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ひとつの行為を
情熱的に、
強烈に、
全身全霊を打ち込んで関わって、
何も手控えることなく
トータルであるべきだ。

トータルであるということは
そういうことだ。

踊るときは
ひたすら踊れば
他の世界のことは
忘れてしまうだろう。

自分のことすら忘れてしまい、
ただダンスだけがそこにある。
これがトータルであるということだ。

ダンスは完璧なものになるかもしれないし、
完璧なものにならないかもしれないが
それは問題ではない。

どんどん良くなっていることができたとしたら、
それが完璧なものであるはずがない。

あらゆるものは
もっとよくなりうるのだから、
完璧なものではない。
ありえない。
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こんな禅の逸話がある。

ある殿様が禅師から庭作りを習っていた。禅師は殿様を指導してお城に立派な庭を作るようにと命じた。

3年後に禅師がやってきた時に、その庭がトータル、「円満具足」なものになっていたなら殿様は免許皆伝を許される。

だが殿様はこの「円満具足」という言葉を分かっていなかった。私たちもみんな分かっていない。

殿様は円満具足とは完璧であることだと思ったので、庭を完璧なものに作った。

彼は何千人という庭師たちを使って、日本にこれまでなかったような完璧な庭園を作り上げた。

3年後に禅師がやってきたとき、殿様は自信満々だったし、庭の出来栄えにすっかり満足してた。

ところが禅師は普段は全く見せたことのない
ひどく困惑した悲しそうな顔つきをしていた。

殿様はだんだんと心配になってきた。
何か気に入らないことがあるのだろうか?
3年間も努力を重ねてきたのに今はこれ以上良くならないほど完璧に仕上がったのに。

禅師の沈黙が重苦しく感じられた。

とうとう彼は尋ねた。
「どうなさったのですか?
なぜ何も言ってくださらないのですか?
この庭はお気に召しませんか?」

禅師が口を開いて言った。

「この庭はよくできすぎていて
いかにも作り物らしい。
自然がこれほど綺麗に出来上がるだろうか。

もう手をくわえるところがないほど出来上がっているから、それでわしは残念に思っていたのだ。

わしは『円満具足のものにせよ』と言ったはずだが、あなたは誤解なさったようだな。

庭のどこを探しても枯れ葉ひとつ落ちていない。それは不自然ではないかね 」

殿様は言った。

「落ち葉は全て片付けさせました。随分積もっていましたからね。あなた様をお迎えするために綺麗さっぱり片付けさせたのです!」

禅師は言った。
「ざるを貸してくだされ」

ざるが持ってこられた。
彼は落ち葉が捨てられた庭の外に出た。

ざるにいっぱいの枯葉を盛ると禅師は庭に入ってきて小道にそれをばらまいた。

すると風が吹いて落ち葉が舞い始め、さらさらと綺麗な音を立てた。

禅師は満足に言った。

「さあこれで申し分ありません。

もはやできすぎではありませんから
これで欠けるところもありません。
これでもっと自然になりました。

落ち葉ひとつもなかったら
それがたてる響きもないし、
この庭は死んでいます」

完璧など気にしないで、
トータルでありなさい。

Osho