少し長いですが、とても面白い話なので、最後まで耳を傾けていただけると嬉しいです。

僕のクラウドファンディングの支援総額がまもなく1億円を突破します。
僕は、これからは『信用』が力を持つ時代だということを、身をもって知っています。
おそらく、国内トップレベルで知っていると思います。

たとえ仕事だろうと、美味しくないものを「美味しい」と言ってしまう(嘘をついてしまう)ことが、この"筒抜け"の時代において、いかにリスクが高いことなのかも、僕は知っています。

徹底的に、嘘をつくことを辞めました。
嘘をつかなればならない仕事は全てお断りしています。

相手が大先輩だろうが、
所属事務所だろうが、
出版社であろうが、
テレビ局だろうが、
疑問に感じたら声を上げるようにしています。(※ムカついたら帰ることもあります)

僕にとっては、それら権力との繋がりよりも、お客さんとのダイレクトな繋がりの方が遥かに重要なので。
お客さんに対しては絶対に嘘はつきません。


その上で。

先日、前田裕二さんの新刊『人生の勝算』を、このブログで紹介させていただきました。

紹介どころか、『はじめに』を全文公開しました。
まもなく、『人生の勝算』はAmazonランキングで1位を獲得。
本当にたくさんの方が、動いてくださいました。
本当にありがとうございます。
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ここで明らかにしておきたいのですが、前田さんから、新刊の宣伝の相談は受けていました。
ただ、届ける作品が面白くなかったら、僕は絶対に宣伝に協力しません。
お客さんを裏切ることになってしまうからです。

僕が宣伝に協力した理由は、前田さんの人生や文章に確かな強さがあったからに他なりません。
こういった考え方や作品が、もっともっと増えると、世の中が面白くなるだろうなぁと"僕が"思ったので、全力で宣伝することに決めました。

自分のことであろうと、
他人のことであろうと、
有名であろうと、
無名であろうと、
イイものは、大きい声で「イイ!」と言いたいです。

『人生の勝算』はイイです。とっても。

それが、僕の友達が手掛けた作品であったことが僕の最近の自慢です。

前田さんと編集の箕輪さんと3人で、『人生の勝算』を一人でも多くの方に届ける方法を連日探しています。

一人でも多くの人に、この本を見つけてほしいので、今日は第1章を丸々アップします。
『人生の勝算』を買うか買わないかは、これを読んで決めてくださいな。
『絆とお金』に関する、とても面白い体験レポートです。

今回も覚悟をもって、中身の公開を決められたので、「おもしろかったぞ!」と思われた方はシェアしていただけると嬉しいです。

↓↓↓
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《第1章 人は絆にお金を払う》

 『原点となるギター弾き語り時代』
 
 
8歳のときに両親を失って以来、連続して、いくつかの逆境を経験しました。その中でも、お金に関して不自由であったことは、自分自身、大きなコンプレックスでした。与えられた環境や運命を、本気で恨んで、忌み嫌ったこともありました。自分の不遇な運命を変えるために、とにかく稼ぎたい、お金を持って、自由になりたいと、強く思うようになりました。
 
 
アルバイトをしようにも、小学生だから雇ってもらえない。お金を稼ぐために、色々な手段を検討したのですが、最も自分に適していたのが、路上で弾き語りをし、そこで道行く人を感動させて、おひねりをもらうこと。
 
 
アコースティックギターを持って、当時住んでいた東京都葛飾区や足立区の路上で弾き語りを始めました。
 
 
駅前に立つようになって、最初に演奏していたのは、歌詞と曲を自分で考えた、オリジナル曲。誰かの曲をカバーするよりも、ここでしか聴けない自分独自の曲を歌う方が、価値が高いと思っていました。しかし、結果は真逆で、お客さんはほとんど立ち止まってくれない。
 
 
必死に考えました。なぜこんなに一生懸命歌っているのに立ち止まってさえくれないのか。もっと歌がうまくなれば良いのか。演奏技術を上げるべきなのか。
 
 
そもそも、自分がお客さん側の立場だったらどうか。僕の演奏に、足を止めて、耳を傾けるのか。そうやって、あくまでドライに、通りかかるお客さん側の目線に立って考えました。「自分だったら立ち止まるだろうか」と。答えはNOです。何となくみすぼらしい感じの小学生が路上で演奏していても、「ちょっと怖いな」と、避けて歩いてしまうのではないか。
 
