ごめんね、取り止めもなく書いてるから長いかも。
今日は気持ちの赴くまま、書かせてください。

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咽び泣くような雨が降ったおばあちゃんのお葬式。
打って変わって、最近こんなに晴れた日があったか?と思うくらい突き抜ける青空が広がった、今日。

おじいちゃんが、空へ旅立って行った。

晴れていたのはきっと、早く早くおばあちゃんに会いたくて、嬉しくて仕方がない気持ちの現れなのかもしれない。
最後の言葉は「久美子」だったと、母が言っていた。

今月の20日におじいちゃんは亡くなりました。
94歳、大往生。
苦しむこともなく、眠るように、そっとこの世をさりました。

その1週間くらい前に会いに行った時、なんだかもう嫌な予感がするくらい力もなくて目もほとんど開けてくれなかったから、
その予感が当たらないようにって思いながらそっと覚悟はしてたけど、
いざ亡くなっても姿を見ることなく今日まで来てしまったから、
湯灌の儀に立ち会うために部屋に入るのが怖くて、なかなか踏み出せなかった。

おじいちゃんの旅立ちのお手伝いをしながら、
冷たく固くなったおじいちゃんにふれて
人間って本当に入れ物なんだなって思った。
わたしたちは、実に不思議な生き物。
あれだけ喋って感情があってドラマがあるのに、
この身体がなければ、何も始まらないのだから。

悲しいけど。
おじいちゃんは幸せだったとおもえるから、
私たちも幸せだ。
悲しいより、寂しいが強いのかもな。

お坊さんがお経の中で
「大正昭和平成令和と駆け抜けた」
という言葉を使ってくれて、
気難しくて変わり者で、ほんと変な人だったから
94年もの人生は長く見えるけど、まるで目まぐるしい台風のような人生だったんじゃないかなって思う。
なんだかすごいこの言葉がかっこいいなって思って、
さすがうちのおじいちゃんだなって感動した。

「愛」を全身全霊で表現していく人だった。

だから、わたしはおじいちゃんとおばあちゃんを
あんなに好きだったんだと思うんだ。

おばあちゃんを愛してるおじいちゃんが、わたしは大好きだった。
おばあちゃんが亡くなってみるみる元気がなくなって、
定年退職しても頑固にスーツ着て会社に行き続けたり、いつもおしゃれして背筋伸ばしてるおじいちゃんとは見違えちゃうくらい。

人の愛の力はそれくらい強いんだ。


だから「ガーネット」は生まれてきたんだと思う。
おじいちゃんのおばあちゃんへの愛が、わたしの中にすごくあったから。
おばあちゃんが亡くなった瞬間のおじいちゃんの背中を今でも忘れられない。

だからやっと会えるんだなって思ったら、
寂しいけど、よかったねっておもえる。
あの日とは違う、お別れ。

人は死ぬってことを知ってから、
わたしは2人が死んでしまうことがすごく怖くて、
想像して泣いて眠れない日もあった。
お母さんとかとはまた別で、当然自分の人生で順当に行けば一番近く、そうなってしまうから。

そんなこととは梅雨知らず2人はずっと元気で、
でもやっぱり来てしまった現実に、
おばあちゃんの時はなかなか受け止めきれなくて
しばらく元気も抱けなかったしどうしていいかもわからなかった。

でもおじいちゃんはちょっと違って。
もちろんすごく悲しいし、知らせが入った時は落ち込んだけど。
少し覚悟もできたんだと思う。
人は死を乗り越えて強くなるってのは本当だ。

これから何度こんな気持ちになるんだろう。
お経を聞きながら、目に入ってくる大切な親族たちを見て、どんどんお葬式の礼儀に詳しくなってきて、
考えるのはやめたけど、その数だけ強くなれるんだろうか。

「コーヒーとポテトサラダ」というタイトルの2人の歌がある。
2人が生きてた頃に、ずっと元気でねって書いた曲。
いつかひ孫を抱いて、なんで書いたのに、見せてあげられなくてごめんね。

おばあちゃんが亡くなって「ガーネット」をかいて。

2人の教えてくれた感覚や感情はちゃんと生きて、
今日もわたしと歩いてる。
これからも。


変な話なんだけど、おばあちゃんが亡くなった後から
わたしの運気はとんでもなく上がった。
よくない音楽のスパイラルから抜け出した時期だった。

おじいちゃんが亡くなった日、わたしは偶然しょこねえという友達に会ってた。
耐えきれなくて泣いてしまったわたしを彼女は抱きしめて
「変な言い方がもしれないけど、おじいちゃんはこれから自由になって、おりちゃんを応援してくれるから
おりちゃんはすごく力をもらって良くなるよ。
今までそばに行けなかったのに、今度はそばで支えてくれるんだよ!だから大丈夫!」
って、言ってくれた。

おばあちゃんの時のことを思い出して、その言葉をすごくすんなり受け入れることができて。
私は魂はあると思ってるタイプなので、すごくその言葉に支えられました。

人は弱っていても誰かが助けてくれて、
人が亡くなったりそういう悲しい時こそ、強くなるために誰かが支えてくれるんだなって。

この場を借りてもう一度お礼を。
しょこねえありがとう!

だからわたしはこれから、きっと少しまた変わっていくんだろう。
おじいちゃんを味方につけて、新たに強くなってく。

それは、母や妹や親族や、みんなが今日を共に乗り越えて、見送って、心におじいちゃんを宿していくからなんだよね。

今頃きっと、おばあちゃんが少し嫌そうな顔をして「来たわね…あーいやだいやだ」とかいいなかがら
小躍りして三途の川を越えてきそうなおじいちゃんを、
それなりに嬉しそうに迎えにいく準備をしてる。

おじいちゃんがたどり着いたら、小さな喧嘩しながら2人でまたゆっくりと、私たちを見守ってくれる。

寂しくなったら、空を見上げる。
ツツジの季節に呼吸をして。
ポテトサラダ食べたり、コーヒー飲んだり。
2人のくれた大切なものを、心から掘り起こして。
また明日を進んでく。
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おじいちゃん、ありがとう。
安らかに。

大好きだよ。



取り止めもなく長い文をここまで読んでくれて、ありがとう。