おはようござます。

眠くなくて、スプラトゥーン2をやっていたのですが、全然勝てなくてふてくされてやめました、トウキョウサムガリペンギンです。

春ですね。
桜も満開。お花見もしました。新元号も発表され、平成の終わりが始まりました。

残りの平成も、令和の時代もペンギンレコードをよろしくお願いいたします🐧(令和ってスタイリッシュですごく好き!)

今日は久しぶりに少し踏みこんだブログを書こうー!そうしよーー!

音楽は目的?手段?

というテーマで書きます。

音楽をやること自体が目的なのか、音楽を手段としてなにかを成し得ようとするのか。

僕は最初音楽を始めた時は、音楽を通して有名になりたい!人気者になりたい!金持ちになりたい!
と思っていた。
音楽という手段でなにかしら成功しようとしてたし、沖縄から東京に移り住んで、東京のライブハウスで活動してた時もそうだった。

わかりやすく売れたかった。

でも東京では僕の歌はなにも通用しなかった。

お客さん10人以下のライブハウスで歌うのなんて日常茶飯事だったし、下手したらお客さん0人の時もあった。
なんの生産性もない。

お客様0人のライブハウスでライブして、そのライブハウスの店長に

「ええー!もう27なの!大学生みたいな音楽してるし、技術も低いからもっと若いかと思ったよ。」

って言われる始末。(絶対忘れないぞぉぉぉぉ!?)

そして僕は苦笑いしながら、
「はい。。笑すみません。。」
と言いながら一枚もはけられなかったチケットノルマ1万円分を払っていた。

まさにこの世の地獄。

アーティストとして最底辺にいたと思う。

でも僕が自分で自分を褒めたいところは、そこで自分の歌の才能、フロントマンとしての才能に見切りをつけてさっさとやめて得意なことに集中したこと。

歌うのは好き。曲作るのも好き。

だけど僕にとって自分で歌うことは「手段」ではなかったんだということに気づいた。

周りが当たり前のように売れるために音楽やっていて、有名になるための活動をしていたから、気づかないうちに自分も流されていたんだと思う。

歌うこと自体が目的であってもいいじゃない。

ライブハウスの店長さん、そんなこと言わなくてもいいじゃない(根に持つ)

楽しくやりたいのに、音楽は何かを成し得るための手段であるべきだという世間の大きな波に飲まれてるアーティストの方、少なからずいると思う。

周りの大人は偉そうに言ってくる(僕も含め...w)けど、自分が楽しい方向に進んでいいんですよ。

売れたいとか有名になりたい!とかいう思いを持ってるなら話は変わってくるけど、そうじゃなくてもステージに立っていいんですよ。

もしくは、今はライブ以外でも音楽で自分を表現する場はたくさんあるからそれを頑張ってもいいし。
歌ってみたとか、弾いてみたとか、DTMとか、ボカロとか。

パソコンで曲作るって楽しいんです。自分の弾けない楽器の音も簡単に鳴らせるし、思ってるより簡単に形にできるんですー!

あなたの音楽人生はあらゆる可能性を含んでいるんです。
大勢で演奏するのももちろん楽しいけど、1人で音楽作るのも楽しいもんですよ。

僕は今ペンギンレコードをやっていてとても楽しいです。

自分のしたいこと、得意なことをして、たくさんのアーティストと関われて、お金もいただけている。

それに、アーティストとして自分を売り出そうとしてた時より、そういうことをやめて良いものを作ろう、 と頑張ってる今の方が自分の名前が拡まっています。皮肉なものです笑

自分のことを幸せ野郎だと思います。

気づいたら音楽が仕事になっていました。
思い描いていた形とは違うけど、僕は音楽で飯を食っています。

その分大きな責任も付いてくるし、大変なこともあるけど、こういう仕事が自分に合ってるんだと思います。ペンギレコード始めてから今まで、やめたいと思ったことは一度もありません。

きっとみなさんにも自分の力が一番発揮できる場所があるはず。

なんやかんや言ったけど結果、音楽人生楽しんだもん勝ちです🐧

みなさんも楽しんでいきましょう。

楽しいことなかったらペンギンレコードに遊びに来て!?

なんかしら楽しいことあるから!スプラトゥーンあるし!全然勝てないけどな!!!!!!!

さあ朝になったぞーー!!

スプラトゥーンもう一回やってから仕事に取り掛かるぞーーーっ!!!!負けないぞーーー!!

