身体が熱い。悪寒もするし身体の節々が痛む。昼過ぎまであんなに元気に動き回っていたというのに(生体活動という意味で)。
間違いなく、熱がある。ああそうか、最近は制作で言葉ばかり追っているものだから、きっと脳みそがショートしたのだ。ははあ、さてはこれが知恵熱ってやつか。なんて考えている僕の頭はこの期に及んで何か格好付けようとしている。良い大人が体調管理を怠り発熱している時点で恐らくかなり格好悪いのにだ。まったくおめでたいやつである。
体温計が鳴った。デジタル計には38.5と表示されている。通りで、と思ってすぐ、インフルエンザが流行しているというニュースを思い出してハッとした。同時にそこで紹介されていた症状と今の体調が酷似している事に気が付いて、またハッとした。体は重いし頭もお腹も痛い。これは間違いない、あれだ、今流行りの、B型インフルエンザだ!
子供の頃、病気で学校を休むとき、台風や大雪で学校が休みになるのとは少し違うわくわくがあった。カンカンに差し込む日差しを横目に行使される二度寝。自分の部屋で聞く学校のチャイムの音。今日は見れちゃう笑っていいとも。いつもより優しくしてくれる母や友人。今日、熱があるという理由を持っている僕だけが日常から逸脱できる特権を得る事が出来たのだ。
しかし大人になればその特権はただの迷惑でしかないし、周囲からの気遣いも申し訳無く感じるようになってくる。大人になれば言うまでもなく、一刻も早く完治させる事が急務なのだ。
そんな事を考えていたらまた少し熱が上がった気がした。よし、明日朝一で病院に行こう。一刻も早くウイルスを体内から排除せねば。僕はそう決めて部屋の明かりを消した。
翌朝目を覚ますと、驚く程身体が軽くなっている。
あれ、昨日はあんなに辛かったのに。
病院に行って受診してみると、ただの風邪ですねと言われた。
おかしいな、昨夜はあんなにうなされたのに。
熱もないですし、お薬は…いいですかね?と言われた。
そんな馬鹿な、昨夜はあんなに熱が出ていたのに!
絶対にインフルエンザのはずです!と検査を要求!渋々了承する眼鏡のおばちゃん看護師!鼻に突き刺さる綿棒!走る激痛!痛え!結果は陰性!ごめんなさい!
はあ、大事でなかったのは良かったが、何だか肩透かしを食らってしまった。さて、
帰ろう、と手ぶらで病院の自動ドアを出て僕はハッとした。
ははあ、これが知恵熱ってやつか。


追伸
皆さんも風邪など引かぬよう。

「なんかこの人知ってる」
と、祖母が僕に言うようになって1年余りが経った。いつも化粧を欠かさず、熊のような黒いファーコートの間からブローチを覗かせ、優しく微笑んでくれた僕の"東京のマダム"は、もう自分の名前も憶えていない。彼女の部屋の壁の真ん中、額縁に飾られた彼女の達筆な写経が、西日に照らされ化石のように光った。
僕は愛想という言葉の意味を彼女から教わった。いつもにこにこしていて人当たりが良く、自分の気持ちは隠して表面ばかり良くする人だったが、それがいわゆる都会の人ってもんなのだろう、と僕は理由付けていた。彼女が自分の気持ちを話すときは、物事の後になってぼそっと、しかも言葉にさり気ない棘を添えて呟くのが常で、さっきまで笑顔で話し合っていた相手が帰った後に、あの人はあまり良くないわね。と言ったときは、何が良くないんだろう、と思った。しかし、彼女の波乱万丈な人生を思えば、そんな狡さも僕には格好良く映ったものだった。
そんな風に記憶旅行をしながらふと、テレビ台になっている木製の棚に目をやると見覚えのある背表紙を見つけたので、何と無く手に取りページをめくってみた。それは、昔僕の生家にあったアルバムだった。
これ僕だよ。と無愛想にこちらを見つめる少年時代の僕を彼女に見せてみると、彼女はいつものようににこりと笑って、あらこの子可愛いわねえ、と言った。それが愛想笑いなのかどうかは、僕にはわからなかった。
例えば、僕の記憶を移植された彼女は、僕だろうか、彼女だろうか。何を忘れても、誰を忘れても、自分が自分をどれだけ憶えていられるかが、きっと一番大事だ。記憶というのは不思議なもので、その人の習性や癖のような類の記憶は、きっと忘却の優先順位の最後にあり、割と最後まで残り続ける。そう思って振り返ってみると「何かこの人知ってる」と僕に言った彼女の中で僕の面影は、彼女の人格が置いてあるくらい深い記憶領域のすぐ傍でまだ辛うじて息をしているのかもしれなかった。彼女が、自分自身の名前よりも強い記憶として僕の事をその頭の中に置いてくれていたんだ、と思うと、堪らなかった。
そろそろ行くよ、と通る声で母が言う。そうか、今日は3人で外食をする予定だった。ため息を一つ、アルバムをぱたりと閉じ立ち上がろうとすると祖母は、ちょっと待って、と言って引き出しから化粧道具を持ち出し、手鏡を見ながら細い唇に紅を引き始めた。しばらくして黒いファーコートを羽織ると、微笑んで僕に軽く会釈をした。口紅は子供が引いたように歪んでいたが、そこには、あの東京のマダムが立っていた。

人を待っている。
予定の時刻はもう30分過ぎているし、携帯が鳴り出しそうな気配も無い。もしかしたら日時を勘違いしたのかと思ったがそうでは無かった。待ち合わせ場所を間違えたのかも、と思い立って地図を二度程確認したが、画面上に映し出された目印は自分の足元を指している。少し前に送ったLINEにもやはり既読はついていなかった。寝坊かなあ。と思った。
すると僕は待ち惚けを食った事になるのか。ああ、無意味な時間を過ごしてしまった。そう思って直ぐに、今この時間を無意味にしようとしたのは自分自身である事に気が付いた。待っている間中惚けていたのは彼の遅刻のせいではない。
よしリベンジだ。あと10分だけ待ってみよう。それもただ受動的に待つのでは無く、能動的な姿勢を保って待ってみよう。
そうすれば、その後もし彼が謝罪と共に現れなかったとしたって、少なくともその10分間を無意味な時間と呼ばずに済む。有意味な10分間にしてやろうじゃないか。
それでは、と仕切り直して、通り過ぎる人々を見回してみた。これだけの人々のそれぞれに自分と同じような視界が広がっていて、世界を持っていて、うん十年分のストーリーを満載し今もなおその歴史の新たな1ページをめくっている最中なのか、なんて月並みな事を考えてみたら、少し怖くなった。それは多分、つい1分前まで風景だった人々が突然意味を持ち出したからだった。街路樹や道端の花が喋り出したら人間に何と言うのだろうかと想像して怖くなる感覚と近い気がした。
意味とは、最初からそこにあるものではなく、見つけるものだ。客観的に見ればこの世の全ての事や物に意味は無い。誰かにとっての意味ある何かが溢れているだけだ。そこ行く知らない人々にも、待ち惚けた僕の30分間にも、この10分間にも、意味なんて無い。それら全てに意味を持たせているのは他でも無いこの僕だ。
ポケットで携帯が鳴った。電話越しの一言目は意外にも「あ、見つけた」だった。
寝坊でも何でもなく、ただシンプルに遅くなっただけらしい。遅っそ。と言ったら、ごめんと笑いながら言ってきた。
さて何を奢って貰おうか。
そこ行く人々はもう風景に戻っていた。

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