 
そこで僕は、戦略を練り直すことにしました。具体的には、まず、歌う曲を、オリジナル曲からカバー曲に切り替えました。
 
 
この裏側で立てていた仮説は、「未知より既知」です。つまり、音楽という分野においては、人は、新しく触れる未知のコンテンツではなく、「どこかで聞いたことのある」、既知のコンテンツにこそ琴線を揺さぶられるのではないか、という発想です。クラシックでも、ロックでも、自宅でテレビを見ていても、気持ちが高まるのはいつでも、「みんなが知っているあの曲」が流れるタイミングです。「駅前を通る人々の耳においても、同じことが言えるのではないか」と思い立ち、すぐに行動に移しました。
 
 
こうして、「未知より既知」という仮説をベースに、僕は当時流行っていたアーティストの曲を練習して、ひたすらカバー曲を歌うことにしました。お客さんの反応も見ながら、どんどんレパートリーも増やしていきました。
 
 
すると少しずつですが確実に、立ち止まってくれる人の数は増えていきました。この辺りから、仮説を立てて、行動に移し、着実に結果が出ていくことの楽しさを感じ始めました。「ちゃんと作戦を立てれば、自分の思い通りの結果に導けるんだ」そんな風に感じたのを覚えています。
 
 
でも、そこに次の課題が降りかかります。それは、ギターケースにお金が一向に入ら ないこと。忘れもしない初月の売上は、100円玉を三つ、あとは 50 円玉と 10 円玉をいくつかもらって、500円ちょっと。なぜだろうか。そこで考えた仮説は、「葛飾区の住民は、人に恵むほどには余裕がないのではないか?」というものでした。であれば、東京の東側や辺境に帰ってくる人ではなく、中心部に帰っていく人向けに歌った方が、効率的に良質なファンを増やせるのではないか。
 
 
今思うと、偏ったひどい考え方なのですが、当時は本当に「お金を稼ぐこと」に必死で、時折100円玉を投げ入れてもらえる程度では、絶対に食べていけないと思いました。ちょっと変わっていたのですが、当時の自分にとって、弾き語りをすることの大義は、「音楽による自己表現」ではなくて、シンプルに「音楽で食べること」でした。それなのに、1ヶ月に500円はまずい、と。
 
 
それから、葛飾で稼いだ500円を使って、電車に乗り、港区白金に移動しました。帰り道のお金は、何とかなると思っていました。いざとなれば、白金から、ヒッチハイクをして帰ってこようと思っていました。
 
 
白金を選んだのは、漠然とセレブのイメージがあったからですが、今思うと偶然にもそれは良い判断でした。
 
 
場所を変えて、まずは今まで通り、当時流行っていて、かつ自分が好きだった、ゆずや 19 のカバー曲を歌っていました。が、今度は、葛飾ほどにはお客さんが立ち止まらないという壁にぶつかります。よく観察してみると、街行く人の雰囲気が少し変わっていました。まず、身ぎれいな大人の女性が多いと感じました。
 
 
彼女たちの足を止めるために、「未知より既知」の原則に立ち返って、彼女たちが必ず知っていて、好きな確率が高い曲を歌いました。まず「必ず知っている」ことを担保するために、必ずしもその時代に流行している曲ではなく、往年の名曲にしようと思いました。好きな確率が高いという面においてもやはり、大人が青春時代に聴いていたであろう曲や、母親によく連れていってもらっていたスナックやカラオケで大人が歌っていたような昭和の歌謡曲が良いだろうと思いました。
 
 
例えば、松田聖子やテレサ・テン、美空ひばり、村下孝蔵、吉幾三、小坂明子などの曲を練習して、歌いました。その成果は、思ったよりも早く出ました。多くのお客さんは「どうしてそんな古い歌 を知っているの?」と、僕が歌う曲と見た目、すなわち小学生であることのギャップに、興味を持ってくれました。
 
 
ここから僕は工夫を重ね、半年後には、多いときには月 10 万円ほどのお金がギターケースに入るようになっていました。
 
 
半年間で、どんな工夫をしたか。
 
 
試行錯誤の中でわかった最も重要なことは、「濃い常連客」を作ることでした。そのためには、大きく分けて、三つのステップがあると最終的に気付きました。
 
 
1ステップ目は、街行くお客さんに、会話のキャッチボールが成立する、「コミュニケーション可能範囲」に入ってきてもらうことです。駅前を通りゆく人のほとんどは、何か話しかけられるのが怖いとか、図々しく投げ銭やCD購入を促されるのではないかとか、そういった理由で、心理的にも、物理的にも、素通りしていきます。見たとしても、遠巻きに眺める程度。そういった人たちを、どう惹きつけるかが勝負です。
 
