メジャーデビュー前日のかけがえのない思いを記録しておきたい。そう思ってブログを書き始めた。しかし、「かけがえのない思い」なんてものは、パソコンを開いただけで都合よく現れてはくれない。メジャーデビューするにあたっての感情を言葉にするためには、自分の中に溜まった堆積を一つ一つ剥がしていく必要がある。つまり、過去に遡るということだ。

 20134月に神戸大学に入学した。大した夢などは持ってなかった。関西に行きたい、というより今いるところ(高校までは北九州に住んでいた。ここに住んでいたお陰で曲が沢山できた。)よりも都会に行きたいというのが一番の動機だった。音楽を聴くのもライブに行くのも好きだった俺は迷わず軽音楽部に入った。正直に言うと、そこに「バンドとして食っていく」夢が少しでもあったことは否定できない。大好きな「アジカン」は、大学から軽音を始めたという。音楽雑誌を読み漁ることで、高校の時の俺が手に入れていた知識だった。「アジカン」みたいになれるとは全く思えなかったが、実際のところ、心の奥底では「バンドで食っていく」ことが可能性としてあるんじゃないかと思っていた。あり得るんじゃないかと思っていた。何しろ俺はスーツを着たくなかったのだ。”Gaffe”の<Tell me how to tie a tie>って歌詞は大体そんな意味だ。

 2013年の夏、andymoriのコピーの練習に初めて入った俺はひどく緊張していた。バンドを組むのも初めてならば、スタジオにお金を払っていくのも初めてだったからだ。おまけにメンバーが悪かった。同じ軽音楽部の同回生(関西では同じ学年のことをこう表現する)のandymori好きな同士で組んだバンドだったのだが、ドラムの夢希は聞くところによると中学から軽音をやっているという。スタジオに入ってドラムのセッティングをするのも、さもそれが日常であるかのように、靴を履いたりベルトを通したりすることのようにさらりとこなす。俺は正直、初心者同士の仲良しバンドみたいなものが組みたかったのだ。何でも段階ってもんがある。なのに、何でいきなりこんなずんぐりむっくりの玄人とバンドを組まなきゃいけないんだ。
そして、ベースの田野はいかんせん気味が悪かった。田野はその頃、俺の家に何度も泊まりに来ており、部活の集まりではいつも一緒に入るほど仲が良かった。しかし、スタジオに入ると途端に異様な雰囲気を醸し出していた。まるで、ベースアンプの前だけ何かの手違いで事故物件に接続されているかのようだった。とにかくどこかデコボコなコピーバンドだった。けど、何故かとても馬が合った。バンドってこんなに楽しいものなのか!と感心する瞬間が何度もあった。スタジオも緊張していたのは最初だけで、回を重ねていくごとにずんぐりむっくりの玄人も、どこか掴めないのっぽも案外いいやつだってことが分かった。スタジオに入り、ライブをすることが心からの楽しみになっていった。だから秋頃に、夢希から「このメンバーでオリジナルバンドやろうや」と言われた時は全然不思議じゃなかった。即答で「やる!」と答えたことを今でも覚えている。

 しばらくの間、本当に曲ができなかった。こう書くと深刻に思えるかもしれないが、当時は全然ヘラヘラしており、スタジオに入っては「今日もできなかったな!」と笑い合う日々だった。そもそも、俺たちには曲を作る必要もなければ、「作れなきゃいけない」という地位もなかったのだ。楽器始めて半年、初めて組んだバンドで簡単に曲ができるわけがないという認識が俺たちの中にはうっすらと共有されていたし、一方で、俺たち3人なら世紀の大発明のような曲が作れるんじゃないかという根拠のない期待も共有されていた。3人とも好きなものはバラバラだったが、スタジオの中でテンションが上がる瞬間と、嫌いなものは共有されていた。3人とも「よくあるもの」が嫌いだった。
それでも何となく、自然の成り行きで、ページを開けばそこに書いてあったかのように、俺たちは「リードギターが必要だ」ということを思うようになる。学祭も終わり、季節が冬に変わるタイミングで、田野が絶対あいつがいいというので、同じく同回生の浪越というやつをギターに加えることとなった。

