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パトロール中のお猫様に遭遇した🐈

近所でよく見かける彼女。
すこし接近して
「あなたのおうちはそこじゃないね?」
とたずねたら、
「ちょっと確認してただけよ」
って、
また道を歩いていった。
彼女のほうがもう、先輩かもなあ…





自分の人生の
どの辺まで生きてきたのかわからないけれど、
ガムシャラに生きた時間があまりに少なかったと
反省している。

いま、わたしは、マイナスいくつなんだろう。
数値化されたら、恐ろしい。

もちろん、がんばった日々もあった。
学生時代も、社会人になってからも。
幼少時さえ、なにかをがんばってた気がする。

なのにとつぜん、がんばれなくなった。

転落は、はやかった。
どこかで、指をかけたかった…
“社会”というものに。
ううん、そんなふうに当時は思えなかったから
ここまで堕ちたんだ。

恥ずかしいけれど、
わたしはいま、人生の最底辺にいると思う。
なにもがんばらなかった日々が、
いま重くのしかかっている。



でも…

死ぬ勇気なんてないし、
いま死ぬことは恥でしかない気がする。

まだやり直せるだろうか?
社会と繋がれるだろうか?
本当の意味で、“生きる”ことができるだろうか。


誰も見ていないこの狭い場所で、
わたしは目標を掲げたい。


9月、わたしは社会と繋がりを持つ。
くじけたら、それはその時。
せめて一度は、必ず、繋がってみせる。

2020年までに
“生きる”を感じられる生活を取り戻す。

そして、これが、
今日、というかここ数日ずっと考えていた、
人生の目標。

わたしは、死ぬまでに、
人生をプラマイゼロにする!
この情けない、恥じることしかできない人生を、
死ぬまでに清算したい。

それが、わたしにできる唯一の親孝行、
家族孝行なんじゃないだろうか。

死に恥をさらしたくない。
なにも残せなくていい。
だからせめて、
生きて、清算したい。



わたしの願い。
わたしの決意。

どうか…やり遂げられますように。
神さまがいるかはわからない。
月に、誓おう🌚











「花火」
さいきんよくSNSで見かけるから、
つい、想い出にひっぱられた。


小さいころ、地元の夏祭りで見た花火は、
捻くれたあたしの目には
とても"大輪"には見えなくて…

育った町の小ささを思い知る材料でしかなかった。

花火を上げるのに協賛があることも知らず、
なぜ大人たちが花火を見ながらあれやこれやと話すのか、
新聞の広告を熱心に見入るのか、
そんなこともわからなかったし、
どうでもよかった。

むしろ、ほかの町より小規模な地元の花火大会が、恥ずかしかった。



高校生のときに留学して、
留学先のホストファミリーと旅行に出かけ、
ナイアガラの滝の近くで花火を見た。

絶え間なく打ち上げられる花火たち。
そこには情緒なんてなくて…
一瞬で、全部が終わった。
あっけにとられて、終わった。
派手だな…
としか思わなかったけれど、
Momの笑顔が花火以上に明るくて、
そこに居られることが嬉しかった。



大学生になると、
宿舎の屋上からみんなで花火を見る、
なんて青春ぽい経験もした。

大学の近くの町の花火大会はとても有名で、
色とりどりの花火があがった。
でも、"すぐそこ"じゃなかったから、
花火は遠くに小さく見えた。

花火って、遠くから見たら小さいんだ。
そんな当たり前のことを感じたけれど、
なにぶんにも青春真っ只中、
ほかのことに気を取られていて、
花火のことはあまり覚えていない。



帰省したとき、
小さな姪っ子の手を引いて、
お母さんの車に乗って、
隣の隣の隣町くらいまで花火を見に行った。

たぶん、そこが、そのときのわたしの限界だった。
いちばん大きな花火を見る、限界。
地元より、ほんのすこし大きな花火。
ほんのすこし、たくさんの打ち上げ花火。

ほんのすこししか規模は変わらなかったけど、
それでも、
大きな花火を、
まだ小さな姪っ子に、
見せたかった。

まだ2歳の姪っ子は、
打ち上げ花火の大きな音に驚いて、
泣き出してしまった。
フィナーレまで見ることなく、
家路についた。



仕事を始めてからは、
どんな花火を見たっけ?

会社の屋上からも、花火見たなあ。
同じ日に、あっちでもこっちでも花火大会があって、
屋上から、いろんな方角を見て、
遠くの町々の(小さな)花火に一息ついた。
あれは、何町のあたりだよ、とか、
そういえば今日は何市の花火大会だっけ、
なんて話を同僚としたっけな。



単体の短い花火で言えば…
野球の試合を観に行っても、
打ち上げ花火が見られたりする。
ホームランが出ると上がる花火、
試合に勝つと上がる花火。

恋人と見上げる花火は、
そんな想い出が多いかも。



ある女性アーティストを応援していて、
彼女のビラ配りを手伝ったこともあったっけ。
夏に人が集まる場所=花火大会、ってことで、
会場近くの駅から会場まで歩きながら、
ビラ配りをした。
その日のために慣れない浴衣を着込んだ女の子たちに向けて、
ビラには絆創膏を付けてわたした。
「ありがとう」って笑ってくれた女の子たち。
可愛かったな。

ビラ配りのあとは、
仲間たちと花火を見ながらラムネで乾杯♪
河川敷の草むらに寝っ転がってたら、
蝉やら蝙蝠やらがびゅんびゅん飛んでて…
びっくりした!
東京も、田舎なんだなって思った。

びっくりしながらも、
寝っ転がりついでに人文字作って遊んだりして…
帰りは有名プロデューサーさんの車で
みんなで都心まで送ってもらって、
なんだか、楽しい想い出だった。

いちばん、ふわふわ、
楽しい気分で見た花火大会だったかも。



別のアーティストがお祭りで歌うときいて、
沖縄の宜野座村まで観に行ったこともあったっけ。
小さな村祭りなのに、
バンド編成のライブにテンションぶち上がり⤴︎
ライブの後は、
打ち上げ花火もすこし上がって…

まったく知らない村のまつりで、
馴染みのない料理の匂いに包まれて、
でも音楽に心を満たされて見る花火は、
特別だった。
小さかったけどね。



東京にいて、
テレビで隅田川の花火大会を観たけれど
なんの感動もなかったな。

それより、
どこかで打ち上げられている花火の音が聞こえてきたり、
どこかの花火大会に行くであろう浴衣姿の女の子たちが地下鉄に乗ってたり…
そっちのほうが、
画面越しの花火より情緒を感じた。



今年はまだ、ちゃんと花火を見てない。
"ちゃんと"なんて、
毎年見ようともしていないけれど…





偶然どこかで、
花火を見上げることがあるのかな。

そのとき、
わたしの隣には誰がいるのかな。
たいせつな人、だろうか。




きっとまだ、
あたしの頭の中に眠ったままの
花火の記憶があるはずだ。
花火の想い出があるはずだ。

誰かと見た花火、だろうか。
ことしは、一人だろうか。





花火の想い出、できるかな…













自分を、消したい。

かつてないほど、いま、
そう感じている。

死ぬのとは、違う。

存在を、消し去ってしまいたい。



いまわたしが死んだら、

幾人かは哀しんでくれるだろう。
多くは呆れるだろう。
気づかぬ人もいるだろう。

いずれにしても、

あとに残るものは、
「負」でしかない。



ならば、

跡形もなく、
存在ごと消えてしまいたい。

なかったことに、
在ってなかったことに、
してほしい。

わたしなど、
存在しなかったと。




それくらいの透明度で、

消えてしまいたい…







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