俺の中にはいくつもの数え切れないほどの偏見や、早とちった考えが渦巻いていてその目でこの世を見て生き続けている。俺だけじゃないだろう。誰もが必ず特定のものの対してそれぞれのイメージというものを持っている。 それは例えば「日本」と聞いて思い浮かべる風景だったり文化だったり、「長渕剛」と聞いて思いつく彼のイメージ、人柄だったり。 多かれ少なかれ俺たちは全てのものに対して何かのイメージを持っている。
そこでそのイメージ、偏見が実際のものと当てはまるかといったらそれはまた全く別の話だとおもう。その実物や本人の全ては知らないけれど、自分の中にはそういうイメージがあるというだけの話でそれはそのとおりかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
人間は偏見で生きている。自分の持っている他の者たちに対するイメージ、偏見が正しいかどうかなんて確かめられもしないでそんな思いをいつもかかえている。
自分を疑いながら、正しいものは何なのかと常に問いかけ続けて、謙虚に生きていくこともできる。俺は自分ではそうしてきたつもりだった。自惚れぬように、視野の狭い男にならぬようにと。常に心をオープンに、相手の話を素直に受け入れようと、他の価値観をもっと尊敬しようとやってきた。そしてそれをしてきて何を得られたか。自分をなくしてしまう感覚だけだった。 広い視野で世界を見渡そうといろんな人の話を真正面から聞く、そして自分の心に響かせようとする。対立する二つの意見のその両方に耳を傾けるとその両方の立場が、心境が分かってくる。そこで「それじゃ自分はどっちに傾くのか、自分の意見はどっちなのか」その問いかけをした時にどちらにもいけずただその狭間でまごつきながら漂っているだけの自分の存在があった。これからどうしていくべきなのか、何が必要なのか、解決策はなんなのか。相手の意見を受け入れるだけでは、ただの馴れ合いで終わってしまうだけなんだ。
広い視野、相手の価値観を尊重する開いた心だとか簡単に人は言うけれど、己の道は決めなければならない。黒なのか白なのか。灰色で黒と白の間を漂うのだとすればそれは誰の何のためにやっていることなのか。いずれにせよ、人は一方を択ばならない。
どうあがいても俺たちは所詮、偏見や作りこまれたイメージから完璧に抜け出すことはできない。本当の答えなんてはじめから誰にも分からないのだから。それを承知の上で人は道を選んでいくべきだと思う。俺がわざわざそうするべきだって言わなくたって、すでに人は勝手にそうしている、気付かないうちに。
あなたが今心に思った些細なその感情にも必ず偏見、間違ったイメージが含まれている。何が正しいかなんて誰にも分からないのだから。俺達人間はその点、不完全でどうしようもない。けれど生きなければいけない、選択だらけの人生を己という手段を使って。
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