窓を開けて部屋に夜風を通す。安易にもう秋になるのかな、なんて思いながら足で扇風機のスイッチを入れて窓辺に腰を下す。どうやら台風の影響で北風が吹きこんでいるだけらしい。過ごしやすくて良いが、無言で夏が去ってしまったようで少し寂しかったりもする。
夏の終わりとは即ち秋の始まりだ。終わりの合図が始まりだなんて、何だかとても素敵に思える。リレーでバトンが次々渡されてゆくように、さっさとこの思考も最期まで運ばれてゆくのならばどんなに楽なのだろうと思う。けれど、でも、そうして一つ一つの終わりに気が付けず終わってしまうのも、それはそれで悲しいものだ。バトンになった僕がアンカーの手に渡りゴールテープを切ったとき、ここがスタートラインなのかゴールラインなのかはきっとわからないのだから。それがわかるのは、始まりと終わりを知る走者だけなのである。
そういえば最近、友達の子供が歩けるようになった。ようやく僕の事を覚えてくれたのか、会えばニヤニヤと恥ずかしそうにする。言葉を喋って彼の主張を聞けるようになる日が楽しみだなあ、なんて面倒臭い親戚のおじさんみたいな事を考えながら、彼の未来への期待で胸を一杯にしているそのときでさえ、残念ながら気付けず終わっていった何かを沢山内包しているに違いない。
ほとんどの終わりに気が付けないまま進んでいく時間の中で終わりに気が付き、その瞬間を目撃できる事は、あるいは幸福なのかもしれない。何かが終わりを告げその悲しみに暮れているとき、それによって芽吹いた新しい何かになど気が付けない事と同様に、何かが始まりその喜びに胸を膨らませている裏で、ひっそりと終わっていく何かに気付く事はきっと困難だ。
そうだ、夏が終わってしまう前に、今度こんな夜風にピッタリの風鈴など買ってみよう。
遠くで祭り囃子の音がする。
夏の終わりもまた遠い。