だから私はブログにしか書かない。

じゃあ君は、塾の自分と、バイト先の自分と、親の前の自分と、彼氏の前の自分は全部一緒なのかい。違うよね、塾の君に初めて会った私はいちいち「勉強してる君なんてみたくなかった、サムイ」って言って君を嫌いになって君と友達をやめるっていうのかい。
弾き語りだけじゃなくバンドを始めた時もいわれた、音源出した時も、メジャーデビューした時も、みんな言われるんだろう。
そして今夜はアイドルをはじめたぐらいで。私のものではなくなったと言われ続けてもう9ヶ月だね。変わらず曲を作り続けてもライブをよくし続けても、変わってしまった、支えてくれなくなったと言われたって、それは君の前の私は変わりはしないのにな、いるのになぁー、それが消えてしまうのならそれは、じゃあはじめからいなかったのかなぁー、せつないねぇ。仕方ないのかなぁ、ダメな方に引きずりあって、どっちがマシかの幸福マウンティングで精神保つのが、この国の幸福依存の惨状なんですけど、でも、なんというか、好きだったものに対する気持ちはそういうものではないもんね。嫌なものは嫌だろ。
ただ私が、わたしにも、私だけのものって思ってた音楽が私にだってあったもん、そして一度でもそういう風に思ったものは裏切らないしだれがどういう風に消費しようと私の中だけでは永遠だよ。
だからどうしろって話じゃないけど。
大学時代、過度の醜形恐怖で外に出るとき黒い服しか着られなかった季節を、メジャーデビューのときに蘇ったトラウマを、クソカワPARTYってアルバムでかたをつけて、呪いは全て剥いで私のかわいいでかわいいって言われるって決めた。そこに謙遜も言い訳もなにもしないぞ、ちゃんと今日何着るかとか、この夏どんなピンクで項垂れるかとかに死力を尽くすぞって決めた。それをやっていけない人がいるわけない。
っていう個人的な話すぎて、あのアルバムはそんな全く共感してもらえるようなものじゃないと思うんだけど、どうしようもない自分なんてしょうもないんだもん。人のことみてるほうが深い曲かけるよね。ほんとどうしようもないことで生きられなくなっていたんだから、それ全部解放して楽しそうな私がムカつくというのならそれでとても、じゃあいいよって思えるんだけどな。
違うんだろうなあ。誰かのものになったっていう風に見えてるってだけだろうなあ。おかしいなあ誰とでも抱き合う温度にしておいたはずなのに
そしてこのブログはそれを憂いてるわけではなくただ そうなの?って気持ちでかいてるだけで私は白いワンピースを買ってとても元気。