音楽は変化するのか?

一度レコーディングされてデータとして記録された音楽はどれだけ時が経っても何があっても変わらない。と思ってる。
record=記録 だから
その音楽の持つその瞬間の姿がそのまま記録されて永遠に残るのだ。

しかし、一生変わらないはずの音楽がなんだかいつもと違って聞こえる。昔好きじゃなかった音楽が今は好き。とか
そういうことは割とよくある。
不思議。記録されてるデータなのに記録された音楽は変わらないのなら変わったのは自分なんだろうと思う。

生きていく過程で人それぞれ色々な人に会って、色々な経験をして環境も変わって
そういった一つ一つの要素が自分になるのだから、いつでも同じ自分なんてことはないだろう。
感覚だって変わって当然。噂によると味覚も二十歳過ぎたら変わるらしい。
実際、嫌いだった牡蠣の食べ放題にも嬉々として金を落としたりもする。
聴く時のシチュエーション、心境、年齢、時代、そんな諸々の自分の要素で
聞こえ方が変わる音楽ってすごく不思議ですごくロマンがあると思わないかい?
たった数分間のデータで自分の変化に気づかされるなんて

また一方で、聴くたびに特定のなにかが蘇る音楽もある。
人生の色んな場面で聴いてきた音楽。一緒に育ってきたかのような音楽。特別な瞬間を共にした音楽。
そんな音楽には無意識のうちに記憶、情景、感情がrecord=記録されると思ってる。
記録された音楽に更に記録された音楽は自分だけの特別な音楽に違いない。自分とリンクした音楽。
特別な音楽が増えてきたことにふと気づいて、なんだかんだ色々あって生きてきたんだなあなんて思ったりもする。


どちらの音楽も生活を人生を彩ってくれるし、より良いものにしてくれると思う。
音楽なんてなくても生きれるって言われたらそりゃそうだけど、ただ生きるために生きてるわけでもないだろ


自分で音楽をレコーディングする立場になって想うことは、自分たちのある瞬間を記録した音楽を聴いた人が何を感じて、何をみて、欲を言えば何を記録してくれるんだろうってこと。
すごくワクワクする。

 そういう想いでレコーディングした『$UJI』という曲を6/10にリリースした。
すごくワクワクする。


 次は、変化する音楽の話。
そう。音楽は変化する。

レコーディングされた音楽ってのは変わらないけど、レコーディングされた後もその音楽本体は変わり続けるのだ。続くのだ。
その音楽が演奏され続ける限り。バンドが続く限り。
当たり前かもしんないけど、そんなことを強く思ったのがこの前のUNITとVARIT.のワンマン。
昔の曲もずっとやってなかった曲もたくさんやって、
スタジオで4人で久しぶりに合わせた時も俺は驚いた。変わった!!

4人の空気感、自分の演奏してる時の感情、曲そのものの表情ってこんなにも変わるんだ
ステージでももちろん
自分らも変わる、聴いてくれる観てくれるお客さんも毎日生きて変わっていくんだ。
音楽はどんどん変わる。
いつでも刺激し合って、変わり続ける音楽の一瞬一瞬を楽しめる場がライブであればいいなと思う。

パノラマパナマタウンの音楽を聴いてくれる、ライブに来てくれるみなさんには本当に感謝してる。


夏が始まってる。これからもご期待あれ

音楽、バンド楽しいよ

タノ アキヒコ

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先日$UJIという新曲がリリースされました。曲のテーマは「数字」です。そのまんまです。

新曲™$UJI”にちなんでドラム田村の数字に対する考えを少しここで書いてみます。

数字は毎日毎日至る所で目にするし使用する。人間、数字が大好きだ。理由もある。

数字は客観性がある上に便利だ。
数値により事実を的確に伝達できる。

100円と言われたら100円だし。
気温が30度と言われたら気温は30度だ。

そのまんま。分かりやすい。間違いがない。


面白い使い方もできる。

気分はマイナスプラスで表現できるし、数字が0から離れれば離れるほど度合いが強くなる表現もできる。

今の気分は-99です。今の気分は4です。
逆に-99とか言っちゃう方が気分良さそうだな。。。

この映画どう? うーん0!!!