「音楽は目的?手段?」

4泊5日の旅だった。
たかが4泊だったけど、ながーーーい旅だった。

順を追ってお話しようと思います。

元々大学の仲間で大阪に遊びに行く予定が立っていて、その延長で旅をしよう!と決めたのである。

大学の仲間とは楽しく遊んだ。
いつ会ってもすぐにあの頃に戻れる。友達というよりは親戚に近い存在だと思う。

通天閣に上ったり、串カツ食べたり、大阪城行ったり、the大阪を満喫した。

みんなは仕事などがあり、一泊で各々の家に帰った。
梅田駅で解散し1人になった僕はネカフェで考えた。どこに行こう。

もっと西に行ってもいいな。香川でうどん食べたいな。
いっそのこと新幹線で福岡まで行っちゃおうかな。ラーメン食べたいな。帰りは飛行機かな。

などなど考えながらスマホで調べていたら、白川郷の文字が目に留まった。
白川郷は岐阜県。名古屋からバスが出てる。

ずっと行きたかった。
ここにしよう🐧

すぐにネカフェを出て、その日は名古屋まで新幹線で戻った。所要時間1時間。

名古屋では駅員さん、コンビニの店員さん、ホテルのスタッフさん、皆んなに冷たくあしらわれてしまい、半泣きになった。
みんなきっとストレスが溜まっていたのだろう。
ストレス社会!!

お店はもうどこも閉まっていたので、コンビニ飯。
きしめん食べたかったなあ。

翌日は早起きし、名古屋駅名鉄バスセンターから白川郷に行くバスに乗る。

バスは快適だった。隣がいなかったし、珍しくバスの中でも眠れたし。

白川郷に着く。所要時間3時間10分。

白川郷は合掌造りのお家が集まっている集落である。
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こんなかんじ。まだ雪が結構残っていたが、気候は春だった。

あの合掌造りの家に人が住んでいると思うと胸が熱くなる。
食べ歩きしながら写真を撮り歩く。

夜にはライトアップされるらしい。きっと幻想的なんだろうなあ。
外国の方が多かった。
展望台で座りながら「ここが実家だったらいいかも...」と考えていた。3分後には「実家は東京が1番っ!」と考えていた。そんなもんである。

一通り満喫した僕はバスの行き先を眺めていた。

時刻は13時。
名古屋まで戻って美味しいご飯食べようかな。
でもまた3時間かかるのか...

そんな僕の目に「富山」の文字が留まった。

岐阜県突破して日本海側まで抜けよう。そうしよう。

富山駅前行きのバスに乗る。
所要時間1時間。

バスには計3人しか乗ってなかった。大丈夫なのか....??採算取れるのか....!?

到着。


富山駅前、都会!
イメージよりはるかに都会だった。

バスの中で調べた富山城に行こうと思い、路面電車の行き先を近くにいた女性に聞くと、時間あるから連れて行ってあげる!!
とのこと。

初めて会う人に着いていくのか...
と一瞬思ったが、悪い人の目をしてなかったので、お願いすることに。

りえさん。多分僕より少し年上。
出身は石川県。富山在住。
予定をドタキャンされ時間が余ってたところで僕に声をかけられたらしい。

車で色々連れて行ってくれた。
富山城はしょぼいからやめとき。って言われて却下された。
氷見へ行った。日本海を眺めながらりえさんと色々話した。主に僕の今回の旅について。
りえさんは自分のことをあまり話さない人で、笑いながら僕の話をたくさん聞いてくれた。

ご飯も連れて行ってくれた。マグロ丼。美味しすぎた泣
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肉みたいな見た目。
また食べたい!!!!

そしてりえさんにホテルまで送ってもらって、お別れした。
連絡先など、なんにも交換しなかった。
なんかそういうのが旅のロマンなんじゃないかと思って敢えて交換しなかったんだけど、ちょっと後悔。

お礼の連絡もしたかったし、東京を案内してあげたかった。
可能性はゼロに近いけどまた会えたらいいなあ。

泊まったホテルの宿泊者は裏のスーパー銭湯に無料で入れるので、ゆっくりお風呂に浸かりながら、次の行き先を考えていた。
明後日までに東京に帰ればいいから、明日もう一泊、どこかに泊まろう。

父方の祖父母が新潟に住んでるから、久しぶりに会いに行こうかな、と思った。
親が離婚してから僕の親権はおそらく母親にあり、母方の祖父母の家に住んでいたので、なんとなく父方の祖父母の家には行きづらかった。

高校の時行って以来、13年ぶり。

決めた!今回の旅の最終目的地は新潟!!!!

