並行して、認知行動療法を始め、状態は良好でした。
唯一気になっていたのは、薬の量。
安定剤・眠剤・胃薬・便秘薬・頓服薬……10数種類の薬を服薬していた事です。
私よりも、家族が心配していましたが、私は頑なに「主治医の先生は"種類は多いけど、量は少ない"って言ってるから、それを信じる」と言っていました。
ところがある日唐突に、認知行動療法の先生が無期限でお休みされる事になりました。
しばらくは代理の先生で続けていましたが、なかなか慣れる事ができず、またとうとう私自身が主治医の方針に疑問を持ち始めた事で、事態は変わりました。
転院を考え始めた私の中に大学病院でセカンドオピニオンにあたってくれた先生が浮かびました。
「よし、あの時の先生のところに行こう!」
すぐにネットで調べて、今のクリニックにいらっしゃる事がわかり、前の主治医には「セカンドオピニオンを受けたい」と話して、紹介状をもらい、転院しました。
3年ぶりに再会して、「都内から浦和まで遠くない?通院できる?」と初めこそ心配されましたが、私の意思を尊重してくださいました。
そして山ほどあった薬を少しずつ減らしていき、今では10数種類が8種類に減りました。
転院して、新たな主治医の元で大幅な減薬ができました。
また、明るく前向きに励ましてくださる先生の方針のおかげで自己対処力もつきました。
もうすぐ転院して4年経ちます。
勇気がいる決断でしたが、転院して良かったと思っています。

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