今回の製作秘話は『vs, SJK』について……なんですが、性質上『凰太郎のSF考察論』みたいになっちゃいますwww
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 まず、この作品は『ファジーSF』として作りました。
「ファジーSF? 聞いた事ないよ?」って人、当然です。
 だって『ハードSF』の対語として凰太郎が定義した造語だものww

 よく「科学考証や理論武装がアマいから」とか「玄人に粗捜し攻撃されそうだから」とかの理由で、自虐的に自分の作品を『ナンチャッテSF』とか表現してる人を見るけどさ、そんな卑下しなくていいんだよ?
 私に言わせりゃ『SF』って、もっとおおらかに多岐に渡るジャンル!
「リアルな作品以外は『SF』とは言えないよね」なんて論は、ただの頭デッカチな自己陶酔でしかないし、そもそも〝その論〟の矛盾にも気付いてないだけ(この辺、あとで書くからww)。
 うん、胸張っていい。
 だから、この『ファジーSF』って表現、みんなで使ってよし!
 ってか、定着させよう!www
 だって卑下的に『ナンチャッテSF』よりか『ファジーSF』の方が、ちゃんと『SF』のカテゴリーとして誇らしいっしょ? 自分的にも。
『(一応は)科学論っぽさで合理的な理屈付け』してあったら、それはもう『SF』だもの。
 うん、『っぽい』でいいの。
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 実は多くの『SF』って『リアルっぽい』だけなの。『リアル(断言)』じゃなく。
 〝SFの母〟と呼ばれる始祖的作家〝H.G.ウェルズ〟の言葉を『宇宙戦争』の後書から引用するとね──

「私の科学小説は(現実的予見を込めたジュール・ベルヌの科学小説と比べて)可能性のある事を取り扱っていない。
 まったく相違した方向に想像を働かしているのである。
 みんな空想で、真面目な可能性を示した物ではない。
 夢の中で保つぐらいの真実味があれば良いと思って書いた。
 読み終わるまで読者を──証拠や議論に依らず──文芸的技巧や幻想によって──惹き付ければ足りるので、読者は巻を閉じた瞬間に、その不可解な事に気が付くであろう。
 かかる種類の小説の生きた興味は非空想的のところに存ずるのであって、発明そのものに依存しない。
 人情小説と同じような興味を動かすのである。
 違った世界とか奇抜な発明とかいう空想的の要素は、我々の心に起こる〝驚異〟〝恐怖〟または〝当惑〟の情を強化するために使用するので、それ自身は何でもない。
 この原則を飲み込まないと、愚かな誇張した物が出来上がる」

「空想小説の作者は読者に興味を持たせるため、まず不可能な理論を消化させなければならぬ。
 ありそうな事だと思わせて、その錯覚が消えぬ内に筋を発展させるので、その点で私の小説が現れた時には新味があったと思う。
 それまでは空想的探検小説を除けば、その空想的要素を魔術によって間に合わせたものである。(中略)
 ところが十九世紀の終わりになると〝魔術〟で金を作り出す事すら困難になってきた。
 それで私は、今までのように〝悪魔〟や〝魔術師〟を引っ張り出す代わりに、科学的術語を巧妙に使用するのが好結果を得られるだろうと思った。
 これは決して大発明ではない。
 陳腐な物を現代的にし、できるだけ現実の理論に近付けさせたさせたに過ぎない」

 と、いう事(結構『SF作品の真髄』を余す事無く語っちゃってます……ウェルズ大先生)。

 ま、凰太郎の『SJK』は〝愚かな誇張した物〟だけどさwww

 つまり重きを置くべきは『物語』や『キャラ立ち』の方にこそあって、基本的に『科学論』は『テクスチャー』なワケよ。リアルっぽく見せるための。
 もちろん『SF(サイエンス・フィクション)』だから、ある程度は科学的な合理性でなければならないけど、それは個々で尺度が違うから自分の作品世界観的にOKならそれで善し!
 だって『SF創作者』は「SF作品を書きたい」のであって「ホーキング博士の後継者を目指している」ワケじゃないっしょ?