すぐに祖父母に電話し、行くことを告げ、早めに就寝。

翌日、少し寝坊したが無事チェックアウトし、富山駅から鈍行列車で向かう。
富山と新潟は隣県だし、そんなに遠くないだろ。とたかをくくっていたが、そんなことなかった。新潟は縦に長い。
ぜんっぜん着かない。

所要時間3時間50分。

新潟県長岡市。

13年ぶり。
融雪剤で道が茶色い。人も少ない。

タクシーで家に向かう。少し緊張する。到着。

ドアを開けて中に入る。
少し老けたじいちゃんが顔を出した。

「ともふみ、大きくなったなあ」

部屋に入るとばあちゃんと、親父の妹、叔母さんがいた。

歓迎してくれた。
ばあちゃんは13年前と何も変わらない。
じいちゃんは少し老けた。

今何してるのか、と聞かれ、自分でスタジオを持ったり、音楽の仕事をしてるよ。と言ったが、一同あんまりピンときてなかった。

結婚はまだか、とたくさん言われた。
結婚はまだしないよー!

と言ったら早く結婚せー!早く結婚せーー!!

攻撃が始まった。
正直この時点で少し来たことを後悔していた。

田舎のじいちゃんばあちゃんてこんな感じなのか...

夕飯の時に日本酒を勧められて、飲んでいたら予想以上に疲れが溜まっていたのが、気づいたら寝ていた。

そのまま翌日まで寝ちゃおうと思って、お布団で寝た。

翌朝。東京に帰る朝。

朝ごはんを食べ、僕の姪っ子のDVDを観て、ばあちゃんは、いかにうちの親父が素晴らしい人間か、というのをずっと話していた。

僕の心はもう完全に東京に向いていた。
新幹線の時間が待ち遠しかった。

タクシーを呼び、乗り込む。
じいちゃんばあちゃんと握手をして、最後にばあちゃんが一言。
「早く結婚せー。」



長岡駅でお土産を買い、東京行きの上越新幹線に乗り込む。
大宮まで所要時間1時間10分。

大宮から埼京線に乗った。
たかだか4日くらいしか離れてなかったのに随分久しぶりに感じた。

板橋駅に着いた時点で僕の気持ちはルンルンだった。

高速道路、片道3車線、コンビニたくさん、空気が汚い、じいちゃんばあちゃんがいる。

やっぱり東京が1番好き。

人だらけのこの街が僕のふるさとなんだなあと感じた旅だった。
なにか頑張った日はドクターペッパーを飲みながら帰ることにしてる。美味しい。

自宅のドアを開けた。

旅が終わった。

帰ったらばあちゃんの作る温かいそばを食べようと決めていた。

美味い泣
美味すぎる泣

りえさんと食べたマグロ丼も相当美味しかったけど、ばあちゃんのそばが1番美味しかった。

色々なことがあった5日間だった。
ペンギンレコードを始めて、こうやってまとまった休みを取って旅行することなんてなかった。
音楽からこんなに長いこと離れたのは久しぶりで、新鮮だった。
道中も街の音が聴きたくて音楽は全く聴かなかった。音楽から完全に離れることもたまにはありだなあ。

いい音楽はいい経験から。

素敵な経験ができた。

白川郷で食べたおろし蕎麦がとても辛かったこと。
氷見の海岸でりえさんといろーーんな話をしたこと。
信越線でスマホの充電がきれて絶望したこと。
新潟のじいちゃんばあちゃんが音楽の仕事にピンときてなかったこと。

すごくいい経験だった。
半ば無理やり作った連休だけど、旅してよかった。

こういう経験を胸にしまって、また素敵な音楽を作っていこうと思います。
ペンギンレコード、再開っ!!!!

ながーいブログになってしまった。
最後まで読んでいただきありがとうございます!

次はまた音楽のことを書こうと思います。

みなさん素敵な1週間を過ごしてくださいー!!

ばいばーーい!!

