100歳を迎えた方々に国から贈られる純銀製の「銀杯」が2016年度から、銀メッキ製など安価な素材に変更された。
言うまでもなく経費削減なんだれど、これが何を意味するかというと「平均寿命がグイグイ伸びて、100歳オーバーが当たり前になっちゃった」ということ。
60歳で定年退職しようが、僕らはもう100歳まで生きちゃうわけだ。
人生の約半分が『老後』ということになる。
もっと言っちゃうと、"初老"の定義は40歳なので、人生の6割が老後になる。
僕らの人生のほとんどは、老後だ。
僕らは頑張って平均寿命を伸ばした。にも関わらず、「老いる」ということをネガティブに捉えているからアホなのである。
老人を"お荷物"かのように扱ってしまうきらいさえある。何やってんだ。
日本はご長寿先進国だ。
あと10年、20年もすりゃ、石を投げれば老人に当たる。この国は、見渡すかぎり老人だらけになる。
そんな時代に突入したのだから、それはもう受け止めて、老人を財産(国力)にした方がイイ。
その時、
"老いる"ということを、『衰え』ではなく『成長』と捉える必要がある。
たとえば『遅刻』
20歳のヤツが遅れてきたら怒られるけれど、
90歳のお婆ちゃんが5分遅刻しても、「仕方ないね」と許される。
効率を求めた先にあるのはロボットで、今の時代、人間に効率を求めるなんてバカげている。
ロボットに代替えされない人間の才能は、『愛される欠陥』だ。
そして、その愛される欠陥は、年を重ねれば重ねるほど増していく。
「仕方ないなぁ。僕が代わりにやりますよ」と他人に言わせることができる、これこそが若手には手に入れることができない老人の才能で、『老人力』である。
盆栽とゲートボールを半世紀続けるわけにはいかないだろうし、60歳からしか始められない仕事があれば最高だ。
60歳からしか入れない会社があれば最高だ。
面白そうだし、作ろうかな。
たとえば、イベントの受付なんかは、お爺ちゃんお婆ちゃんがやった方がいいかもしれない。
「受付がお爺ちゃん」と知ったお客さんは、受付のお爺ちゃんに全て委ねるよりも、自分で動いた方が効率が良いと考え、自ら行動を起こす。そうなりゃ、結果的にスムーズにお客さんを誘導することができる。
たとえば、そんな可能性もある。
老人力を活かす仕事。
何かありそうだなぁ。
ちょっと考えてみようっと。
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