 
僕の場合、お客さんがぐっと近くに来てくれるようになったのは、曲のセットリスト(当日歌う予定の歌を一覧にしたもの)を書いた、手書きのボードを掲げてからです。
 
 
松田聖子やテレサ・テン、吉幾三などと書いてあると、街行くお客さんは、「小学生が歌謡曲を歌うの?」「吉幾三って……まさかこの子が?」という疑問を持ちます。テレサ・テンの『つぐない』を見て、「あなた、『つぐない』の歌詞の意味わかるの?」と大人の女性が尋ねてきます。「あっ、不倫の歌ですよね」と返すと、驚いたり、笑ってくれたりします。
 
 
この、通りかかった人が素通りできないような、つっこみどころを自分の中にどれだけ作れるか。この発想が功を奏しました。
 
 
2ステップ目は、リクエストを受けることでした。それも、時間差で。お客さんとコミュニケーションを取れるようになった後は、より密度の濃いやりとり を繰り返して、親近感を持ってもらうことが大切です。そのために僕はお客さんの歌のリクエストに応えました。知らないオリジナル曲を歌われるより、自分の聴きたい曲を自分のためだけに歌ってもらう方がお客さんは嬉しいし、応援したくなる。
 
 
そして、僕はお客さんとの絆を深めるために、リクエストに応える際に、一つ工夫を凝らしました。それは、「時間差でリクエストに応える」こと。もちろん、最初の頃は、ほとんどのリクエスト曲が歌えないので、結果、リクエストを受けた日から少し練習の時間をもらって、また披露する、という流れがほとんどでした。
 
 
しかしこれは、自分がすでに歌える曲を歌う際にも、同様でした。初めは、リクエストをもらえること自体が嬉しくて、完成度が低くても、その場で歌っていました。もちろんそれでも、一定の絆がそこに生まれる感覚があったのですが、いまいち心の奥底で通じ合う感じがしない。そこで、リクエストを受けたときに、ちょっとした「ふり」をすることにしました。
 
 
僕の『赤いスイートピー』を聴いてくれたある 40 代くらいの女性から、「『白いパラソル』って知ってる?」と、リクエストされたことがありました。本当はすぐにでも歌えるのに、「知らないので今日は歌えません」と答えました。
 
 
このように答えた背景には二つあります。
 
 
一つは、僕がそこでどんなに上手にその歌を披露しても、それではたいした対価を得られないとわかっていたから。つまり歌のうまさで勝負をしても、その価値は松田聖子さんのライブには到底かなわない。本人のライブでも観客が5000〜1万円払うかどうかなのに、僕のカバー曲に、同額を支払うことはないだろう。これが一つ目の理由でした。
 
 
二つ目は、歌のうまさや表現力で勝てなくても、お客さんと心を通じ合わせる度合いなら勝てるかもしれない、と思ったから。お客さんがギターケースにお金を入れる理由が、「歌が上手だったから」という表層的なコンテンツ起因ではなく、「心が揺れ動いたから、通じ合ったから」という感情起因であれば、松田聖子さんにも勝てるかもしれない。
「今日は歌えないのですが、来週の水曜の同じ時間に、もう一度この場所に来てもらっても良いですか?」そう言って、次回の約束を取り付けました。
 
 
きっちり約束の時間に来てくれた女性に、僕は心を込めて、『白いパラソル』を歌いました。すると、この僕が歌う『白いパラソル』が、この女性にとっては特別なものになります。下手をすると、松田聖子さんご本人が歌う『白いパラソル』よりも、価値を持ち得ます。
 
それは、僕が歌う「曲そのもの」ではなく、1週間という時間にお客さんが思いを馳せて、その過程自体に強いストーリー性を感じてくれるから。演奏や歌が荒削りでもまったく構いません。「私のためにこの1週間ぶっ通しで練習をしてくれたのか。どこで曲を覚えたのだろう。楽譜はどうしたのだろう。きっと、お金もないだろうに……」と、単純にカバー曲を披露したときとは違った種類の感情移入や共感が、そこに生まれます。
 
