宣言から1週間経ってももやもやするのですが。
いきものがかりはよく知らないので、ファンの方が見ていたら申し訳ないですけど……
▼これ。ラストは「放牧!」で締められる
なんか
上手いこと言ってる風ですけど
いやいやいやいや
あなたたち、
「生き物係」じゃないですか。
北大とかならいざ知らず
一般的な生き物係、
牛飼わないじゃないですか。
どちらかと言うと「放流」だけど
それも上手くない
飼ってる生き物放すのは
倫理的にNGだし
飼ってる生き物がファンだとするなら、
ファン棄てるの?!って感じだし、
てか、何よりこの点なんですけど
そもそも
あなたたち、
「生き物係」じゃないですか。
何いきなり生き物側になってるの?
これは由々しき事態ですよ
ある日クラスの生き物係が
「俺たちはそれぞれ自由になりたいんだ!!放牧!!!!」とか言って
牛の真似してクラス飛び出したらどう思います?
狂気の沙汰ですよ。
「生き物係」という人間の理性と役割を放棄し、僕たちは動物になるんです!!という暗喩だとしたら
それはそれでロックだが、
そんな社会派バンドでは無いはずだ。
生き物+それぞれが自由になる→「放牧」じゃん!!!!って発想なんだろうけど、
なんとなく過ぎるし、
「放牧」っていうワードには
致命的に違和感を感じる。
私は小説でもなんでも
世界観が壊れる瞬間ってもう駄目で。
あ、詰めが甘いな、というか
リアリティの無さを感じてしまう瞬間。
小説だったら「この作者、絶対このシーン自分の体験じゃなくて想像で書いてるな」というのが
明らかに分かってしまうページとか。
そういうのが1つでもあると、
期待を裏切られた気持ちになって
以降その作者の作品を追うのを辞めてしまう。
それは実際にありうる設定かどうかじゃなくて、
その物語の世界観に則った時に
リアルに見えるかどうかであって。
例えば『シン・ゴジラ』は、設定はファンタジーだけど
こういう設定だったら、きっとこうなるよね……というシミュレーションを徹底してるので、ものすごくリアルなんだけど。
例えば『聲の形』は、設定はそれっぽいんだけど
貧乏な家の主人公が自分の過去を償う為に3年間かけて貯めた100万円?を
母親が「そんなものは受け取らない」って言って燃やすシーンがあって、
「いやそれ絶対燃やさないでしょ」って思ったらもう駄目だった。
荒木飛呂彦先生も『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、
漫画の基本四大構造に「世界観」を挙げていて。
荒木先生の初期作品の失敗で、現実はディーゼル車が走る鉄道を、感電させるというストーリー上無理矢理電線にしたところ
読者から誤りを指摘され、その人はそのページ以降世界に入っていけなくなってしまった……と書いていて、
その気持ちめっちゃ分かる……!!と思いながら読んでた。
「いきものがかり」という世界観にのっとると、「放牧」という言葉は全くリアルでなくて。
休止前の最後の最後で、
世界観を壊すようなプロモーションしてしまうのは、
元々ファンではないのだけどすごくもやもやしてしまう。
だけど「いきものがかり」はあれだけ人気を得ている訳だし
世間で「放牧」という言葉への違和感も特に聞かなかったから、
これはこれでいいのかもしれない。
多少の矛盾は承知の上で
敢えてそうしてるのかもしれないし、
違和感よりも「可愛い!」って思う人の方が多数派なのであれば
大衆商業としてはそっちに合わせにいくべきだろう。
正しい言葉を〜なんてのは、
単なる私の好みであって
絶対的に正解ではないとは思ってる。
時代や文脈により言葉なんていくらでも変わるものでもあって。
(そもそも私もブログは日本語の法則を相当無視してる)
でもそれでもやっぱり私は、
私の好みとして
「放牧!」はおかしい!!!!と言いたいというか
同じ時間を使うなら
「世界観」に浸れる作品に、
時間を使いたいなあって思います。