『春なのに』…華やかな季節には似つかわしくない別れや、それに伴う悲哀を歌い上げた昭和の名曲だ。ただ最近「春って、言うほど華やかな季節だっけか?」と思ってしまうほど心が塞ぎ込んで仕方ない。自分にとってはもはやこの憂愁は『春だから』なのである。

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身をやつすほどの悩みは今の自分にはないはずで、それどころか幸せを感じる瞬間は数年前より格段に増えた。

一例として、物心付いたときから就寝前に「今日あった良いこと」をおさらいするのが習慣化しているのだが、一時期はネタがなさすぎて苦し紛れに「"こちら側のどこからでも切れます"と表記された小袋が本当に一発で開けられた」なんてつまらないエピソードをひり出していた。

それがどうだ。今となっては、さらい切れないほどの幸せに満ち満ちた日も珍しくない。数年ぽっちで人間は変われる、それを身を以て体感した。

しかし幸せというのは掴みどころのないやつで、指の隙間からさらさらと流れ落ちていくのを止められない。要はこの身体は燃費が悪いのだ。一欠片の幸せで1日をやり過ごすことすら難い。省エネ至上主義の現代において"自分"という機体はさしずめポンコツ以下といったところか。

一方、漠然とした怒りや不安は排出されることなく心の内壁にへばりついたまま。それが日に日に膨れ上がり、こんな支離滅裂な記事を書くにまで至ってしまったのだ。

だが、いつまでも立ち止まってはいられない。一刻も早くここから抜け出さねばならない。幸いなことにこのポンコツには行動力という意外な武器が備わっている。まず初めに実践したのは…散歩だった。

「いや、そこはアーティストらしく楽曲に昇華しろよ」という意見もご最もなのだが、"大量の宿題を残して迎えた夏休み後半戦"さながら、不安要素を取り除かない限り何をするにも身が入らないのである。あと、それとは別に曲はちゃんと作っているから許して欲しい。うん。

話を戻すが、街灯もまばらな閑静な住宅街を歩いていると程良く空っぽになれていい。自分の身体が春特有の生温い空気に溶け込んでいき、徐々に輪郭を失くしていく感じが堪らない。

この深夜の散歩タイムでだけ、僕は僕を放棄することが出来る。割り振られた業務、ぶつけられた悪意、背負った運命、その全てを忘れ去り、あたかも焚吐なんて人間が初めから存在していなかったかのように振る舞えるこの時間が好きだ。

グルメに読書に映画鑑賞に、息抜きの方法は数あれど、自分の中で最も頭を使わずに済むのが散歩なのだと思う。しかし、それでもまだセンチメンタルは消化不良どころか魚の小骨のように喉に突き刺さったまま胃へ降りてくる気配すらない。一体どうしたものか。

兎にも角にも、皆さんおすすめの対処法があったらリプライやコメントで教えていただけると助かる。

…さて、勢い任せで書き殴ったはいいものの、全くもってまとまりのない文章になってしまい申し訳ないです。エッセイ読むのが好きなのでこういうの一回やってみたくて。次はもう少しがんばります。

昨日、『神風エクスプレス』のリリースイベントがファイナルを迎えました。

「時が止まればいいのに」、そう100回くらい祈って100回勝手に裏切られたような心持ち。

21年間、残酷なまでの早さで過ぎ去った歳月をこの目でしかと見届けてきたはずなのに、この切なさにはどうにも慣れることが出来ません。

歌っている最中も「このままコールドスリープ出来たら幸せだなあ」なんて妄想を繰り広げておりました。なんと往生際の悪い。

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「でもね、違うでしょう」僕は自分に言い聞かせます。「これで終わりじゃないんだよ」肩を落とす現在の僕を未来の僕が鼓舞します。

そうです。これで終わりじゃないのです。昨日発表したミニアルバムのリリースが控えてる…夏には久々のワンマンツアーが控えてる…まだ何も終わってなんかいないのです。

『神風エクスプレス』のサビにこんな一節があります。

"とうとう発進です"