 
そして、そこで生まれた価値は、往々にして、非の打ち所のない上手な演奏など、パッケージされたコンテンツの価値を上回って、人の心に深く突き刺さります。付随して、色々な世間話をしたり、お互いの身の上話をしたりして、お互いを一人の人間として認め合い、「ヒト対ヒト」の絆を作ります。
 
 
駅前に出ると、つい、「私の演奏を聴いてください」という、供給側の論理に立った 一方通行なスタイルを取りがちですが、それでは「モノ(演奏)対ヒト」の関係になってしまっていて、ダメなのです。絆を醸成するには、モノを一方的にぶつけるのではなく、他者への想像力と思いやりを持って、「ヒト対ヒト」の関係性を築くことに意識を集中させねばなりません。
 
 
そして、ここまできてようやく、とどめの3ステップ目です。ここで初めて、仲良くなったお客さんに、オリジナル曲を披露します。前述の通り、何も関係性のない通りすがりの人々にオリジナル曲を歌っても、誰も聴 いてくれません。でも、すでに特別な絆が出来上がっているお客さんは、僕が作った曲に深く耳を傾け、詩もメロディも心で噛み締め、感動してくれます。『白いパラソル』を披露した女性は、(これが初めての経験でしたが)ギターケースに1万円札を置いていってくれました。
 
 
僕の歌が別にうまくなったわけではない。では、最初と今とで、何が違うのか。
 
 
答えは、絆の深さです。
 
 
最初は0だったお客さんと自分の間にある絆が、時間をかけて、じっくりと育っていく。当初は誰も興味を持たなかったオリジナル曲に、いわば「絆」という名の魔法をかけて、まったく別の価値ある曲に昇華する。こうして、いくつものストーリーを共有するうちに、お客さんは、決して裏切ることのない常連さんになっていきます。
 
 
この魔法によって生みだされるのが、「コミュニティ」と呼ばれる、絆の集合体です。コミュニティ形成は、これから、どんな種類のビジネスにおいても、外せない鍵になると思っています。理由は二つあります。
 
 
第一に、コミュニティには、現代人が価値を感じる要素が詰まっているからです。表層的なコンテンツ価値以上に、絆、すなわち、心への強い紐付きや、裏側にあるストーリーに価値を感じて人が消費をすることは、前述の弾き語りの事例でお伝えした通りです。そして、売上・収益が、人がどれだけの価値を感じたかを表す指標であることを考えれば、自らのビジネスの周辺にどれだけ濃い絆・コミュニティを形成できるかは、ビジネスの成功を語る上で、決して無視できない要素になるはずです。
 
 
第二に、絆やコミュニティ作りの成功において、先天的な要因はほとんど関係がないからです。コミュニティの成功に影響を与える最大変数は、後天的な努力の絶対量です。これが、限られた誰かに与えられた才能や特権であるなら、話は違います。
 
 
しかし、正しい方法論で十分量のアクションを踏めば、誰もが良質な絆とコミュニティを生みだすことができて、その結果、現代に沿ったスタイルでビジネスを加速させることができます。しかもこれは、アーティストや音楽、エンタメ分野に限ったことではなく、あらゆるビジネスにおいて適用でき、価値を増幅させ得ます。
 
 
この、「後天的な努力によって、頑張った人が報われる」という世界観は、SHOWROOMのビジョンにも通じています。
 
 
これは、バンド活動にのめり込んでいた、大学時代に思ったことです。仮に僕に、例えばビートルズのような天賦の音楽的才能があれば、純粋に表現者としてのクオリティを磨くことに心血を注ぎ、一流のプロを目指すという道もあったのかもしれません。音楽を通じて、広く深く、世界に影響を与えることができたから。ですが、もし自分にそんな才能がなかったら?
 
