「なんかこの人知ってる」
と、祖母が僕に言うようになって1年余りが経った。いつも化粧を欠かさず、熊のような黒いファーコートの間からブローチを覗かせ、優しく微笑んでくれた僕の"東京のマダム"は、もう自分の名前も憶えていない。彼女の部屋の壁の真ん中、額縁に飾られた彼女の達筆な写経が、西日に照らされ化石のように光った。
僕は愛想という言葉の意味を彼女から教わった。いつもにこにこしていて人当たりが良く、自分の気持ちは隠して表面ばかり良くする人だったが、それがいわゆる都会の人ってもんなのだろう、と僕は理由付けていた。彼女が自分の気持ちを話すときは、物事の後になってぼそっと、しかも言葉にさり気ない棘を添えて呟くのが常で、さっきまで笑顔で話し合っていた相手が帰った後に、あの人はあまり良くないわね。と言ったときは、何が良くないんだろう、と思った。しかし、彼女の波乱万丈な人生を思えば、そんな狡さも僕には格好良く映ったものだった。
そんな風に記憶旅行をしながらふと、テレビ台になっている木製の棚に目をやると見覚えのある背表紙を見つけたので、何と無く手に取りページをめくってみた。それは、昔僕の生家にあったアルバムだった。
これ僕だよ。と無愛想にこちらを見つめる少年時代の僕を彼女に見せてみると、彼女はいつものようににこりと笑って、あらこの子可愛いわねえ、と言った。それが愛想笑いなのかどうかは、僕にはわからなかった。
例えば、僕の記憶を移植された彼女は、僕だろうか、彼女だろうか。何を忘れても、誰を忘れても、自分が自分をどれだけ憶えていられるかが、きっと一番大事だ。記憶というのは不思議なもので、その人の習性や癖のような類の記憶は、きっと忘却の優先順位の最後にあり、割と最後まで残り続ける。そう思って振り返ってみると「何かこの人知ってる」と僕に言った彼女の中で僕の面影は、彼女の人格が置いてあるくらい深い記憶領域のすぐ傍でまだ辛うじて息をしているのかもしれなかった。彼女が、自分自身の名前よりも強い記憶として僕の事をその頭の中に置いてくれていたんだ、と思うと、堪らなかった。
そろそろ行くよ、と通る声で母が言う。そうか、今日は3人で外食をする予定だった。ため息を一つ、アルバムをぱたりと閉じ立ち上がろうとすると祖母は、ちょっと待って、と言って引き出しから化粧道具を持ち出し、手鏡を見ながら細い唇に紅を引き始めた。しばらくして黒いファーコートを羽織ると、微笑んで僕に軽く会釈をした。口紅は子供が引いたように歪んでいたが、そこには、あの東京のマダムが立っていた。