 こいつも曲者だった。その時点で、部活に入り半年以上が経過していたが、俺は浪越とほとんど会話を交わしたことがなかった。とにかく寡黙なやつだった。何かあるたびに、打ち上げで暴れ回っていた俺のことを嫌っていたのかもしれない、と今思い返すと思う。全然喋らないが、ギターの弾き姿には本当にかっこいいものがあった。俺たちの部活にはオーディションというものがあり、それに受からないとライブに出れない(この制度が数々のドラマを生んだ)のだが、オーディションの浪越のギターは他を黙らせる説得力があった。別に、特段上手いわけでもないし、ステージに上がると豹変するタイプじゃないのだが、何故か見てしまう。浪越について語る時俺は「何故か」とか「なんとなく」という言葉を多用してしまう。それは今インタビューを受けるときでもそうだ。理解不能なものほど美しい。

 ともかく、4人になったパノラマパナマタウンは”ロールプレイング”という曲をめでたく完成させることになる。といっても確実にあの頃は「めでたく」といった雰囲気ではなかった。力任せに4人の音を合わせて、それはとてもとても楽しかったのだが、果たしてこれは曲なのか?という大きな疑問符が楽堂(軽音楽部のスタジオは大学の中にあり、「楽堂」と呼ぶ。「音楽堂」の略である。)の上にぷかぷかと浮かんでいた。でも、当時の俺たちはその疑問符すらも面白かった。曲かどうかよくわかんねえけどいいじゃん。かっこいいし。雑に言葉に起こすとこんな感じだ。それから俺たちは”潜水艦”、”世界最後になる歌は”、”犬は飼わない”、”8%”という曲を順に作り(最後の曲などはライブ前1日で作った)初ライブに向かう。初ライブの日付は2014330日心斎橋club vijonKick up my rocks」というイベント。「金玉蹴り上げろ」みたいな意味だった気がする。

 2014年いっぱいまでは、1ヶ月に1,2回コンスタンツにライブする期間が続いた。多く出演していたのは、神戸ART HOUSEと京都VOX HALLVOX HALLのおのまんという人には大変お世話になった。5人で「どうすればフェスに出れるか」「どうすればレーベルと契約できるか」みたいなことを真面目に話し合った。その頃の俺たちはとにかく誰かに認めてもらいたかったのだと思う。もっと多くの人に俺たちの存在を知らしめたかった。
夏にはツアーも出かけた。岩国、天神、北九州の3箇所を3日で回った。俺は一生バンドをやる気でいるが、これから長いバンド人生こんなツアーの組み方は二度としないだろう。誰からも相手にされなかった俺たちと神戸太陽と虎というライブハウスの話は、色んなインタビューで語っているのでここでは割愛するが、俺たちはその年の終わりの1222日、初めて神戸太陽と虎でライブをした。そして、その帰り道4人は同じことを考えていた。「もっと真剣にバンドやってみよう」と。

 2015年、思いもよらなかったことが沢山起きた年だ。「真剣にやろう」と思い立った4人組はまず初の5曲入りデモCDを作った。リリースツアーも回った。長崎、福岡、大阪、神戸、浅草、下北沢、新宿。この時の映像は”パノラマパナマタウンのテーマ”のMVにまとめられている。”ロールプレイング”のMVを撮ったのもこの頃だ。夜通し飲んで、朝方撮影したら、撮影に協力してくれた可愛い後輩たちの財布が盗まれていた。財布だけ抜き取られて、捨てられたリュックサックというのは本当にグロデスクだ。”ロールプレイング”のPVに怨念のようなものが宿っているとしたらそれだ。あのPVには何とか「俺たち」でPVを撮りきろうという20そこらの学生の執念が詰め込まれているのだ。
その、執念を汲み取ってくれたのか、あるいは純粋に曲が良かったのか、”ロールプレイング”がMASH FIGHTのマンスリーセレクションに選ばれましたという通知が来たのもこの頃だ。夢希が勝手に応募していたので、他3人は「MASH」のマの字も知らなかった。姉ちゃんが知らないうちに応募していて、オーディションを通過したアイドルはこんな気持ちなのかと推測した。
315日、切手くらいの大きさの俺たちの写真が載った「MUSICA」が発売された。ゲーセンで撮ったふざけたアー写(新開地で撮影した)とお偉い人たちの俺らに対する真面目な論評との対比が妙に面白くて、4人でゲラゲラ笑ったのを覚えている。発売日、俺たちは部活の同回生の旅行で江ノ島に来ていた。みんなが電車を待ってる間、俺と田野で鎌倉の本屋にダッシュした。そこに並べられた雑誌には確かに俺たちが掲載されていた。鎌倉に来るのも初めてだというのに。割り勘して2人で買った「MUSICA」を旅館に戻ってみんなで読む。「すげー」「まじかー」という言葉の往来。思い返すとあれは、「どこまでもいけそう」という青空のような期待と、「どうなるのかしら」という曇天のような不安が同時に顔を出した初めての瞬間だったかもしれない。そして、この何とも言えない混沌とした天気はこの後、俺たちの中に何度も渦巻くこととなる。

