堀江貴文さんのライブに行かれたファンの方から、「特許について、堀江さんが西野さんと同じようなことを話されてましたよ」と教えていただいた。

『お金の奴隷解放宣言』と題し、『えんとつ町のプペル』を無料公開し、著作権もフリーにした。
その理由はたくさんあるが、そのうちの一つは、「お金なんかより、信用を稼いだ方が強いから」だ。
の感覚は、クラウドファンディングやオンラインサロンをやると確かな手触りを持って掴むことができる。
堀江さんは、その第一人者みたいな人なので、当然同じ考えになる。というか、僕が後追いしているんだろうな。
 
この辺の話は、僕なんかよりも、藤原和博さんの方が1000倍上手なので、藤原和博さんに聞いてみてくださいな。

さて。

『お金』と『信用』のパワーバランスか大きく変わった現代における『著作権』の必要性については、10月に発売される『革命のファンファーレ ~現代のお金と広告戦略~』で詳しく書かせてもらっている。

んでもって、「お金なんかよりも、信用の方が大切だ」と言っちゃっているので、もう今から中身を全部見せちゃう。
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そこは、お任せします。

というわけで、『革命のファンファーレ ~現代のお金と広告戦略~』(幻冬舎)より、『現代の著作権の必要性について』です。
どうぞ。


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「著作権」は本当に必要か?

 

 

 

「えんとつ町のプペル」の著作権を放棄した理由

 

『えんとつ町のプペル』で無料化したものは、Web上の絵本だけではない。

思いきって『著作権』を放棄してみた。

厳密に言うと『著作権』は僕にあるが、"ナアナア"にしてみた。

道徳的にセーフであれば、黙認している。

 

どこぞのオバチャン劇団から「ウチの劇団で『えんとつ町のプペル』の演劇をやりたいんすけどー」と言われたら、「どうぞどうぞ、原作を勝手に使ってください」だし、「『えんとつ町のプペル』のクリアファイルを作りたいんですけどー」と言われたら、「『売り上げの何%よこせ』とか言わないので、どうぞどうぞ」。

企業さんから言われた場合のみ、お代をいただく場合があるが、そこもナアナアにしている。

滋賀県では『えんとつ町のプペル』のラッピング電車が走っている。これは

Twitterの投稿で知った。

AV業界に明るい友人が言うには、現在『えんとつ町のプペル』をモジった『チン凸待ちのアナル』というAVの企画が進んでいるらしいが、これも面白いから完全にオッケー。

発売されたら絶対にシェアするし、できれば撮影に立ち会いたい。

 

何故、著作権をフリーにしたか?

 

その理由は『目的』にある。

『えんとつ町のプペル』における僕の目的は、お金持ちになることではなく、絵本『えんとつ町のプペル』を一人でも多くの人に届けることだ。

著作権をフリーにすることで、演劇に使われる。

著作権をフリーにすることで、クリアファイルに使われる。

広告というのは、CMやポスターやフライヤーだけではない。演劇やクリアファイルで絵本『えんとつ町のプペル』の存在を知る人もいる。立派な広告だ。

しかも、本来、広告はコチラがお金を出して作ってもらうものなのに、今回のケースだと、作り手が勝手に制作費を出して、勝手に宣伝してくれるというのだから、こんなに有難い話はない。

これらは、入口でお金を取ってしまっていたら、失っていただろう〝可能性〟だ。

演劇で『えんとつ町のプペル』を知ってくれた人の一部が、クリアファイルやラッピング電車で『えんとつ町のプペル』を知ってくれた人の一部が、「『えんとつ町のプペル』を買おう」と思ってくれれば、それで良い。

僕の目的はそこだ。

 

そもそも何故「著作権」が存在しているのか?

 

 『えんとつ町のプペル』の著作権をナアナアにした理由はもう一つある。

 そもそも「なぜ著作権というものが存在しているのか?」と考えてみたのだ。

その答えが「著作権、要らねーや」の二つ目の理由になったので、そちらを説明する。

 

インターネットで世界中が繋がっていなかった時代つまり、歩いて行ける範囲の人としか繋がっていなかった時代の"自分を取り巻く人口"を仮に10人とする(自分を除いて)

一方、インターネットで世界中が繋がった時代つまり、歩いていけない範囲の人とも繋がれる現在の"自分を取り巻く人口"を仮に1億人とする(自分を除いて)

 

かつての僕らは10人しかいない世界で生きていたわけだ。

そんな中で、たとえば一生懸命それこそ1年間を費やして、とびっきり可愛いキャラクターを産み出したとしよう。産み出すまでの間の収入はゼロだ。

となると、このキャラクター権利を"販売"しないことには生きていけない。

販売しないことには、10人に無料で使われて、収入は無く、食いっぱくれてしまう。

なので、「僕が考えたキャラクターを使うなら、お金を払ってください。無料で使用しないでください」となる。

 

一方、1億人の世界だとどうだろう?

同じように無収入で1年間を費やして、可愛いキャラクターを作ったとする。

ここで販売することを放棄し、1億人に無料で使われたら、10人の時と同じように食いっぱくれてしまうのだろうか?

いやいや。10人に使われた時と違って、そこには1億人が使っている」という価値が生まれる。

その瞬間、どこぞの企業から「1億人が使っているあなたのキャラクターとコラボをしたい」という話がくる。

その瞬間、「1億人が使っているキャラクターを産み出した作者の話が聞きたい」と、講演会や書籍出版の話がくる。

 

当然、「いやいや、1億人相手であろうと、使用料はいただきますよ。全員が払わなかったとしても、100万人がお金を払ってくれたら、私は十分生活できますので!」という選択肢もあるが、「無償で提供しても、1億人に使ってもらえたら後でいくらでもマネタイズができる」という選択肢もある。

ただ確実に言えることは、人口が10人だったら、後者の選択肢はないわけだ。

 

著作権の必要度は人口に左右される

場合によっては著作権を放棄した方が売り上げが伸びる場合もある。それはその時々で、〝権利を行使できる立場にある人間〟の目的によって、最善の選択肢を選べばいい。

「著作権をフリーにしたら食いっぱくれるだろー!」と怒鳴りこんでくる人に対して、ここで言っておきたいことは「時と場合によるよ」ということ。

 

「貯金」から「貯信」の時代へ

 

そして、もう一つ。

お金の為の著作権なら尚のこと、権利を解放し、できるだけ多くの人に無料で使ってもらい、そのことで多くの人の生活をバックアップし、「使わせてくれてありがとう」という信用を稼いだ方が良い。

そこで稼いだ信用は、クラウドファンディングやオンラインサロンといった「信用をお金に両替する装置」で、必要な時に必要な分だけ、お金に両替すればいいのだから。


たとえば「ジャンケン」。

ジャンケンには著作権がないけれど、「ジャンケンを考案したのは誰なのか?」という所在が明らかになってさえいれば、ジャンケンの考案者は今、その貯まりに貯まった信用を使って、いくらでもお金を作ることができるだろう。

 まもなく『貯金』の時代が終わり、信用を貯める『貯信』の時代が来る。というか、もう来ている。

 信用を貯めることが力を持つ時代に本当に著作権は必要なのだろうか?

 自分の目的は何であるのか?

何の為の著作権なのか?

いちいち問いを立てていこう。    




~2017年10月発売『革命のファンファーレ ~現代のお金と広告戦略~』より~ 

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