 
考えると、ぞっとしました。もし良いところまで行ったとしても、後天的努力で影響を与えられる範囲は、おそらく、ものすごくうまくいったとして、数万〜 10 万人程度だろう。そう思いました。
 
 
先天的な音楽の才能がなくとも、①絆、②絆の集合体であるコミュニティ、そして、③コミュニティの集合体であるプラットフォームさえ作れれば、影響の範囲を乗数的に広げていくことができる。いわば、ビジネスを通じてであれば、影響範囲とその深さという観点で、ビートルズにさえ勝てるかもしれない。自身の野望を、音楽家ではなく、偉大な事業家になることに定めたのは、そんな背景がありました。
 
 
世界中のあらゆる人が、後天的な努力や熱量によって自らの周辺に絆を生み、それら絆が集まりコミュニティになる。そして、そのコミュニティがビジネスへと進化するプラットフォームが存在することで、歌やダンス、お笑い、絵、小説、スポーツなど、ある特定分野への熱量や偏愛を持った世界中のクリエイターたちが、好きなことで生きていけるようになる。そんな未来を描いて、SHOWROOMを立ち上げ、運営していますが、コミュニティを築く上で大切な本質は、実は、意外なところに詰まっていて、そこから多くの気付きを得ました。
 
 
その意外なところとは、スナックです。
 
 
 
なぜスナックは潰れないのか
 
 
僕は、地方出張に行くと、必ず現地のスナックを訪れます。その度に、「すべてのファンビジネスの根幹はスナックなのではないか」と思わされるような学びを得ます。家族の影響でもともとスナックは身近な存在でしたが、大人になってまた、スナックに潜む、永続するコミュニティの本質に気付かされています。
 
 
例えば、地方や下町の外れなどで営業している小さなスナックは、どう見ても流行っているわけではなさそうなのに、なかなか潰れません。このスナックは、できてからどれくらいですか?と聞いてみると、大体、 15 年とか、 20 年とかの期間、商いを続けてきているケースがほとんどです。
 
 
なぜか?
 
 
まず、コミュニティとは直接関係ない少しドライな話ですが、単純に財務面において、潰れにくい設計ができている、ということが当然あります。これは、よくよく考えてみると当たり前ですが、スナックは構造的にコストを最小限に抑制しながら売上を作れるビジネスモデルになっています。固定費について、スナックの多くは、オーナーであるママの自宅を改装して営業することが多く、家賃がほとんどかかりません。加えて、従業員もママとバイトの子くらいで回していることが多く、最小限に抑えられています。
 
 
同様に、スナックにおいては、メニューは薄めのお酒に定番の乾き物を用意しておけばお客さんを満足させられるので、売上に伴ってかかる変動費も抑えられます。ベースとして、潰れるリスクの低い業態になっているのです。固定費・変動費共にかさむ、キャバクラやラウンジ、クラブは、同じ水商売でも、潰れやすさという観点では、スナックとは似て非なるものです。
 
 
すなわち、キャバクラなどは、それなりに稼がないと商売が成り立たないのに対して、スナックは、損益分岐点が低く、ビジネスとして収益化のハードルが高くないというのが、ママのまったり経営でも潰れない理由の一つです。
 
 
 
モノ消費からヒト消費へ─スナックの客は人との繋がりにお金を払う
 
 
ここまでは表層的なビジネスモデル上の話ですが、より重要なのは、コミュニティビジネスという文脈において、スナックが持つ特徴です。
 
 
スナックに行くとすぐに気付くことですが、スナックには、それほど特別なお酒もなければ、美味しい料理もありません。大体、ごく簡単な乾き物が出てきたり、ママが作ったアットホームな煮物が出てきたりするくらいです。
 
 
ここで重要なのが、お客さんは、これら表層的な何かを求めてスナックを訪れているわけではない、ということです。つまり、目的が明確な「モノ消費」ではない。
 
 
廃れゆく商店街の中で、スナックがなぜ最後まで潰れないのか、という議論がありますが、これには、大きく二つの背景があります。第一に、人がスナックにお金を払う背景には「ヒト」が深く関わっていること。第二に、「モノ」ではなく「ヒト」が消費理由になる場合、そこには「絆」という対価が生じているので、ちょっとやそっとではその価値が消滅しにくい、ということです。
 
 
商店街にある花屋さん、お肉屋さん、魚屋さんで、花や肉、魚を買うのとは、同じ消費でも、その理由が異なります。これら、単純に機能的価値やコンテンツそのものを欲して対価を支払う「モノ消費」は、景気や需要に大いに左右されます。しかし、スナックは違います。
 
 
コミュニティにおける絆をベースにして、より賞味期限が長く普遍的な、所属欲求や承認・自我欲求も満たされ得ます。果ては、ママの親身なアドバイスによって、つい人に言えない内面の弱さや悩みなども吐露してしまい、「本当のあるべき自分でいたい」といった自己実現欲求にまで消費理由が昇華していきます。
 