 81日「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」本当に夢の舞台だった。映像を観てもらえばわかるが俺たち4人はかなり緊張していた。しかし、緊張を上回るほどの喜びがそこにはあった。5月ごろから7月にかけて残り500組、残り何十組、入賞という連絡が順番に来て、気づけば「優勝」していた。優勝を聞かされた時、俺たちは浪越以外の3人で自主企画で入場者にプレゼントするチェキの撮影をしていた。いつも来るお客さんも2,3人しかいない俺たちのどこにそんな需要があったのかわからないが、ふざけながらも「どこで撮影をしよう」とかそういった段取りを真面目にこなしていた。
信号待ち、ふと携帯を見ると知らない番号からの着信があった。3人とも顔を見合わせた。「優勝」が告げられるとするなら、それは知らない番号からやって来るだろうというどこからきたか分からない確信が俺たちの間にはあったからだ。電話に出る。開口一番に「パノラマパナマタウン、RO69JACK優勝です」と告げられる。うおおおお!すぐにでもビールかけの会場をセッティングして欲しかった。田野も夢希も今まで見たことないような顔をしていた。浪越にはすぐにLINEで伝えた。彼は酷なことに、どうしても休めない講義を受けている最中だった。雄叫びを上げるほど嬉しいことというのは、人生で数える程しかないと思うが、その瞬間に大講堂に座っていたというのは非常に残念なことだ。
フェスが終わり何日か経っても、あそこに立っていたという事実の余韻が、歯医者の後になかなか抜けない麻酔のようにジーンと残っていた。そして、俺たちの中には何か「無敵感」のようなものが芽生え始めていた。俺たちが一番かっこいいことをやってる。他とはまるで違う。どんなオーディションでも必ず勝ち抜くだろう。マリオカートでスターをとった時の感覚、と言えば同じくらいの年齢の人には分かってもらえると思う。レインボーロードなどでは、スターをとってスピードが上がった時こそ、コースから落ちないように気をつけなくてはならない。そして、そのスターの効果音が流れるままに、俺たちはMASH FIGHTセミファイナルへと向かうこととなる。

 MASH FIGHTはマンスリーで選ばれたバンドの中からセミファイナルに進出するバンドが決まる。そして、セミファイナルの優勝者とその後のマンスリーで選ばれたバンド、計6バンドでファイナルが行われる。(今はちょっとスケジュールが違うが。)ファイナルの優勝者は事務所「MASH A&R」と契約し、音源やライブをサポートしてもらえるようになる。820日新代田FEVER、俺たちはMASH FIGHTセミファイナルで15分のライブをした。セトリは、RIJFと同じもの。しかし、その日やったライブよりも格段に良かったように思う。俺たちには自信があった。それは、フェスに出て獲得したものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
結果は、セミファイナル優勝。ファイナルへの進出権をもらった。打ち上げには、偉い人や有名な人が沢山いた。俺たちは、スクランブル交差点の真ん中で写真を撮る外国人のように、好奇心たっぷりに周りを見渡しビールを飲んでいた。どうやら、俺たちは「アジカン」がそうだったように、バンドで食ってく人生の方に駒を進めているらしかった。敢えて伝聞にしたのは、メンバーそれぞれがどう思っているかこの時点では分からなかったからだ。FEVERを出て、駅の近くのラーメンを食べ、電車に乗ってる間、4人はそれぞれ人生のことについて考えていたと思う。けど、それは確かな言葉として表には出てこなかった。当時20歳、神戸大学3回生。「バンドやるよな?」って台詞はそんなに軽いものじゃなかった。

