おはようございます。人生で3度目か4度目かのプチブレイク中のキングコング西野です。

このたび、『Discover Japan』に続き、雑誌の表紙(&特集)を飾らせていただくこととなりました。
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(Discover Japanをお求めの方は→コチラ)

雑誌の表紙(&特集)を飾らせていただくのは、今年2度目。
その雑誌というのが、コチラ
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話題のイラストレーターさん達を取り上げ、その人の制作現場やロングインタビューなどを展開している『イラストレーノート』です。
表紙は僕の顔ではなく、僕の絵本の絵です。

中の特集は、『革命の正体』と題して、初の超分業制で作り、あらゆる手法を駆使して届けた『えんとつ町のプペル』の制作と流通の背景をネホリハホリ。
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さて。

主にイラストレーターさん(作家)が取り上げられる雑誌の表紙なんぞを飾ると、イラストレーターを名乗る人達から「芸人のクセに生意気だぞ」といった恐ろしい声が届いてきます。

これが分かりやすいことに、
イラストレーターとして食べていけている人達からは何も言われず、
"ピザ屋さんや引っ越し屋さんといったアルバイトで生計を立てつつイラストを描いているイラストレーターさん達"から言われます。

少し踏み込んだ表現をすると、
"世間から『イラストレーター』と呼ばれている人"ではなく
"自分から『イラストレーター』と名乗っている人"から、言われます。

ここで、その人達に確認したいことは一つだけ。
「あなたは、一日何時間、筆を握っていますか?

一日の、まあまあの時間をアルバイトに奪われていて、その残りの時間をフルコミットしたとしても、せいぜい4~5時間といったところではないでしょうか?
場合によっては「今日は疲れたので、筆を握らずに寝る」という日もあるかもしれません。

このイラストレーターさんの一件は、ただの一例で、
僕が今、やんわりと批判しているのは、イラストレーターさんではなくて(ここだけは間違えないでね。ここだけ切り取らないでね。僕は頑張っている人を否定しません)、『肩書き』という文化です。

コミットしている時間が1日に1分かもしれないのに名乗ることができてしまう『肩書き』というものに何の価値(信用)があるの?という話です。

肩書きの本質は「俺は、この仕事で食べていく!」という"決意表明"で、
それは自分との向き合いであるので、自分を奮い立たせる為に自分が何を名乗ろうが自由だとは思うのですが、どのタイミングからか、決意表明であったハズの『肩書き』が、資格や証明書のように扱われ
ついには「芸人のクセに、イラストを描きやがって」と『肩書き』を盾に、他人の決意表明に口を挟みだすと、もう違和感しかありません。

人は、各々銘々、他人とは共有できない事情があって、タイミングがあって、環境があります。全員違う形をしています。
「芸人のクセにイラストを描きやがって」と口を挟んでくる、ビザ屋でアルバイトをしているイラストさんに、「お前だって、イラストレーターのクセにピザ屋で働いてんじゃねーか」と返したら2秒で論破できるのですが、そのやりとりからは何も生まれません。不毛不毛。

いつも話をこじらせ、いつと誰かの首を絞めている諸悪の根元は『肩書き』という文化じゃねーかしら、と思っております。
『肩書き』で人生を縛り、身動きを封じるのではなくて、もう少し『肩書き』をカジュアルに捉えた方が良くね?という提案っす。

ちなみに、吉本興業が公式に発表している今の僕の肩書きは『へんてこロボット博士』です。
ロボットを研究したことなど1秒もありません(*^^*)
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【追伸】
今年の夏からは古本屋の店主になります。






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