 そもそも『SF(サイエンス・フィクション)』って、それ以前は『サイエンス・ロマンス』と呼ばれていて、最盛期であった五〇年代アメリカに於いては『センス・オブ・ワンダー(不思議な感性)』とも呼ばれていた。
 だから、古典の中には最近のSF概念からすると『モダン・ファンタジー(現代的幻想奇譚)』と呼んでもいい作風があったりするんよ(だから『ウルトラQ』とか『世にも奇妙な物語』も『SF』なのです)。
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 例えば、私が聖典として崇拝し続けている作品『フランケンシュタイン』は〈古典ホラー〉であると同時に〈SFの元祖〉とも称されているんだけどさ、それは、この作品が科学小説の細分化呼称が確立する以前に解剖学的設定基盤を物語プロットに盛り込んでいたが故。
 でも、現在の視点では流石に『死体を縫合して電気ショックで甦らせた人造人間』なんてコンセプトは到底リアリティーを感じるものではないでしょ?
 うん、現代的科学視点では『オカルト』でしかないよね?
 だけど、現代ではともかく発表当時に於いて、この作品が科学的リアリティーを持っていた事は紛れもない事実で、それは同世代の古典ホラーキャラクターである〈ドラキュラ〉なんかと並べても露骨に〝科学的雰囲気〟を強調している特異なキャラクター性でも明らか(うん、ココ大事)。
 つまりね?
〝魔術で死体を蘇らせた〟でも成立する物語を〝解剖学で死体を再生した〟から『元祖SF』足り得た。
 つまり『科学っぽく見せている』だけなのよ。


 さて、じゃあ何故『ハードSF』だけが絶対的価値観で賛美されるかと言うと、これはもう『ブレードランナー』の洗礼でしょうな。
 この前衛的でシャープな作風&世界観は『サイバーパンク』ってジャンルを確立した偉業だった。
 で、この洗礼を受けて心酔した人が「リアルじゃなきゃSFじゃない!」なんて片寄った価値観を主張し始めた。
 いや、私も『ブレードランナー』は好きだけどさ?
 コレが革新的な大作なのは異論無いけどさ?
 それで「オレはSFを極めし者なんだぜ? ヘイヘ~イ ♪ 」ってのは「逆に短絡狭義的な価値観じゃね?」みたいな。
 うん、昔から『ウルトラセブン』信者が『ウルトラマンタロウ』を「あんな子供向けなオチャラケはSFじゃない!」って定番口撃してくる姿勢から依然進歩してない(目指した方向性が違うんだから比較しても意味無いのにねぇ?www)。
 そのわりには『スターウォーズ』や『スタートレック』や『エイリアン』なんかは「イエーイ ♪ 」なワケでしょ?
 うん、矛盾してるwww
 だって「現実的でなきゃ『SF』じゃない」って言うなら〝(人間同等の)アンドロイド〟とか〝宇宙怪物〟とか〝宇宙戦争〟してる時点で『現実的』じゃないじゃん?
 そういうポリシーなら、心酔すべきは『日本沈没』や『SARS』や『アポロ13』とか『アルマゲドン』なんかの『明日起きても不思議じゃない作風』だけになるはずだもの。上記のような作風だけを容認して、それ以外を排他しているなら「言うだけあって硬派やな」と脱帽だけどさ。
 ところが、この矛盾点を失念して「リアルじゃなきゃ」とか声高に言うマニアが結構いる。
 ってか、然も正論みたいに大手振ってる。
 ってか、映画評論家にもいるwww

 だからね、そこに対するアンチテーゼとして『ファジーSF』を提唱したかったのよ。


 そもそも『ブレードランナー』は『フランケンシュタイン』の近代的アレンジだし、
『エイリアン』は古典スペオペ小説『宇宙船ビークル号』の〝宇宙怪物イスクトルのエピソード〟から頂いちゃってるし、
『スターウォーズ』はジョージ・ルーカスが古典スペオペ映画『フラッシュ・ゴードン』をやりたくて自作新生させた作品だ。
『スペース・ヴァンパイア』なんて『吸血鬼ドラキュラ』以外の何物でもないwww
 うん、古典を現代的視点でも『リアル』に見えるようにテクスチャー貼り直しただけ。
 だから、もう『ブレードランナー』でも『フランケンシュタイン』でもいいじゃない!
 『セブン』でも『タロウ』でもいいじゃない!
 『X-MEN』でも『僕のヒーローアカデミア』でもいいじゃない!
 『スパイダーマン(ハリウッド版)』でも『スパイダーマン(東映版w)』でもいいじゃない!
 『銀魂』でも『ドラえもん』でもいいじゃない!
 所詮『SF』は〝大衆娯楽〟だもの。
 選民的な嗜みじゃなくて、万人が楽しむべきものだもの。

 だからね?
「オレ、科学論ビギナーだし、マニアの鑑賞に耐えられないから……」なんて卑下する必要無し!
「コレがオレのSF世界観だ! 文句あっか!」って、胸を張ろう!


 さて、それで『SJK』の事なんだけど──。
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 Σ( ̄□ ̄;)
 しまったーーッ!
 文字数使いすぎたーーッ!
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