 4人の中にあったモヤモヤを最初に言葉にしたのは、田野だった。セミファイナルからちょっと経って、ある晴れた日の工学部前のベンチで。「4人ともバンドをやる意思があるのかここで確認したい」詳細な台詞は覚えてないけど、確かそういう内容だったと思う。知恵の輪が外れる瞬間みたいに、モヤモヤが晴れる瞬間というのはあっけない。4人ともバンドを生涯続けたいと思っていたのだ。今まで言葉にしなかっただけで、話はすぐにまとまった。
MASH FIGHT優勝したらバンドを続けよう。この4人でやろう。優勝しなかったら。それは、」その続きについては話さなかった。とにかく、その日を境に4人で入る練習が変わった。楽堂の中で俺たちは何回も何回も「MASH FIGHTファイナル」をやった。ひたむきな練習を続けるにつれて、色んなことが変わった。それまで大学の友達だった3人は、一生を共にする3人へと変わった。そして、何よりも一番大きなことは「優勝したい」という思いが心から強くなっていったことだ。

  ファイナルを終えてから渋谷駅前の安い居酒屋で4人で乾杯したこと。ファイナル当日は虫歯が痛すぎて、鹿野さんの話も上の空だったこと。ファイナルの日、軽音楽部のみんなは大阪で定期演奏会をやっており、ネットを通じて俺たちに投票してくれていたと後から聞いたこと。色んな話があるけど、ここからの話は何かしらの媒体で話してきたはずなので、ここでは省略する。それから、俺たちは3枚のミニアルバムをリリースした。簡単に書こうとすれば、バンドの歴史なんて1行で終わってしまう。

 こうして書いてきたことの全てが、メジャーデビューする明日に向けて起きたことである。明日、俺たちは『PANORAMADDICTION』というミニアルバムをリリースする。4年前に作った”ロールプレイング”や”パノラマパナマタウンのテーマ”も収録される。半年かけて作った大事な曲”フカンショウ”や初のアニメタイアップとなった”ラプチャー”も収録される。どうしても出たかった地元福岡北九州を歌った”街のあかり”や浪越が持ってきた”マジカルケミカル”も収録される。相当自信作だ。俺たちのメジャーデビューミニアルバムとして最高の出来だ。それについては、割愛された何年かの過去の話を聞いてほしい。
大切なことは、こうして書いてきたことの全てが、明日の「ための」ことではないということだ。何回も言うけど、メジャーデビューは過程だ。俺たち4人のそれぞれの過去が放つ光は、決して明日を焦点に結ばれない。その更に先を見据えている。4年前”ロールプレイング”が完成した瞬間、楽堂の天井にプカプカ浮かんでいた疑問符は、解決されないまま今も東京の4人の家の天井にプカプカと浮かんでいる。永遠に解決されない問いを持ち続けられるから、バンドってのは最高だ。

 メジャーデビューを目前にした「かけがえのない思い」なんてものがあるのかは未だに疑問だけど、これだけの文章を書くきっかけになり得るだけの力を持っている日だと言うことは確かだ。明日だけは、これまでの過去は全部今日のためにあったって思い込んで生きてみようかな。明後日から始まる、青空のような未来に備えて。

岩渕 想太(Vo&Gt) 

です。
パノラマパナマタウン、ベースのタノ アキヒコです。

いよいよ明後日。
2018年1月17日が『PANORAMADDICTION』の発売日。
パノラマパナマタウンがメジャーデビューする日。

バンドをやり始めた高校生の時は全く知らなかった、てか、想像もつかなかったけど、レコーディングをしてからリリースまでの間ってとっても長い。ナイル川くらい長い。慣れない。

なんでそんなに長くなるかっていうと、星の数ほどあるCDの中から俺らのCDを手に取ってもらうために音以外の面にも超こだわるから。分かりやすいところでいうとジャケットとか。

今回のジャケットは写真。撮影はハロウィンの渋谷の夜だった。クソ寒い中、ポップコーンを俺らに投げつけては箒で掃除し続けてくれたチームの皆さん、本当にありがとうございました。
あと、撮影場所付近でなんのコスプレか分かんないけど超薄着でミニスカのコスプレして座ってた男2人のことは忘れないな。寒かっただろうな。

