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新元号が発表されてから、あちらこちらで「令和」まつりとなっている。
春になって、桜も咲いて、明るい気持ちになっている人が多いからでしょうか。

令和の「令」について、色々な意見やイメージがあって、テレビ番組を見ていたら、あちこちで議論が展開されていました。
「令」ってみると、命令を思い浮かべる人が多いみたいで。
そしてその「令」という意味やイメージにも、色々な解釈があるみたいです。

上から押さえつける。
下から(下にいる人が)人を上に押し上げる。
上の人が話をし、その話を下の人がきちんと聞くことにより、ひとつになる。

色々な人の解釈を聞いていると、「なるほどー」と、自分では思い付かなかった考え方も知れて、目から鱗が落ちたり、視野や考え方が広がった気がして、まさに春!という感じになる。

上から強引に押さえつけようとしたら、それだけの腕力がなければ力ずくで押さえつけることは難しい。その腕力にも色々とあるのかもしれないけれど。
下の人が上の人を決めて押し上げて、上の人を作る場合もありそう。でもこれって、本人の望みならいいけれど、場合によっては、どっちが命令してるんだかわからない。
でもその押し上げられた人には、その押し上げられた理由があるんでしょうね。これも色々な理由がありそう。
でも、自分たちで命令して押し上げた人に命令されたら知らんぷり。しかも押し上げた直後に。なんてことになったら、目も当てられないけど。だってこれじゃ、ただの嫌がらせのための押し上げになっちゃう。
で、上の人と下の人がうまく噛み合って協力できる状態になれば、ひとつになって、それこそ「和」が生まれそうですね。
もしかしたらキレイな丸じゃなくて、イビツだったり、どっか尖ってたり、デコボコかもしれないけど、丸は丸。

他に、平和を強要されているみたいで嫌。
みたいに感じる人も少なくないかもしれないけれど、平和を望みながらも強要されたように感じたら反発したくなる。人もいそう。
過去を振り返ると、そんな心境になったことが自分もあり、人の心理って複雑で難しいね。
特に、学生時代の勉強とか。

でも、そもそも平和とはどんな状況なんだろうな。
とも思う。そして考えてみる。
それがもし何事もない、平穏な状態だとしたら、その先には何が待っているのかな。と。
仮に、平穏な状態だとしたとして、その状態を作るためには、何が必要なのだろう。と。
そもそも平穏な状態ってどんな状態なの?
俗にいう極楽浄土?なら、地球上での極楽浄土ってどんな状態?
と、思考の迷路に迷い込むのである。

それにしても、新元号発表早々に、漢字ひとつで色々な議論があちこちで展開されるということは、令和時代はそのような時代になるってことなのでしょうか。
同時に、明るさもあるのであれば、やはりそんな時代なのでしょうか。

先のことはまだわからないけれど、切なる願いが叶うことを、わたしも切に願わずにはいられない。