窓を開けて部屋に夜風を通す。安易にもう秋になるのかな、なんて思いながら足で扇風機のスイッチを入れて窓辺に腰を下す。どうやら台風の影響で北風が吹きこんでいるだけらしい。過ごしやすくて良いが、無言で夏が去ってしまったようで少し寂しかったりもする。
夏の終わりとは即ち秋の始まりだ。終わりの合図が始まりだなんて、何だかとても素敵に思える。リレーでバトンが次々渡されてゆくように、さっさとこの思考も最期まで運ばれてゆくのならばどんなに楽なのだろうと思う。けれど、でも、そうして一つ一つの終わりに気が付けず終わってしまうのも、それはそれで悲しいものだ。バトンになった僕がアンカーの手に渡りゴールテープを切ったとき、ここがスタートラインなのかゴールラインなのかはきっとわからないのだから。それがわかるのは、始まりと終わりを知る走者だけなのである。
そういえば最近、友達の子供が歩けるようになった。ようやく僕の事を覚えてくれたのか、会えばニヤニヤと恥ずかしそうにする。言葉を喋って彼の主張を聞けるようになる日が楽しみだなあ、なんて面倒臭い親戚のおじさんみたいな事を考えながら、彼の未来への期待で胸を一杯にしているそのときでさえ、残念ながら気付けず終わっていった何かを沢山内包しているに違いない。
ほとんどの終わりに気が付けないまま進んでいく時間の中で終わりに気が付き、その瞬間を目撃できる事は、あるいは幸福なのかもしれない。何かが終わりを告げその悲しみに暮れているとき、それによって芽吹いた新しい何かになど気が付けない事と同様に、何かが始まりその喜びに胸を膨らませている裏で、ひっそりと終わっていく何かに気付く事はきっと困難だ。
そうだ、夏が終わってしまう前に、今度こんな夜風にピッタリの風鈴など買ってみよう。
遠くで祭り囃子の音がする。
夏の終わりもまた遠い。

時計を見る。時刻は深夜、二時四十分。
瞼を閉じて、暫く。また開いて時計を見る。今晩、こんな事をもう何度繰り返した事だろうか。
まずい、早く寝なければ、と、また目を閉じる。しかし眠る事に対し焦りが滲むと眠りに落ちる事はもう容易くない。
結局この後、僕は4時まで眉間に皺を寄せながら寝返りを繰り返し続けた。

空腹で目が覚める。不思議と目覚めが良い。妙に目が冴えている。時刻は朝、七時四十分。
八時丁度にかけたアラームを見て、あと二十分寝れたのに、と悔やむ。しかし今からもう一度眠りに付く程の眠気は、もうこの目玉の奥には残っていなかった。僕はアラームを解除した。

九時三十分。車内。
宇多田ヒカルの新曲を聴きながら首都高の渋滞と格闘。ここでようやく寝不足が祟り睡魔が僕の睫毛にぶら下がる。眠い。眠い。

十一時。会場入り。
既に多くのスタッフが準備を始めてくれている。今日という日を作る為にこんなに多くの人が携わってくれているんだという事実に、感謝と責任を混ぜ合わせたような、混沌としたエネルギーが身体を駆け巡る。

十五時。遅めの昼食。
今日のケータリングはチキンソテー弁当。おいしい。
ちなみに、僕の中のお肉カーストは、魚肉に次いで、鶏肉、牛肉、豚肉。

十六時。リハーサル。
優秀なオペレーターさんが居てくれるお陰で、とても歌いやすい。
映像のサイズやタイミング、照明機材の確認、特に問題無く済ませられた。良かった。

十七時。THE LITTLE BLACKのリハーサルを見学。
これをガレージロックと呼ぶのか。これまで聴いてこなかったジャンル、しかしむちゃくちゃカッコイイ。気だるげでグルーヴィなサウンドにあの歌声。ずるい…。

二十時。楽屋。
本番前、流れの確認。メンバーと気持ちを高め合う。その後、Aimerのポラリスを聴く。身体の中の時間がゆっくりになって、強張っていた身体が穏やかになっていくのを感じる。
いつも通りの本番前。

二十時三十五分。舞台袖。
照明が落ちると会場から拍手が聞こえてきた。これを機に身体に纏わり付いていた最後の緊張が一気に消え去る。
メンバーと円陣を組む。「良いライブにしよう」とだけ言った。ちょっと前までは円陣を組んで声出しするなんて、恥ずかしくてやれなかったのにな、とまた少し嬉しくなる。
ステージに上がる前、亮に背中を叩いてくれと言った。3回も叩かれた。痛かった。

僕一人では、何も出来ないと思っています。
しかしメンバーと居れば、何か出来るんじゃないかと思えてきます。
そしてみんなの笑顔を見ると、何でもやれると確信できます。

昨日は最高に幸せな一日でした。
みんな、ありがとう。

書くぞ!
と、抜け殻になっていた頭に透明なハチマキをきつく締め直すと、僕はまた机の前に向かった。つい1時間前に書き殴った渾身の一行は、見る影も無い程魅力を失っている。何故こんなものが、と慌てて黒で塗り潰すと、またひとつ黒いシミが増えたページを睨み返す。そんな行為を繰り返しながら気が付けば3時間。僕の握り締めたペンの先が謎の図形を描く以外に、ページの空白に着地する事はとうとう一度も無かった。そうしてまた抜け殻に逆戻りした僕は、作詞作業におけるステレオタイプに則り、かっこつけ注文をかましてしまったブラックコーヒーを啜りふうと息をついた。本当はクリームソーダが飲みたかったなあ、と思った。
窓にかかったブラインドの隙間からオレンジ色の光が差し込んでいる。いつの間にか、日はすっかり暮れていた。ああ、今日も何も進展しなかったなあ。振り返れば僕は今日、4時間もの間、喫茶店でコーヒーを冷ましながら真っ白なノートをただただ眺めていただけなのだ。なんという事だ。考えて少し恐ろしくなった。費やした時間に対する罪悪感が昨日までの分と混ざってまた少しため息の濃度を濃くした。
色々な想いに諦めを付けたあと、勘定を払い僕は店を出た。美しい夕空に目が眩んだ。
しかしまあ、よくもこんなに毎日、綺麗な空が生まれるもんだよなあ。僕は夕空が本当に大好きです。
太陽は真っ赤に変わって、赤い空の手前の方は夜が混ざって紫で、雲の模様が何とも綺麗で。もしも地球に侵略者がやってきても、この空を見たらそのあまりの美しさに破壊行為を中止してくれるのではなかろうか。
なんてくだらない事を夢想しながら、赤い空をぼうっと眺めていると、ふと口の中に蘇ったコーヒーの香りが僕を現実に連れ戻した。ああ、やっぱりクリームソーダにしておくんだった、と思った。
黄昏っぱなしの空に舌打ちをした。

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