月別アーカイブ / 2005年06月

今すべきことなんて何一つない。
今かかえている苦しみも背負う必要のないものだという事をまず理解してほしい。

自分の人生すべてを自分が背負っているということに気づく。それがどれほど自分を目覚めさせるかということに気づけたならその身は確実に自由になる。

自由の中で俺達人間は生きている。選択は時に与えられるものであるけれど、選択の自由は自分にあることに気づければおのずの命に尊さと感謝を感じるだろう。

どんなに苦しい人生を生きていても必ず選択権は自分にあるんだ。 選択の幅をどこまで広げられるかは自分にかかっている。

銃を突きつけられ死を余儀なくされても、そこでどうでるかは自分の選択。媚びる事をやめ死を覚悟し立ち向かうもおのずの選択であり、殺さないでくれと請うことに身をゆだねるのも選択なんだ。

一つの一つの小さな選択を数え切れないほど重ねてきた自分がが今そこにいる。 そのたった一つしかない結果として出来上がった自分はたった一人のかけがえない存在であり、これからの選択を決めていくのも自分自身なんだ。

今そこに座ってこのホームページを読んでいるあなたはこの文章を読む事を選択したという、小さな小さな選択をしたあなたがそこにいる。 

一秒ごとに選択をして生きている、それが人間なんだ。

腹が減ってそれを感じ、食う事をその瞬間に選択したのも自分であり、今こうして生きている、呼吸をしている事を選択していることも選択なんだ。

数え切れない選択をしてきて、今そこに生きている自分、全ての選択は自分がしてきたこと。自分以外の誰でもない。人を攻めるのは勘違いじゃないか。 自分の不幸を時代のせいにするのもおかしい。どんな人生を生きていてもそこに数え切れないほどの小さな選択が過去にある。 それを選んできたのは自分なんだ。 

不幸を何かのせいにして愚痴っている自分が今そこにいるとしたら、それに命を賭けて立ち向かわず、愚痴る事を択んだ、それは自分の選択なんだ。そうだろう?

だから、自分の人生は自分に委ねられているんだ。

どんな運命に生きていたとしても。

生きるってのは難しい。

誰もがそれを知っているからこそ
きっとみんなEntertainmentを待っているし、それに群がって楽しく過ごそうとする。

堅い事ばっか言うてる奴からはなぜか人は遠ざかっていく。

そんなん俺だってそうや・・・。


そやけどずっと楽しいもんにすがりついとってはアカンで。

せめても自分の人生の壁は自分で乗り越えていく覚悟がないとアカン。

日陰で育った軟弱者もいつか一人で旅せなアカンときがくるんや。

心の支えは大切やけど、人にばっか頼っとったらアカン。

鍛える時はしっかり鍛えなアカンのや。

一人前の大人になるためには一人で戦いに行かなあかんねん。

いろんな困難な試練と出会ってそれを乗り越えていく事で鍛え抜かれていくんや。

一人の大人として確かな自分を掴んで故郷に戻ってくるんやって、そんな意地があってもええやろ?

今の大人達の中に本当の大人は何人おるんやろか。。。


人は皆、孤独のかけらを持っている

どんな愛でも拭いきれない小さな破片。

それはきっと自分が自分である証明なのかも知れない。

癒しあう必要はない。

命耐えるまで歯を食いしばって抱えていかなければならない人生の荷物なんだろう。

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