一つの物事を「好きだ」、と公言することが、とてもこわかった。一つを選択していることを「見せる」、ということは、選択していないことに対して背中を見せる行為であり、そちら側から斬りつけられた時に、なにもできないからだ。そして仮に反撃するための力を持とうとすることは卑怯だ、と思っている節があった。

本当にわかりにくい導入ですみません、岡まことです。

いや、ね、あれですよ、こういうところが取っ付きににくさに繋がっているのかな、と思うこともあるんですよね。2018年はもう少しその〜、きちんと一つ一つ思ったことを恐れずやっていきたいなと思ってて。これまでも手を抜いてきたわけではないのだけど、なんだか焦ってしまっていたというか。

自分が変わることも、変わらないこともとても恐ろしく、もはや自分以外の人間に生まれ変わるしか救われる方法はないのでは、と考えていたんです。
でもなんというか、周りにはそういう自分ときちんと向き合って、結果を出そう、作品を作ろう、魅せようという人達がいて、自分もそういう風にやってもいいのかな、とようやく少しだけ思えるようになってきたというか。

疑心暗鬼、猜疑心に支配されて、「家の外の全てはなにもかも、結局のところ自分の存在を否定しているのだ」と思っていた自分を、どうにかしたほうがいいというか、どうにもしなくてもいいと思ったというか。

ええわかりますよ、なにを言っているのかわからないということが。僕にもわからないんですよねこれ。今勢いに任せてこれを書いているよ。


今日はCIVILIANのワンマンを観に行く。とても楽しみ。コヤマさんと初めて一緒にLIVEをしたのは数年前の札幌で、弾き語りの企画だった。元々僕がCIVILIAN(当時はLyu:Lyuだった)のファンで、知り合いの企画者の人に「どうしてもコヤマさんとLIVEがしたい」と話をしたのがきっかけだ。

それから色々あって仲良くなって、共に弾き語りツアーの旅に出たり、自分の音源に参加してもらったり。それから僕が東京に行く時にしばしば一緒に洋服を見に行くようになって。
僕はそれまで、好きな洋服のことをきちんと話す事がうまくできなかったのだけど、コヤマさんはとても興味を持ってくれて、話せば話す程自分の中でも色々整理されていって。それから沢山の色々な話をした。和奏さんと三人でニコニコ太郎という泡盛を飲んだ時は、僕は人生相談なんだか愚痴なんだか、よくわからない話をしていたと思う。コヤマさんはひたすら笑ってくれてた。

ええと、なんの話だったっけ。
ああ、あれだ。簡単に言うと、どんな立場になっても変わらないコヤマさんは、本当に素直で繊細で、その人間性から溢れ出る作品は素晴らしく、尊敬をしているしとても好きだ、ということが言いたかったんだと思う。

全然簡単に言えてないなぁ。

いつも「自分なんかがこんなこと書いて(言って)」というスイッチが入って、友人のことを書くのを避けてたんだけど、たぶん誰にも迷惑はかけないはず...だから今日ぐらいはよいかなと。。