クリエイトとクリエイトの衝突、化学反応。
構図、衣服、瞬間を切り取るレンズ、加工。ポップコーン。
音と生身の人間と人生。
すべてが合わさって、妥協がひとつもない最高の作品ができた。手に取って音と一緒に隅々まで感じてほしい。

そういうレコーディングの後の作業もすごいたのしかった!でももどかしさもすごかった!
一刻もはやく聴いてほしいっていうもどかしさ。
やっと解放だ。明日はフラゲ日だから明日からこのもどかしさとはオサラバ。

あくまでオサラバできるのは"この"もどかしさね!
というのも、今も、次にやりたいことがどんどん湧いてるの!それを形にして届けるのがまた難しい!またもどかしい!!
でも!その試行錯誤がこのうえなく楽しい!夢中だ!!
バンドはもどかしい人生だ。でも自分にとっては幸せな人生だ。

まだ!終わらない!
ここからが本題!
頭が重くなりすぎた。メジャーデビュー2日前の男だと思って大目にみて

『PANORAMADDICTION』が俺にとってどんなアルバムかを書きたい。

今回の『PANORAMADDICTION』というアルバムには聴く人をパノラマパナマタウンの中毒にしてやるって想いを込めた。

ADDICTION=中毒。あと真ん中にはMADが隠れている(これは俺が勝手に言ってる。MADって単語が好き)
中毒というと少し怖いイメージかもだけど、夢中にさせたいという気持ちでいっぱい。全然怖くない

音楽を聴いて、なんか分かんないけどこの曲好きだ!ヤバイ!ってなった時ってめっちゃ幸せじゃない?めっちゃテンションあがるくない?めっちゃ馬鹿になってない??
俺はそうなる瞬間に何にも代え難い幸せを感じる!
そんな瞬間を求めた曲を6曲詰め込んだ。

純粋に聴かれるために作った音楽。
借りてきた難しい言葉なんかで語られたくないし、はぐらかされたくないし、好きか嫌いかをぶつけられたい。売れる・売れないとかそんな空気の話はつまんない奴らに任せておいて、俺らがやりたいことを全部ぶちまけた曲たちをその音と言葉で感じて欲しい。てか嫌でも感じさせるアルバムをつくったの!こっちは本気。超本気の馬鹿だ。期待してる。
すごく刺激的で楽しいと思うよ

以上。聴いたら一発!なことを長い文章にしてみました。

馬鹿になって夢中になった人達が感度100%で聴いてくれたらいいな。そんでライブで純度100%の感情をぶつけて、ぶつけられたいな

明日はフラゲ日。
暖房からは冷気が出ている。

タノ アキヒコ(Ba) 

自分の視点でこのアルバムについて振り返ってみます。割と感想ばかりですが。


パノラマパナマタウンのテーマ

もはやいつ出来たのか、だれが作ったのか。岩渕が本当に作ったのか。(岩渕が本当に作ったんだけど)様々な疑問が出るぐらいこの曲が出来た当時の事を覚えてない。笑
なんて薄情な奴なんだとか言わないでほしいのですが、、、それぐらいもう最初からあった感のある曲です。正直な話、当時はここまで大切な曲になるなんて思ってなかったです。"パノラマパナマタウンのテーマ"とか言っちゃってるくせに。笑
でもライブでやっていくうちに段々と俺たち四人とこの曲のグルーブ感が高まってきて、本当にテーマ曲だって思えるようになったの。何も考えずにバンドやってたから、いざ曲と真剣に向き合うようになって、やっとこの曲と真のコミュニケーションが取れるようになったのね。あぁこの曲はこういうことか!ってすげぇ理解できて、今はバンドと切っても切れぬ一体感のある曲だと思ってます。そんな今現在のグルーブ感を切り取った大変素晴らしいテイクが収録されていますので、要要チェケチェケです。適当に俺が撮影したムービー使って作った昔のMVも懐かしいし、エモくなるぜ。また長崎行ってちゃんぽん食いたい。

