月別アーカイブ / 2019年02月

一浪の時に受けたのは順に



東京造形大学







多摩美術大学







武蔵野美術大学







東京藝大



だった。







今でも東京造形大学実技試験の時の緊張は忘れない。心臓が脈打つ音が耳からずっと聞こえていた。試験時間は6時間、終始喉はカラカラで、体はずっと熱っぽかった。



4時間を過ぎたあたりで、作品の全体像が見えてきたことで、少しだけ緊張の糸がほぐれた。



ふぅっと意識的に息を吐き出したら、遠くで誰かが咳き込むのが聞こえた。



堰を切ったように、あちらでもこちらでも受験生が咳き込み始める。



あぁ、皆自分の中での一段落のタイミングなのだな、そう感じて周りを初めて見渡した。



無根拠な自信家はこの時に何となく「あぁ、大丈夫そうだな」



そう感じたのを覚えている。



クールダウンのように作品の細部を調整し、試験を終えた。



東京造形は鬱蒼とした林に囲まれた陸の孤島のような場所にある。



帰りのバスに乗り、ここに通うのは大変だなぁ、、



などと既に受かった気で通学の心配などをしていた。







結果は合格だった。







造形大は当時私立美大の中では最も難関とされる大学だった。



故にお調子ものの僕は続く多摩美、武蔵美の試験はほとんど緊張感もなく、普段話もしない同じ塾の生徒を見つけては励ましに余念がなかった。



全くもって余計なお世話この上ない。







多摩美が私大では第1志望。



造形と試験傾向が似ているので、本人は余裕しゃくしゃくで、続く武蔵美の試験はほとんど本人の中では遊び感覚だった。







結果発表は予備校でも張り出される。



私大の試験を受け終えて既に塾全体は藝大対策モード。一次試験のデッサン対策中にアナウンスで結果の発表がロビーに張りだされたと知り鉛筆を置いた。



発表の順も多摩美、2日後に武蔵美といった並びで、先ずは最も自信のあった多摩美の発表。



悲喜交々の掲示板の前に余裕しゃくしゃくで立つ僕



「…あれ?」 自分の受験番号が見当たらない…







一瞬の思考停止の後、すっと血の気が引くのを感じた。







造形大の合格で無用な自信を身につけた僕は、闘病中の父親に、少しでもの孝行をと、造形大の仮押さえ用の入学金を振り込んでいなかったのだ。振込み期限は2日前に既に過ぎている…







勝って兜の緒を締めよ







この時程自分に↑の言葉を聞かせてやりたい事はない。







全くやる気なく受けた武蔵美は、自分の中では絶望的だった。



武蔵美に受からなければ、あとは藝大だけ、、



当時の藝大の倍率はおおよそ40倍、運も味方につけない限り合格は難しい…







その後の2日間をよく覚えていないのは過度な緊張で僕の深層心理が記憶を闇に葬ったのかもしれない。







2日後、



武蔵美の結果は、



合格だった。



後で知ったのだが、多摩美の実技試験の点数はたったの10点。300点満点の10点である、、一体僕は試験で何をしたのか…







そして武蔵美に関しても、実技試験満点300点のうち僕は180点だった。



実技の点数としてはなかなかにお粗末で、不合格でも不思議では無いものだった。



合否を分けたのは、通勤電車で揉みくちゃにされながら身につけた一般科目の点数だった。己の過信で第1志望に落ち、己の積み重ねで何とか美大に滑り込んだ。



美大志望の皆様におかれましては、何卒一般科目の勉強を強くお勧めいたします…笑



つづく




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ある画家の僕物語






画家になる事を決意したのは大学に入ってからだ。






浪人生活が始まると時を同じくして始まった父親の闘病生活。






父の入院する直前のわずか1年足らずで祖父、祖母を半年ごとに亡くしたことで、近親者の死にどこか慣れてしまっていた僕は、当時、覚悟というよりは父の死を既に受け入れていたようにも思う。






それがいつか、はともかくとして、必ず起こる事実として自分の中に常にあったせいか、浪人時代から、特に華やかな学生生活という事を夢みたりは出来なかった。






まずは、目の前試験をいかにパスし、大学生活でどうやって自分がサバイブする術を身につけるか、常に考えていた。






意図的に他の生徒との交流を避け、昼食などは一人で済ませ、少しでも自分の制作時間を確保することを意識した。






入院していた父は頼めば画材代は出してくれたが、病床の父に画材代を請求するのがどうしても心苦しく、予備校が終わると目白駅の近くのカフェで閉店まで働いた。






人生の中で数少ない満員電車の経験は、常に英単語帳をくしゃくしゃにしながら開いていた記憶がある。ぎゅうぎゅう詰めの車内は、バイトで疲れた足腰には実はむしろ楽だった。というのもおしくらまんじゅうになることで足にかかる負担が軽減されるからだ、今更疲れた体が車内でどう揉みくちゃにされたところで気にもならず目の前の手垢と書き込みで黒ずんだ単語帳に集中するのが、目白から当時住んでいた荻窪駅までの日課だった。






つづく




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