月別アーカイブ / 2005年10月

僕は今、昔の純粋さを取り戻しつつある。

憧れてきた男らしく、すさまじい強さに見せられて追いかけ続けてきたイメージ、それに近づこうと誰かを真似るようになってから、僕は自分を迷い道に追い立ててきた。
それに今気づきつつある。

誰かのようになろうとしてきたんだ、自分の道を探すというよりも。 それで最近、行き止まりのどうしようもない森の中に迷い込んで何も感じられなくなる自分がいた。

この道の過程の中、いろんなものに僕の道は影響され、邪魔されてきた。けれど、ここでもう一度原点に立ち返ってみれたのは僕が一番輝いていた頃の思い出があり、自分がその時とおなじ心を失っていないことに気がつけたから。

知らないうちに僕たちは回りに振り回されている。あの頃の僕は周りがどうであれ、ただ自分の道を見つめていた。自分の道、明日だけを精一杯に追いかけていたんだ。
だからどれだけやっても疲れなかったし時の流れにあせることもなかった。毎日が精一杯ってのは本当に他のものなんて見えなくて一歩先の自分の道しか見えていない。そういう状況だった。そしてその目の前の事を全力で追いかけていた。

あの頃の僕が輝いていた。純粋に明日を追いかけて走り続けていた。

あの懐かしい想い出をこの胸に思い出せばもう一度あの頃に立ち返ることの自分が今ここにいる。
そして僕は今、それがものすごく嬉しい。


言葉も誰の人生教訓もいらない。
そんなものはいくら聞いたって僕と誰かを比べるだけで、この心に染み渡り響きを奏でるものじゃない。それであせっても仕方がないんだ。

僕は僕の人生を行くのだから全ての教訓は自分の足跡から生まれる、心から本当に分かる教訓は耳で聞くものじゃなく、この心に感じるものなんだと思う。

どんな教訓にも耳を傾けず、僕は僕の道を、一歩先だけ見て追いかけようと思う。

誰のやり方よりも、言葉よりも、自分を信じていた。あの頃・・・。

砂漠の中一粒の砂にならぬように俺はどこまでも自分の理想を追いかけて行きたい。
周りから聞くうまい話に誘われてつい奴等と同じ人生を歩んでしまいそうになるけれど、そこに一歩、足を掛けてもとの自分に戻る。そうしてその扉にはもう二度と入ってはいけない事を知る。それが最近の俺のやり方になってきたように思う。世界の大都会、そこまで俺がここで騒ぐべきかどうかは分からないけれど、ここNYにはとんでもなく膨大な数の扉達が俺達の目の前にあってどこに入るべきかすら分からなくなって他だ時間だけが過ぎいっていってしまう事がある。 一生懸命に何か一つ一つの事をこなしているのにポケットに金はたまらず夢に向かって一歩も前に進めず、時間だけが他だ無駄に流れていってそれがまた、俺を焦らせている。 

妥協のないたった一つの夢を見つけて、夢に向かって歩く早さに言い訳をつけないこと。 これが鉄則だと思う。
生活がかかっている、金を稼がないといけない だとか 今夜は頭が痛い とか。。。。俺は知らないうちに当然のような言い訳を今でも重ねながら時間を過ごし、一歩も前に進めていないこの3ヶ月間。このままじゃ結局俺もあの時進路を別にした地元のあいつらのように生活に飲まれて小さな砂粒のような人生を迎えてしまうことになる。
それじゃいけないんだ!! 俺はあいつらにこの人生を持って証明する為にこの道を選んできた。上に向かって戦うこと、挑戦する事をやめちゃいけないんだ。今こそ。

あとここで俺に残された時間は8ヶ月。たったの8ヶ月。 ここで俺はこの国、アメリカからCDを出してやる。 たったの8ヶ月。。 自分を見つけ出すことは何よりも難しく、それが出来たならば後はただがむしゃらに走るだけ。 誰もが霧と砂吹雪の中に埋もれてしまってただ風に流される砂粒になっていく。。。

アメリカンドリームを夢見て飛び出した高校生だった頃の自分。 はじめて故郷を遠く離れて旅を始めてから駆け巡るようにあちこちの夜空の下で夜を過ごしてきた。
たびたび故郷の家には帰るけれど家族のいる家のベットで眠らない日々が幾日もつづきそれが当たり前のような生活になって4年程が過ぎたのだろうか。

アメリカに来てから3年目の秋を迎えている今、高校生だった頃のアツイ想いの中の自分から遠く離れていた自分に気が付いた。 情熱のある人達の熱弁を聞いても、あの頃はじめて知った誰かの情熱に震えたようにはもう、何も感じられず、都会の空気の中に沈んでき始めた自分の心がどうしようもない。突き動かしたくても突き動かすことすら出来ずにただ道行く人、窓に流れる景色を呆然と見ている俺が今ここにいる。

けれど光の到来は来るべき時に必ず来るもので、それはまるで偶然のようであって必然的にやってくる。知人の紹介で知り合った友達が今俺に情熱を注ぎなおしてくれている。空っぽになって乾ききった俺のポットに温かいお湯を入れてそれを火に掛けて沸かしてくれるように俺の心がもう一度あの頃の自分を取り戻し始めた。忘れかけていた夢。俺が今ここにいる訳。挑戦し、挑みかかっていくうつろな目のハングリー精神。それをもう一度見つめ直していけるんじゃないかという希望がこの心に訪れ始めている。

”ってか、でっかいかちっちゃいかなんて関係ないやん” そう言い放った奴がいる。 自分のスタイルを貫いて これが俺の音楽や、聞け! って言うのが芸術やと。

いろんな人の言葉に心がまた動き始めた。

俺がNYにいるわけ。今確かに世界の中心に立っている事実。
情熱さえあればなんでもできる・。
それを忘れかけていた、3年間の大きな長い長い言い訳の暮らしの中で。

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