フカンショウ

この曲は苦労した!!!と思う。やっぱりメジャーデビューを飾るに相応しい曲なんてそう簡単には出来ないね〜。そこのハードルがバンドにあったし、(自分自身で課したハードルではあるが)バンドの雰囲気も良くなかったしな〜。でも沢山試行錯誤して、結果パノラマパナマタウンのことを見つめ直せました。この曲を作る過程というのは、本当に有意義な時間になりましたね。バンドは自分達で曲を作るしかなくて、誰も作ってはくれないんだよね。もちろん色々なアドバイス等はもらえるけど、0から1にする作業は自分達でするしかない。しかも自分達が作ったモノの世界で話は続いていくわけですよ。それこそさっきの”パノラマパナマタウンのテーマ”がポッと出てくれたから今のパノラマパナマタウンは逆に存在し得ているわけですよ。バンドマジ宇宙卍説。その宇宙でマジもがき続ける感じです。自分で宇宙作ったのに。笑
その中で一個光になった星がラプチャーなのですが、まぁそれは置いといて。そんな状況でもがきながら産み出した最高の曲だと思ってます。

マジカルケミカル

基本は浪越の曲ですね。珍しく。やっぱり浪越の曲は浪越ぽいんですよね。実は岩渕と浪越の違いをデモの段階ですごく感じます。でもバンドで調理するとパノパナ風に両方仕上がります。不思議なもんですね〜バンドは。自分にとってこの曲は普段やらないチャキチャキドラム曲という認識で、単純だけどぶち上がれるというゴリゴリ質感系曲です。単純なんだけど色々ビートが変わって実は大変だっていう曲でもあります。じゃあどっちなんだい!ていう感じではありますが、ぶち上がってくれたらオーケーオーケーです。この曲はアルバムの中で最後?に出来た曲なので、比較的バンドの雰囲気が明るくなってきたタイミング(アルバムの完成が見えてきて調子出てきた時)に仕上がりました。おかげさまで、曲も明るいです。


ラプチャー

このアルバムに先駆けて配信された曲で、制作タイミングとしても、この曲が先行しました。アニメ十二大戦のタイアップのお話をいただいて、じゃあ曲を提出してくださいってなり、何曲か原案のデモを提出して、その中でアニメサイド的にこの曲の雰囲気が良いということで、じゃあこの感じでいきましょうとなってスタートした曲でした。自分達にとって初めてのタイアップ曲になったのですが、誰かのために、何かのために曲を作ったこともなかったので、これはどうしたものか。それからなかなか曲が仕上がらず苦労しました。でも、結局開き直ってやりたいようにやってやろう、好きな感じで作っちゃえ、と思考を切り替えた時に一気に完成まで行っちゃいました。おかげさまで曲自体は結構自分達の好きなコアなものを入れているので、こんなにアニメのファンの方々に受け入れられるなんて正直驚きました。タイアップ曲だけど結構攻めた曲だと思ってます。ふっきれたことで生まれたカッコいい曲です。この出来事はやはりフカンショウにつながっていると思います。


街の明かり

これは岩渕の地元を歌った曲です。実は僕たち福岡でライブする度に岩渕の実家に宿泊させてもらっています。だから本当になんか良くわかる。わかるって言っても所詮他の土地からやってきた人間のわかるですが、それでもすごくわかる気にさせてくれる曲です。わかる気になるのは、地元の人間の生の声つまり岩渕本人とご両親とコミュニケーションをとったからこその感覚なのかもしれないし、直接岩渕本人の昔話を聞いているからかもしれませんが。あとは自分にも自分の地元があるし、自分の地元のことを思い出します。自分の地元と照らし合わせながら聴いてみるのも良いと思います。この曲から一番伝わるのが地元に対する愛だと自分は思いました。そんな感覚をドラムに込めて叩きました。この曲もいいテイクになりました。ナイスシャッフル!


ロールプレイング

このアルバムにおいて、最もエモくてカッコイイのがこの曲です。”街の明かり”からの流れが演出している所もありますが、僕たちが育てて来たこの曲への解釈や愛情がこのテイクには詰め込まれてます。初めて作った大切な曲を今回のメジャーデビューに合わせて遂に収録いたしました。ロールプレイングがパノラマパナマタウンでありパノラマパナマタウンがロールプレイングである。そういう感覚が自分達にはあって、立ち帰れる最初のポイントであり、ここから他の曲たちは派生していったんだと思います。僕たちが大切にしているものが、応援してくれてるみなさまにとっても大切なものになったら良いなと思います。ここからパノラマパナマタウンは始まったんだなって思って聴いてください。伝わるものがあると思ってます。

田村 夢希 

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