これは可もなく不可もなく?いや、あり得ないという意味?
ナンジャラホイ。


しかし、これはルールを決めておけばいい話。


範囲を-100〜100に設定すると-99<4という事実になるし、
%で言うと?と聞くと50%と返ってくるかもしれない。
背番号があれば名前と顔がわからなくてもその選手を認識できる。
誰が点決めたの?  青いチームの9番だよ! あーね。

やっぱ超便利。

しかし時に数字は残酷だ。

たかし君のIQは40だけど、ゆうこさんのIQは130です。

そんなこと聞かされて、たかし君どうしたらいいの…
日本VSベルギーは2対3です。日本の負けです。
日本は気持ちでは負けてなかった!!!いい試合した!!!
こうやって考えてみるとすごく嫌になる。

事実を突きつけられたり、正論を真っ向から振りかざされても、はい、そうですね。とは人間ならない。

いやいやわかってるよ!わかってるけど...そうじゃないんだ。。。

そんなことはお前に言われなくてもわかってるよ激怒

感情は捨てろ。事実だけを見ろ。
そりゃ無理でっしゃろまんがな

そう言った場面で俺は自分の中に何かしらの感情が出てこないことはまずない。

むしろその感情を大切にしないといけない。

数字を叩きつけられた時に、湧き上がる感情。

クッソオオオ悔しい。

次は負けないぞ。

やったー嬉しい。

うーん微妙だ。


この感情が前を向いて自分を突き動かす情熱になる。
淡々と数字だけを見て無感情で次の行動へ移行するなんてロボットですか。。。

数字が悪いものだとは思わないし、むしろ便利だと思っている。
数字はちゃんと受け止める必要がある。事実は事実。


でもそこで生まれた感情を押し殺すことだけはするなよ!!!

自分が死ぬ。誰も報われない。

たかし君に明るい未来を!


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パノラマパナマタウンは
散々「熱狂、熱狂」と言っている、しまいに熱狂中毒!熱狂中毒!とツアー名にした。
熱が狂うと書いて熱狂。熱狂とは一体なんなのだろうか?
今回は熱狂の話。あくまで俺の熱狂の話。

俺が熱狂していると言えるのはいつだろうか?
当然だけど、熱狂している時、「今!なんか!俺!すげー熱狂してる!!」とは思っていないはず。それってすごく嘘くさいもの
 
でも、逆に「今、熱狂してないな…」って時は確実に多々多々タタある。タが多い。数え切れない。
特にそれは、自分で自分を監視しちゃって、
これを言ったら、こう振舞ったらどう思われるだろうか、嫌われるんじゃないかとか思ってる時。
自分にリミッターをかけちゃってる時。

そうじゃない時の自分、例えば
喧嘩になっても、嫌われてもいいからホンネで喋ってる自分や
周りからどう思われるとか気にせず好きな格好で気分良く街歩いてる自分は
「自分」であって、なんだか熱狂ととても相性がいいんじゃないかと思う。
やりたいことをやるのは一番健全。
でも、会社とか学校とかじゃそう上手くはいかないよね。わかるし、リミッターは思ってるよりたくさん潜んでる。

俺も日常の中で熱狂してるって言い切れる時なんて滅多にないし、監視者の自分に見張られて息苦しい時も結構ある。
そんな日常を送りながらも、俺は熱狂していると言い切りたい時はステージの上でライブをしている時だ。

ライブ中にどうしても言葉にできないキモチが沸く時がある。
あのキモチは、感動?興奮?多幸感?
近そうな単語を並べてみてもどうもピンとこないし、ライブが終わったあとに思い出そうとしてもうまくいかないけど、
俺が俺であるためにとてもとても大事な宝のようなキモチだ。
だからこそ、そのキモチが沸いた瞬間こそ俺の熱狂なのだと今は言っていたい。
スタジオで4人で音出してる時もとても楽しいんだけど、
これは4人の熱に更にお客さんの熱が加わって沸騰した会場でしか味わえないと思う。
会場全体の熱がステージ、客席関係なくそこらじゅうのリミッターをぶっ壊してくれてるんだと最近思う。
だからライブはやめられない。中毒だ。

6/9   代官山UNITで
6/17 神戸VARITで


大好きな音楽を、やりたい音楽を好きなだけやるんで
一人一人好き放題やってください。一人一人の「自分」と熱をください。

タノ アキヒコ


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