久しく失せていた感情が蘇る。ピクリとも動かなかった心が痛いくらいに跳ねる。味気なかった日常が途端に色付いていく。

"とうとう発進です"

長い間この身を縛り付けていた呪いが徐々に解けていく…

誰かに投げかけた言葉は得てして自分に返ってくるものです。今『神風エクスプレス』を聴くと「立ち止まっている場合じゃないぞ」と言われているようで、更にそれは焚吐やみやかわくんの声ではなく曲自身の意思のように感じられるのです。

どうしてでしょうか。僕らが全国を旅したように、『神風エクスプレス』という曲も旅を経て成長したからじゃないでしょうか。そうだったらいいな。

僕は、焚吐というアーティストは、この尊すぎる思い出を胸にこれからも前へ前へと突き進んでいきます。

そんな生き方の方がきっとこの曲には相応しい。

"とうとう発進です"

こんにちは。感情という感情が玉突き事故を起こしてさっきから涙が止まらないのでここに吐き出したいと思います。自分の過去についてあまり踏み込んだ話をしたことがなかったので、これを機に打ち明けてみようかな、と。

丁度7年前、人生で最悪の誕生日を迎えました。詳しいことは省きますが、その数日前友達(だと思っていた人)から心無い言葉を浴びせられ酷い仕打ちを受け、14歳の僕は完全に参ってしまいました。

自分という存在を根本から否定されて、笑っても怒っても悲しい顔をしても何かしら文句を言われて、もう何が何だか分からない八方塞がり。「あんな魔法みたいに上手くいっていた日々はどこに行ったの?」と。

それからは空気のように周りの誰も刺激しないようにただただ息を潜めてやり過ごしました。変わりたい、という思いは漠然と抱いていましたが、新たな人間関係や信頼を勝ち取るにはその頃の自分はあまりにも意気地無しで無知で無力で…

目に見えて以前よりも暗く塞ぎ込んでしまった僕を心配して、たくさんの人が心配の言葉を掛けてくれました。今となっては感謝してもし切れません。ありがとう。ただ、そのどれもが当時の僕には刺さらなかったんです。

「笑え」とか「死ぬな」とか「元気出せ」って何だよ、と。僕がただひとつ欲しかったのは「笑っていいよ」「生きてていいよ」、という揺るぎない肯定、それだけでした。

自分でさえ見出だせない"生きる理由"を他人に託してしまうのはやはり卑怯だったのだろうか…でもでも、どうせ心配してくれるならもっと親身になってくれよ…そんな子どもじみた問いの中で堂々巡りの日々。

ネチネチネチネチ結局こいつは何が言いたいんだと思われ始めた頃だと思うので結論から言うと、僕を初めて肯定してくれたのは他でもない皆さんです。

「焚吐の笑顔が好き」「声が好き」「本心を曝け出したその曲が大好き」。正直最初は信じ切れませんでした。

だって14歳のときあんなに忌み嫌われた僕の全てがシンガーソングライターになった途端認められて、心が全然追い付かなくて、でも僕が歌っているときの皆さんの仕草ひとつひとつが、SNSを介して届く言葉の数々が、握手したときに伝わる温度が、僕に"肯定"をくれました。

14歳の僕が喉から手が出るほど欲していたものを皆さんはくれました。

まるで呪いが解けたみたいです。

それに僕がどれだけ救われているのかお伝えしたいです。伝える努力を決して惜しみたくないです。そして、昨日のミニライブで歌わせていただいた未発表曲『時速40000kmの孤独』は皆さんのために書いた曲なのです。

これから僕は皆さんが認めてくれた僕を少しずつ認めていきます。いつか皆さんが壁にぶつかったとき迷いなく「生きてていいよ」と言えるアーティストになります。そして、あの頃僕を否定した奴ら全員を「センスねぇな」と一蹴出来る人間になります。

最後に、14歳の自分へ。転んでも馬鹿にされても地を這いずって生きてくれてありがとう。昨日は人生で最高の誕生日だったよ。

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