 
以上のように、スナックでは、ママとの人間的な繋がりや、絆の対価として、お金を払います。これは、小学生の僕の弾き語りに、1万円の値段がついたのと同じ理屈です。スナックの売り物は、ママの人柄、および、ママや常連客との温かいコミュニケーションです。
 
 
コミュニティが形成される上で、5つのエッセンスがあります。これらはすべて、スナックコミュニティという現象から抽象化できるものです。
 
 
最初の二つは①余白の存在、②常連客の存在です。コミュニティを作る上では「余白」が重要になります。そして、スナックにおいては、ママ自体が、確かな余白として設計されています。ママは若くてきれいな女性である必要はなく、例えば一緒にお酒を飲んだお客より先 に潰れても良いし、どこか頼りなくても良い。プロフェッショナルとしては、粗だらけ
です。でも、その未完成な感じが、逆に共感を誘い、仲間を作ります。みんなでこのマ
マを支えようという結束力が生まれ、コミュニティが強くなります。
 
 
僕がよく行くスナックでは、ママが本当にずぼらで、すぐに酔い潰れてしまうので、お客さんがグラスを洗ったり、お酒を作ったりしています。これは、普通のレストランでは考えられないことです。もはやお客さんと店員の境目がなくなっているのです。一度、店員というゾーンにまで行ってしまったお客さんは、お店が自分の居場所であり、守るべき城だと思うようになります。
 
 
高いロイヤリティを感じるようになるので、お客としても、当然通い続けることになります。「今月はお店が苦しそうだから、ボトルを1本多く入れよう」とか「飲み放題だけど、高いお酒を頼みすぎないようにしよう」など、お客さんながら、完全にお店側の目線で行動を起こすようになります。
 
 
強いコミュニティにおける二つ目のポイントは、「常連客の存在」です。スナックは、一見さんが入りにくい雰囲気になっていることが多いです。これは、スナックというビジネスモデルが、長年通っている「常連客」によって成立しているからです。「常連客」も「余白」と並ぶコミュニティの大切な要素です。空間をなるべく閉じられたものにすることによって、「俺たちだけの場所」といった具合に、常連さんの所属欲求をより掻き立てているのです。
 
 
東京・四谷のある有名なスナックは、電話しても直接行っても決してお店に入ることは許されず、常連の紹介がなければ入れません。「信頼している人からのクレジットこそが新しい信頼を生む」という、これもコミュニティにおける鉄則です。
 
 
ちなみに、スナックでは、よくトラブルが起きます。閉ざされた狭い空間で身近な距離の人たちがお酒を飲んでいるわけですから、無理もありません。ポイントは、コミュニティの深まりや永続性を考える上で、この「トラブル」というのが非常に重要である、ということです。
 
 
僕も何度も、トラブルに遭遇しています。例えばあるスナックでは、朝方まで皆で飲んでいて酔っ払ったところで、ママと一番の常連さんが取っ組み合いの喧嘩になりました。すると、スナックでは、全員が止めに入ります。空間が狭いので、普通のレストランで問題が起きたときのように、無視するわけにはいきません。その意味では、スナックという閉鎖空間に入った時点で、コミュニティは実はすでに始まっているのです。僕も気付けば、「まあまあそう怒らずに」「あんたも言いすぎだよ」と、両者をなだめていました。
 
 
コミュニティが深まる要素として、前述の①余白があること、②クローズドの空間で常連客ができること、以外に、③仮想敵を作ること、④秘密やコンテクスト、共通言語を共有すること、⑤共通目的やベクトルを持つこと、の三つがあります。
 
 
トラブルが起きた朝方のスナックでは、まさにこの三つが同時に成立しています。③「仮想敵」の観点では、ママを責める常連客は、まず皆の敵になり、ママを皆で守ることで結束が強ります。④「秘密共有」の観点では、このトラブルのことは、他のお客には言わないで、我々だけの胸にしまっておこう、という共通認識やコンテクストが出来上がります。⑤はこれは③と似ていますが、このお店のトラブルを解決する、という一つの目的にそれぞれが向かっていくことで、絆が生まれます。
 
 
ここまでくると、お客さんは本当に離れられなくなり、コミュニティはより強くなっていきます。
 

~『人生の勝算』より~