「大人の休日倶楽部」

こんばんは。
ゆでダコペンギンです。
お風呂でブログ書いてます。

今日は音楽仲間といつも行ってる馬肉居酒屋でお酒を飲みました!!
30歳を迎えた僕の最近のブームは、

「飲酒」

です。
大学4年くらいからお酒の量が減り、最近はまったく飲まなかったのですが、
量を間違えなければ自分も楽しく酔っ払える!ということに気づき調子に乗ってお酒飲んでます。

得意技は鍛高譚の水割り。しそ焼酎!!
美味しいし二日酔いしない🐧

またお酒飲むのがたのしみ🍶

今日行った馬肉居酒屋は激安激ウマで最高なので、みなさん一緒に行きましょう。

さあ、今日のブログはタイトル通り、野田洋次郎という人について。

全国にきっと野田洋次郎さんは何人かいると思うが、ここで言う野田洋次郎は日本のロックバンド、「RADWIMPS」のボーカルの野田洋次郎である。

簡潔に結論から言うと、僕は野田洋次郎になりたい。三十路を迎えた今でもぶっちゃけなれると思っている。
という話である。

好きなものについて文章書くのってこんなにワクワクするの!ブログって最高!!!!

僕がRADWIMPSに出会ったのは高校生の頃。

とにかくハマった。

好きな女の子(5回くらい告白して全敗。以前のブログ参照)がラッドを好きだったから。
単純すぎる。高校生なんてこんなもんである。

出てたアルバム2枚、もちろん買った。
ポータブルCDプレーヤーがぶっ壊れるまで聴いた。

そしてメジャーデビューアルバム「RADWIMPS3無人島に持って行き忘れた一枚」が発売され、もう僕は後戻りできなくなっていた。

ボーカル、野田洋次郎の全てに憧れていた。

あの圧倒的な存在感、難しい言葉はそんなに使わず、でも誰も思いつかなかった歌詞、時に優しく、時に攻撃的な歌声。

彼の胸の中で眠りにつきたかった。
彼の愛の言葉を体全身で受け止めたかった。
耳元で優しく「ともふみ、大丈夫?」って囁いて欲しかった。

彼はよくファッションに注目されるが、僕もまず形から入ろうと思って服を真似ることにした。
ロングシャツ、ニット帽、ハット、一通り買い揃えて、ちっさい野田洋次郎が完成した。
友達は少し引いていたが御構い無しに街を練り歩いた。

大学に入学しても熱は冷めなかった。

僕のパートはベースだったので、RADWIMPSのベーシストと同じ、ヤマハの5弦ベースを買った。先輩には「弾けないくせに5弦なんてもってんじゃねーよ!」と言われたが、気分は上々。

自分で作曲をし始めてからは、作る曲全てが「ラッドっぽい」と言われてしまった。
そりゃそうだ、ラッド以外ほとんど聴いてなかったから。

これはまずいと思い、色んな音楽を聴いた。
素敵な音楽がたくさんあったが、ラッドより心に響く音楽はなかった。

自分は野田洋次郎になれると思っていた。
小さい時に「僕はイルカになる!!」と本気で言っていたのと同じような「僕は野田洋次郎になる!」と本気で思っていた。

今はなき横浜BLITZでラッドのライブ後、出待ちをして野田洋次郎と話す機会があった。
「僕もロックバンドで有名になりたいです!!」

と野田洋次郎に話した。

「頑張れよ、まあウチらは抜かされないけど」

と野田洋次郎は僕に話してくれた。

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拝啓野田洋次郎様

僕の人生はあなたがいなかったら大きく変わっていました。
音楽を聴く側から演る側になりたいと思ったのもあなたがいたからです。

ロックインジャパンでRADWIMSと対バンする、という夢はどうやら叶いそうにないけど、フロントマンじゃなくなったけど、30才を越えても楽しく音楽が続けられています。

これからも素敵な音楽を生み出してください。
ラブ。ブッチューーーー!!

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板橋の野田洋次郎にはなれるんじゃないかと思っている。
服装も、あの頃とは少し変わったが、野田洋次郎リスペクトな感じはまだ残っている。

まだ諦めていない。
少なくともイルカ🐬になるよりは野田洋次郎になるほうが難易度は低そうだ。

最近ラッドのメディア露出が多くて嬉しい。
有名になってくれたおかげで新曲もたくさん聴ける。

ラッドの新曲を聴くことが生きる楽しみの1つになっているので、頑張って生きていこうと思う。 

明日はラッドのライブツアーのチケット当落発表。どうか当たってますように。

今回のブログはライトなかんじで終えられた。
こういうのもたまにはいいでしょ(^^)?

みなさんにも心のスター、いますか?

「野田洋次郎という人間。」

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